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「柳条湖事件」、満州事変の
発端となる鉄道爆破事件(3)


  出典:Wikipedia 日本語版

 独立系メディア E-wave Tokyo 2021年9月18日
 

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9月18日決行にいたる経緯

日中関係の緊迫化


万宝山事件の衝突現場
Source: Wikimedia Commons パブリック・ドメイン, リンク

 石原、板垣らは9月下旬(27日か28日ころ)の謀略の決行を予定していた。ところが、9月初旬、東京の外務省に、関東軍の少壮士官が満州で事を起こす計画があるという情報がもたらされた。

 9月5日、幣原喜重郎外相は、栗原正外務省文書課長にもたらされた情報をもとに、奉天総領事の林久治郎に対し、関東軍の板垣らが近く軍事行動を決行する可能性がある旨を知らせ、注意を呼びかけた[22]。

 国内では、外務省の谷正之アジア局長が陸軍省の小磯国昭軍務局長にその真偽を問い合わせた[18]。また、9月11日には、昭和天皇から陸軍大臣の南次郎に対し軍紀に関する下問がなされた。

 これは、陸軍の動きを危惧した元老の西園寺公望の意向によるものであったという[18]。外相電に対して、奉天の林総領事は、厳重注意中であるが、今のところはそのような不穏な動きはみられないとの返電を一旦は送っている[22]。

 9月14日、関東軍の三宅光治参謀長から陸軍中央の建川美次参謀本部第一部長らに対し現状視察の依頼があった。陸軍中央の首脳部は天皇の意向も考慮し、関東軍の動きを牽制する意味もあって建川の満州行きを決めた。

 さらに翌15日、奉天の林久治郎総領事は、緊急情報として、関東軍が軍の集結や弾薬資材の搬出などをおこない、近く軍事行動を起こす形勢にあることを幣原外相に伝えた[22]。これは、満鉄理事であった伍堂卓雄からもたらされた情報にもとづく林の判断であった。

 あわせて林は、総領事館職員に対しては、厳重な警戒を怠らぬよう指示している[22]。

 林総領事からの緊急情報を受けた幣原外相は、すぐさま南陸相に対し、このようなことは「断じて黙過する訳にはいかない」と強く抗議した。南ら陸軍首脳は、この申し入れもあってあらためて建川少将に武力行使を差し控えさせるように指示した。この時点で建川自身は、石原らの計画の一部についてはすでに知っており、実行の期日を9月27日と考えていたという[18]。

 こうした軍中央の動向について、東京からの情報を得た石原・板垣らは、計画の中断を恐れ、当初の予定を変更して急遽決行日時を
約10日繰り上げ、9月18日の夜とした[18]。軍首脳の意向も度外視して佐官クラスの青年将校が実力行使におよんだ点では、まさに「下剋上」をあらわす現象であった[1]。

 9月18日、上述のように建川少将は満州で謀略事件が起こるのを抑える任務を帯びて、安東経由の列車でひそかに奉天に入っていたが、司令官一行が旅順に帰ったのちも板垣は奉天にのこり、建川を料亭で泥酔させた[3]。

 また、東京に出かけていた奉天特務機関長の土肥原賢二は朝鮮経由で奉天にもどる車中にあった。土肥原は謀略の詳細については教えられていなかったが、陰謀に加わった花谷正少佐が機関長代理の任にあった。こういう状況のなか板垣は、事件当日の夜、土肥原不在の奉天特務機関に陣取ったのである[3]。

 決行の夜、事件を知らせる電話が奉天特務機関から奉天総領事館にもたらされた。林総領事は知人の葬儀に出席して留守だったため、林の部下である森島守人領事が特務機関に急行した。ここで森島は外交的解決を主張したが、板垣高級参謀は即座に「すでに統帥権の発動を見たのに、総領事館は統帥権に容喙、干渉するのか」と恫喝した逸話はよく知られている。

 同席していた花谷特務機関補佐官も抜刀し、「統帥権に容喙する者は容赦しない」と森島領事を威嚇した[22]。帰館後の森島は、緊急連絡により総領事館に戻った林総領事に一切を報告したうえ、東京への電報や在満居留民保護の措置をとった[7]。

事件に対する内外の反応奉天総領事館

 事件の発生した9月18日の午後11時15分、中国側の交渉署日本科長より在奉天日本総領事館に、日本兵が北大営を包囲しているが、中国側は「無抵抗主義」をとる旨の電話があった[22]。

 午前0時、午前3時ころにも、同じく交渉署の日本科長より電話で、中国側は「全然無抵抗の態度」をとっているゆえ、日本軍が攻撃を停止してくれるよう申し入れがなされた。同様の申し入れは、臧式毅遼寧省政府主席や趙欣伯東三省最高顧問からもなされたが、これらはいずれも、
張学良が、万一の場合は日本軍に対し絶対無抵抗主義をとるよう全軍に指示していたためであった[22]。

 奉天総領事館の林久治郎総領事は板垣高級参謀に対して電話をかけ、中国側は無抵抗主義の姿勢を明らかにしているのであり、日中両国は交戦状態にあるとはいえないとして外交的解決の採用を勧告したが、板垣は、中国側が攻撃を仕掛けてきたものであり、そうである以上、徹底的に叩くべきだというのが軍の方針であると答えている[22]。しかも板垣は、諌めた総領事館職員を「統帥権に口を挟むのか」と軍刀を抜いて脅したという。

 林総領事は幣原喜重郎外務大臣に至急の極秘電を送り、関東軍は「満鉄沿線にわたり一斉に積極的行動を開始せんとする方針」と推察される旨を伝えている。これは、さまざまな情報を総合すると、
関東軍の行動は単に中国軍に対する自衛的な反撃にとどまらないという見方によるものであった[22]。林は、政府が大至急関東軍の行動を制止する必要がある旨を幣原に進言しており、さらに別電では、この事件が関東軍の謀略である可能性も示唆している[22]。


(4)へつづく

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