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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

南京の目撃者
ジョージ・フィッチの日記
その5
(11本あり)
George Ashmore Fitch:Eyewitness
of Nanking&1937~38(PDF)
出典:イェール大学神学部図書館、
南京大虐殺プロジェクトウェブサイト

英語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月26日

 

中国におけるアメリカ人プロテスタント宣教師、ジョージ・フィッチ氏。1937年12月、大日本帝国軍が南京に侵攻したとき中国にいたアメリカ人プロテスタント宣教師ジョージ・フィッチの写真。

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 桟橋には、タイムズのダーディンとパラマウント映画のアート・メンケンがいた。

 そして、私たちは桟橋で、タイムズのダーディンとパラマウント映画のアート・メンケンを見つけた。日本大使館の岡村さんは、ちょうどその頃、アメリカ大使館に戻るために車を運転してくれた。

 上海から到着したばかりの日本大使館の岡村さんもそこにいて、パネイ号とパネイ号の死者・負傷者の名前を教えてくれた。しかし、門のところで私たちはまた止められた。外国人が南京に入ることは許されず、私が南京に入ったという事実も許されなかった。

 岡村さんの訴えも無駄だった。岡村さんが車を1台持って軍に行く間、待つしかなかった。

 1時間半かかったが、11月のリーダースダイジェスト(雑誌 Reader's Digest)手に入れた。

  ※注)リーダーズ・ダイジェスト
   リーダーズ・ダイジェストはアメリカ以外に世界100カ国以上で、
   35カ国語の52の版が発行されており、4000万人の読者がいる。
   発行部数は1700万部で、有料で流通している世界最大の定期
   刊行雑誌である。出典:Wikipedia


 ゲートでの悪臭はひどいものであった。あちこちで犬が死体をかじっていたからである。

 その晩のスタッフ会議では、日本兵士が1300人の中国の敗残兵らをすべて連れて行ったという知らせがあった。我々は、彼らの中に元兵士が何人もいることを知っていたが、ラーベは、そのような元兵士たちを撃つために、我々の本部の近くのキャンプに1300人全員を連れて行っているという知らせを受けた。

 ラーベはその日の午後、ある将校から、彼らの命が助かると約束されていた。彼らが何をしようとしているのかは、もはや明白であった。
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 銃剣を突き立てた兵士たちによって。帽子を持っている者は、それを乱暴に引きちぎり、地面に投げつけられた。そして、私たちのヘッドライトの光で、彼らが破滅に向かって行進していくのを見た。私たち自身の心もリードされていた。

 南から登ってきて、昨日しぶしぶ私に彼らの腕を与えた。私は不思議に思った;あるいは!それとも、あの北の背の高い軍曹の致命的な決断を下した時の幻滅した目がまだ私を悩ませているのか? なんと?

 日本軍は彼らの命を助けるだろうと言った私は、なんと愚かだったことであろう。 私たちは、日本軍が彼らの命を助けると自信を持って期待していたのです。

 私たちは、彼らが少なくともある程度は約束を果たすだろうと、そして彼らの到着とともに秩序が確立されるだろうと、自信を持って期待していたのです。

 私たちは、このような残虐性と野蛮性を見ることになるとは夢にも思っていなかった。

 もっと悪い日はまだ来ていなかった。

 輸送の問題は16に深刻になり、日本人はまだ私たちのトラックを盗んでいた。

 私は、中国のスタッフがまだ待機しているアメリカ大使館に行き、Mr.Childrenを借りました。
ミルズが石炭を配達するために、アッチェソンの車を借りた。現在、25のキャンプがあり、200人から12,000人までが住んでいる。大学の建物だけでも3万人近くいました。後者では、スペースさえも取られていた。

  ※注)現在の各国在南京市大使館の位置
   現在、南京市には日本の大使館、領事館はない
  
  出典:グーグルマップ

 しかし、実際には、彼らはそれよりもずっと近くに押し寄せていた。どの場所も安全では無かったが、私たちはギンリングでかなりの程度の安全を保つことができました。

 大学では、ミス・ヴォートラン、ミセス・トゥイネム、ミセス・チェンが、女性たちのケアと保護において英雄的な存在であった。

 その朝、強姦事件が報告され始めた。 私たちが知っているだけで100人以上の女性が該当した。そのうち7人は大学の図書館からであった。しかし、その何倍もの女性がいたはずだ。何百人もの人々が、安全な場所を探そうと路上にいた。

 リッグス氏が泣きながら入ってきた。 日本人は、ロー・ハウスを空っぽにしていた。日本人は、ローカレッジとスプリームコートを空にし、実質的にすべての男性を連れ去ると我々が推測できる運命にある。


フィッチ日記6へつづく