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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

張連紅:日本軍はなぜ
南京安全区を解散させたのか?

 张连红:侵华日军为什么强制解散南京安全区?
新華社 2017年12月12日


青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月24日
 

今年は、総力戦勃発から80年、南京大虐殺で犠牲になった30万人の同胞の犠牲から80年の節目の年である。 新華社は、南京師範大学南京大虐殺研究センター所長、南京師範大学教授、博士課程指導教官の張連宏氏にインタビューを行った。

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本文

 1937年11月17日、南京に残った欧米人が、南京を離れられない一部の難民を収容・救出するために南京安全区を設立することを発起し、アメリカやドイツの大使館・領事館の一部の外交官が賛同して、当時上海を攻撃中の日本当局にさまざまなルートで連絡したが、日本は主に二つの理由でこれに同意せず、第一に南京に設置された安全区は、南京を離れることができなかった。 第二の大きな理由は、戦時中、南京安全地帯国際委員会が大量の軍隊の進入を防ぐことができなかったことである。

日本軍はなぜ南京安全区を解散させたのか?

 1938年2月以降、日本軍は南京国際安全地帯委員会に何度も解散を迫ったが、なぜ国際委員会の設置した地帯の解散を急いだのか。 理由は主に3つある。まず、安全区の存在と多くの欧米人の存在が、日本軍が南京を占領した後のあらゆる軍事行動を阻害した。

 例えば、日本軍が中国人捕虜を捕獲しようとすると、安全区委員会のメンバーは、これらの捕虜を集中処分することはできず、捕虜として扱われ労働者として使われるとしてこれを阻止したのである。

 第二の重要な理由は、南京大虐殺の時、日本軍が安全地帯で残虐な行為をしていた時、彼ら欧米人は、例えば中国人女性を強姦していた日本兵を排除したり、中国兵が撃たれている時に介錯したりと、その場で日本軍の行為を止めていたことであった。

 同時に、これらの欧米人は安全地帯で見た日本の残虐行為をすべて調査し、抗議の文章を書き、日本大使館や領事館に抗議に行ったので、日本の軍当局は非常に困惑した。

 第三に、欧米人が中国人を保護し治療し続けることで、中国人の欧米人への依存度が高まる一方、日本は英米軍をアジアから追い出すために中国を攻めていたので、南京占領後の日本統治に不利になると考えたことである。

 彼らは中国人が西洋人に依存しないようにしたかったので、安全地帯を解散して難民を帰国させなければならず、それは支配を助長することになる。

日本軍は南京で「慰安婦」制度をどのように進めたのか。

 私たちは、この時期の欧米人の手紙や日記、資料などを多数収集し、公開しているが、これらの資料から、当時南京に滞在していた欧米人は、すでに日本軍が慰安婦制度を推進していたことを知り、日本軍の募集、中国人女性の慰安婦への強制、慰安所の設置などについて情報を集めていたことが分かる。

 これらの資料から、南京占領後に日本軍が設置した慰安所には、3つのタイプがあったことがわかる。 日本兵が慰安婦を募集する場合、若い女性でなければならず、安全な場所に年配の女性を置きたくなかったとが、欧米の記録にある。

 これも一種の慰安所への勧誘である。 欧米文学は、欧米人の目から見て人類文明の恥である慰安婦制度への強い批判に集中している。


声明:この記事で述べた見解は著者自身のものであり、捜狐は情報公開のプラットフォームであり、捜狐は情報保管スペースのサービスを提供するだけである。


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