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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

南京「大虐殺」の6つの理由(2)
侵华日军为何在南京“屠城”?
 来源: 抵抗戦争の歴史
公開日: 2021-12-13

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年12月22日
 

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 日本の歴史に古くからあった神道も、軍国主義推進のための道具に変質していった。 明治維新以降、国家による大規模な神社事務の操作は、神道とその儀式を質的に変化させることになった。

 この「近代神道」は、もはや本来の意味での「神道」ではない。 神官たちは、戦死した人々の栄誉を讃えるために、遠慮なく神社を利用した。 神道は、明らかに軍国主義的な空気に染まり、同時に軍国主義者の行う侵略戦争と密接に結びついた。

 『神道と国家』という本には、「神社と戦死者崇拝との間にこのような結びつきが確立されることによって、神々に軍国主義の空気が吹き込まれ、日本国家がいかに効果的に神道を操っていたかが示された」と書かれている。

 封建制度の色濃い「武士道精神」は、当然ながら軍国主義に取り込まれ、採用された。「武士道」とは、鎌倉幕府時代、日本の武士に共通する封建的な道徳観で、天皇への忠誠、謙譲、恥を知ること、勇気、不屈の精神からなるものであった。

  しかし、明治維新後、日本の軍国主義が徐々に形成・発展していく中で、武士は法律上の身分としては廃止されたが、武士道の精神は長い間、学校で生徒たちに教えられていたのである。 武士道は、近代日本における軍国主義の精神的な力となった。

 日本の軍国主義の思想的・理論的基盤は、社会ダーウィニズムであった。 社会現象を低俗な進化論で説明し、「適者生存」「弱肉強食」を説き、いわゆる「人種戦争論」「民族解放論」をデマゴギー的に唱えたのである。 日本の対外侵略と膨張を、アジア諸国の「解放」とする「民族解放論」である。

 軍国主義的なイデオロギーで訓練され教育された兵士たちは、野蛮で残酷で狂気の沙汰になった。 戦犯の山岡茂は、軍国教育とそれが生み出した恐ろしい精神状態をこう表現している。「当時は、日本国に対する優越感と他国に対する蔑視が根強く残っていたのです。 また、殺生を勇気のある行為と見なす残忍な武士道精神があり、天皇崇拝の全体主義からは、権力を持つ者には絶対服従し、そうでない者には弱者に従属するという非人道的な思想が生まれた......。 侵略戦争が正義の戦争とされ、まるで何もなかったかのように考えられたのは、こうした思想によるものだ 非人道的な行為を行った」


日本における南京大虐殺研究のパイオニアである東富雄教授

 これに対して、日本を代表する歴史学者である東富雄先生は、「日本の農民は、もともと親切で素朴な人たちだったと思う。 前述したように、彼らは封建的で残忍な武家社会の思想や習慣を維新の変革後に「国民道徳」として押し付けられ、神国思想や軍国主義思想も教え込まれ、ファシスト軍の激しい戦闘員となっていったのだ。 このように理解しなければならない。 日本を占領している連合国軍の総司令部は、日本人が課した恐ろしい人類の罪は、日本における50年にわたる「皇道」と「大和魂」の説教の必然的で避けられない結果であると考えた」と述べている。

 日本の軍国主義は、際限のない海外進出によって特徴づけられていた。 拡大には征服が必要であり、征服は暴力なしには達成できない。 日本の軍国主義の歴史において、侵略と暴力は常に手を取り合ってきた。 侵略した先々で、暴力を振るった。 南京攻略でも、松湖の戦場から南京に至るまで、殺しまくった。 その違いは、南京での虐殺が最も野蛮で、最も狂気に満ちていて、規模が大きかったということだ。

 日本の軍国主義があらゆる戦争残虐行為の源である以上、それが南京大虐殺を引き起こした最も基本的かつ根本的な理由でもあることは、もちろん否定できない。 日本の軍国主義が存在しなければ、南京大虐殺をはじめ、日本の侵略者が中国に対して行った残虐行為はすべて存在しなかっただろう。 また、南京大虐殺の主犯は日本の軍国主義であったと言える。




6つの理由(3)につづく