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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

南京大虐殺の確たる証拠が再び登場:
日本の絵新聞には日本の中国侵略の
歴史的事実が記載されている (1~11)

中国青年同盟新聞 2015
南京大屠杀铁证再现:原版日文画报刊载日军侵华史实
Hard evidence of the Nanking Massacre reappears:
original Japanese pictorial newspaper contains historical
facts about the Japanese invasion of China
 
Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年10月12日

 

チャイナ・ユース・ネットワークの研修生レポーター 
Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

リード文

1937年12月、日本軍が南京を占領した際に、日本軍に同行していた日本人記者が「南京大虐殺」と題して、南京で民間人や兵士が無残に殺害される様子を血まみれで掲載した「支那事変画報」。

本文

 北京2015年4月18日(中国青年網)--この2015年、日本侵略に対する中国人民の抵抗戦争と世界反ファシズム戦争の勝利から70周年を迎える。

 先日、北京第五中学校で「前途洋々、青春の道-中国人民抗日戦争勝利70周年記念テーマ展」が開催された。

 今回の展覧会の展示物は、愛国的な収集家であり、瑞雅軒博物館の館長である王雪英蘭氏が提供したものであり、日本の中国侵略の証拠となる貴重な資料の数々が初めて展示されたと伝えられている。

 今回の展示では、日本の従軍記者が中国侵略時に撮影した中国侵略の絵図や、日本の中国への経済侵略によって発行された国債や株式、軍配などのほか、明治天皇、在原宮、岸信介、伊藤博文、川島芳子、東栄原賢治の各家が祀った108本の刀など、貴重な歴史的資料が展示されている。

 また、1937年8月3日に創刊された「支那事変画報」(Chinas Incident Pictorial)も展示されており、100点以上の日本オリジナルの歴史的資料は、視覚的にも美しく、勉強になる。

 ※注)「支那事変画報」の実例
  この実例は、翻訳者(青山貞一)がホームページで検索した
  もので、オークションですでに落札されていた。このシリーズ
  は多数あり、ホームページ上で検索されるものは、いずれも
  オークションにかけけられた際の表紙見本である。

       
出典:アサヒグラフ 「支那事変画報」 第35集/昭和15年8月/朝日新聞社

 この絵巻物は、日本の軍事特派員が撮影・執筆したもので、1937年の七夕事件から1941年10月まで、日本が中国に侵攻した北京、上海、南京、合肥、保定、武漢、済南、重慶、海南島などの中国の都市を対象に、日本が中国に侵攻した際に起こったすべての戦闘や戦いを記録している。

 70年以上前のものであるにもかかわらず、ほとんどの「支那事変画報」は鮮明な画像で保存されている。 写真も文章も、いわゆる日本軍の「偉大なる強さ」や「無敵」を美化するのが上手い。 しかし、日本人が予想していなかったのは、軍国主義を誇示していた「支那事変画報」が、今や中国を侵略した罪の確固たる証拠となっていることだった。

 北京第五高等学校の張彬平校長は、清明節から5月4日の青年節まで開催されるこの展覧会は、若者たちが殉教者を偲ぶことから始めて、歴史の真実に入り込み、文物の背後にある物語を通して日本の中国侵略の歴史を正しく理解し、時代の責任を担い、人類文明の持続的な発展の中で自らの価値を実現するように導くものであると語った。


チャイナ・ユース・ネットワークの研修生レポーター 
Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 日本陸軍中将で第16師団長を務めた中島今朝雄は、南京大虐殺の犯人の一人である。 彼は、南京大虐殺の責任者の一人であり、南京大虐殺で言及しなければならない「百人一首」の向井敏明と野田毅は、いずれも彼の指揮下にあった。 中島は1945年10月28日、南京軍事法廷での裁判を逃れて亡くなった。 Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 歴史学者の中には、南京大虐殺の犠牲者の約半数が中島今朝率いる中島師団の手によって死亡したと推定する人もおり、その数は大虐殺全体の5分の4にあたる20万人前後にまで達していたのではないかと言われている。

 その中には、延子地、曹子峡、魚雷収容所、江東門など、1万人以上の人々が虐殺された最も残虐な事件や、3,000人の捕虜が生き埋めにされた紫金山の虐殺などが含まれています。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 日本の侵略に対する中国人民の抵抗戦争勝利70周年を記念した展覧会では、中国人や外国人の来場者を迎え、写真はカナダの来場者に南京大虐殺の歴史を伝えるスタッフである。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 展示されている和包丁は、日本軍の敗戦と無条件降伏後に中国に残された、繊細で精巧な細工が施された家族の聖別された包丁である。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 本展示では、日本軍が中国に侵攻した際に同行したジャーナリストが撮影した「支那事変画報」の中から、100点以上の写真を展示している。 また、愛国教育のための教材であり、若者が日本帝国主義の凶悪な犯罪を理解するための教材でもあり、中華民族と後世の人々がこの屈辱的な歴史を永遠に記憶するためには、実用上の重要性と遠大な歴史的意義がある。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 日本で印刷された「支那事変図録」は、中国に渡って配布され、記事や写真の説明は日本語で行われた。 南京大虐殺」の写真の前で思案する留学生たち。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 「支那事変画報」の各シリーズには、多数の写真が掲載されており、それぞれに詳細な説明とサインが記されている。 「支那事変画報」の最後のページには、「支那事変日記」という欄があり、「七・七事件」の後に毎日起こった中国への侵略戦争に関する重要なニュースが記録されている。

 写真は「支那事変ピクトリアル」で、日本軍が南京国民政府に旗を立てているところである。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 来賓の方々にアルバムの説明をする瑞雅軒終身館長の王学さん(左から2番目)と副館長の張士郎さん(右から2番目)と一緒に写っている。


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Photo by Su He, China Youth Network Trainee Reporter

 平和は人類の永遠の願いであり、戦争の責任は一握りの日本の軍国主義者にある」。


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