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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

ドキュメンタリー映画「22」を
見る前に知っておきたい背景(1)

李淼(リ・ニャオ) 新南都周刊 2017年8月20日

看《二十二》前,你应该知道的一些背景

中国語本文及び冒頭のLAタイムズ解説(英文)の翻訳:
青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年11月3日
 

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目次 (1)  (2)  (3) 



著者 李淼(リ・ニャオ)氏紹介

 
 写真出典:中国百度百科
  李淼(リ・ニャオ)氏は日本の慶應義塾大学博士課程を
  卒業し、国際関係(日中関係、日本外交)を専攻。日本
  に18年間住んでいた。日本のNHK国際放送で中国語番
  組のホストを務めていた。元日本首相の中曽根康弘、福
  田康夫と鳩山友紀夫など日本の政治、要人へのインタビ
  ュー。温家宝首相は東日本大震災を訪れた後、日本の
  福島についての独占インタビューを受け入れている。
 

 
ドキュメンタリー映画『22(Twenty-two)』とは

 ※注)『22』は郭ケ監督、真央陰明と彼玉珍主演のドキュメン
  タリー。この映画は、日本が中国に侵攻した14年間(1931〜
  1945年)に中国にいた約20万人の女性の物語であり、さらに
  多くの女性が日本人にだまされ、日本人が性的欲求を発散
  するための性奴隷になることを余儀なくされた。この映画は、
  中国で第23回長編ドキュメンタリー賞を受賞し、2018年の中
  国映画祭で第6回「中国映画トップ10」を受賞しました。

 
※注)ロサンゼルスタイムズによる『22』のレビュー
   中国のドキュメンタリー「Twenty-two」は、第二次世界大戦中
  に生き残った「慰安婦」の人生に迫る。第二次世界大戦の恐怖
  の中でも、日本の占領軍が中国の女性に与えたものは見過ご
  されがちだ。Ke Guo監督の「Twenty Two」はその点を是正し、
  生き残った「慰安婦」たちの声を伝える中国のドキュメンタリー
  である。残っているのはわずか22人だが、日本軍は中国、韓
  国、フィリピンで何十万人もの女性を性奴隷にし、その「慰安所」
  は村や地方に広がっていたのである。中国の女性に焦点を当
  てた「Twenty Two」では、名前と顔が次々と明らかになり、レイ
  プの量も明らかで膨大なものとなっている。彼女たちは同じよう
  な経験を個人的なディテールで語り、それぞれのユニークな人生
  を照らし出す。投獄の影響が残り、占領時代のことをあまり語れ
  ない人もいるが、家族や友人に囲まれて豊かな生活を送ってい
  る人も多い。80代、90代と年齢を重ねていく彼女たちの物語を撮
  影することは、郭さんの使命でもある。郭さんは以前、同じテー
  マで『Thirty Two』という短編映画を制作しているが、この作品で
  は、わずか数年の間に急速に減少していく女性たちの姿が描か
  れている。このドキュメンタリーには作為はなく、監督はただ、女
  性たちが次々と語る人生をそのまま映し出しているだけだ。ゆ
  っくりとした動きと悲しみに満ちた『Twenty Two』は、見るのが簡
  単ではないが、そうあるべきではないのだ。


Review: Chinese documentary



A scene from the documentary “Twenty-two.”(China Lion Film)

 ‘Twenty Two’ looks at lives of nation’s surviving WWII ‘comfort women’
 A scene from the documentary "Twenty-two."
 A scene from the documentary “Twenty-two.”(China Lion Film)
 
BY KIMBER MYERS SEPT. 7, 2017 11:25 AM PT

 Amid all the horrors of World War II, those visited on the women of China by the Japanese occupying forces are often overlooked. Director Ke Guo’s “Twenty Two” rectifies that, giving voice to the surviving “comfort women” in this Chinese documentary.

 Though there are just 22 women left, the Japanese army turned hundreds of thousands of women in China, Korea and the Philippines into sex slaves, and their “comfort stations” spanned villages and provinces. Focusing on women in China, “Twenty Two” reveals name after name and face after face, and the volume of the rape is clear and immense. The women share their similar experiences with personal details that illuminate their unique lives. The effects of their imprisonment linger, with some unable to speak much about the occupation period, but many have also lived rich lives, surrounded by family and friends.

 There’s an urgency in Guo’s mission to capture these women’s narratives as they climb into their 80s and 90s. Guo previously made a short film about the same subject called “Thirty Two,” with the number decreasing rapidly in just a few years. There’s no artifice in this documentary, with the director simply presenting the women’s lives as they tell them, one after another. Slow-moving and sad, “Twenty Two” isn’t easy to watch, but it isn’t meant to be.



本文

 この映画はスローでルーズなペースだが、そのスタイルはまさに私が好きなドキュメンタリーの雰囲気である。 本作には起伏がないにもかかわらず、上映中のスタジオからはすすり泣きが絶えず聞こえてきた。

 「慰安婦問題の被害者は何を求めているのか」という問いを理解するために、私はこの映画を見ながら、これまでの慰安婦問題に関する知識を活用し始めた。 彼らは何を待っているのか?

 昨日はドキュメンタリー映画、22(Twenty Two)を見に行った。

 この映画はゆっくりとしていて、ゆるい感じですが、そのスタイルは私がドキュメンタリーで好きなものと同じです。 本作では、プロットの起伏を一切説明していないにもかかわらず、上映中の劇場からは嗚咽が聞こえてきた。

 正直言って、この映画は重苦しい。

 しかし、映画を見ているうちに、時折、気が抜けてしまい、「慰安婦問題」についてのこれまでの知識を頼りに質問を理解しようとするようになった。

 「慰安婦問題」の被害者が本当に求めているものは何か? 彼らは何を待っているのか?"

 あるいは、彼らの行動を闘争と理解するならば、彼らは何のために闘っているのか?

 そのためにこの作品を書いているのだ。 私のまとめを通して、映画館でこの映画を応援したいと思っている読者や、慰安婦問題の歴史を一般的に理解したいと思っている読者が、慰安婦問題の原因と結果を明確に理解してくれることを願っている。

 「慰安婦制度」はどのようにして生まれたのか?

 慰安婦が誕生したのは、戦前の日本の「公娼制度」があった。


映画「22」を見る前に知っておきたい背景

 現在の日本の公娼制度は、1900年に制定された売春禁止法に端を発している。 この法律で、日本政府は「政府登録売春婦」の存在を原則的に認めた。 売春を行う売春婦は、所在地の警察署に登録し、営業許可を得てからでないと営業できなかった。

 日本の中国侵略は、「疑似満州国」の設立(1932年)と、九・一八事件(1931年)後の関東軍による東北三省の占領から始まった。

 1932年3月20日、国民党政府と日本政府は休戦交渉を開始し、「宋・上海休戦協定」が締結された。 これにより、日本は上海に軍隊を駐留させ、大量の海兵隊、海軍隊を送り込む口実ができた。

 中国に駐留する日本軍の数が増えると、日本軍は軍部のご機嫌取りと駐留将校の性的欲求に応えるために、上海、長春、瀋陽に日本と同様の「慰安所」を設置し、東北地方(擬似満州国を含む)には日本と同様の「公娼制度」を導入した。

 この時代の慰安所にいた「慰安婦」の大半は、日本本土や朝鮮半島から募集された若い女性であり、女性の人身売買などの犯罪行為によるものはごく一部であった。

 しかし、1937年に日本の中国侵略が始まると、中国における日本軍は急速に拡大し、300万人近い兵力となった。 戦争が進むにつれ、中国全土に駐留していた日本軍は徐々に分散していった。

 このような状況下で、日本の大本営は、駐屯地に独自の「慰安所」を設置することを許可した。 その結果、中国各地に大規模な慰安所が出現するようになった。

 その中でも、1938年の武漢の戦いの後、多くの日本軍が司令部を置いた武漢では、所属する将校の数が飛躍的に増加し、最大の慰安所が誕生した。 済京里慰安所には、最盛期には日本から130人、韓国から150人もの慰安婦がいたという。

 しかし、日本軍が駐留していた遠隔地では、このような規模の慰安所を設置することができない場合もあった。 彼らの性的欲求を満たすために、中隊レベル以上の戦闘部隊のほとんどが、駐屯地の近くに大小の臨時慰安所を設置した。


「慰安婦制度」は何のためにあったのか?



 1932年から1938年の間、慰安婦制度は主に上級士官のニーズに応えるために設立された。 日本軍は上級将校の数が少なく、一般的に教育を受けていたため、日本語に堪能な日本人や朝鮮人の女性を選ぶ傾向があった。

 しかし、1939年以降、中国との戦争が激化する中で、日本軍の衛生防疫部は、一部の兵士が民間の売春婦との取引で性病に感染していることを発見した。 軍隊の中で性病が蔓延すれば、軍隊の戦闘能力に深刻な影響を与えることになる。 陸軍における兵士の性行動の規制は、日本軍にとって喫緊の課題であった。

 一方で、この時期、侵略してきた日本兵は、占領地の民間人に対する略奪、強姦、殺人などの犯罪行為を頻繁に行っていた。 このような行為が増えるにつれ、占領地では日本人に対する憎しみが高まり、多くの地下抵抗運動やゲリラ集団が生まれた。 また、日本の占領軍は、占領地の人々の心をつかみ、ゲリラの活動を抑えるために、兵士によるレイプなどの行為を規制することを提案した。

 このようにして、大本営の意向を受けて、日本の陸海軍では慰安婦制度が徹底的に行われた。 日本軍は、軍隊のための慰安所を設置することで、兵士や将校の性的行動を一元化できると期待していた。同時に、軍部は慰安所の設置によって、軍部の性的ニーズに対応し、占領地で軍部が行う強姦などの発生を減らすことも期待していた。

 しかし、これは軍部の希望的観測に過ぎなかった。


(2)へつづく    総合メニュー へ