エントランスへはここをクリック   総合メニュー

日本と中国の歴史をひも解くシリーズ
<写真集>
日本の中国侵略時代の
「慰安婦」の実像

揭秘: 日本侵华时期“慰安妇”的真实影像资料
出典:妙作文巴巴レポート 2018-9-7

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2021年10月29日
 

写真:慰安所の外で「慰安婦」の部屋に入るのを待っている日本兵。 (女性救援基金会編:沈黙の傷跡-日本の「慰安婦」の歴史的イメージの本、(台北)上周出版、2005年、p.35)。

総合メニュー へ

本文

 1940年5月、セブ島に駐留した日本軍は、帝国ホテル内をはじめとする市内に多数の慰安所を設置したが、女性たちの多くは中国の良家から奪ったものであった。 写真は、慰安所の外で「慰安婦」の部屋に入るのを待っている日本兵。 (女性救援基金会編:沈黙の傷跡-日本の「慰安婦」の歴史的イメージの本、(台北)上周出版、2005年、p.35)。


1942年、日本軍の第三機甲師団は、包頭に将校のための慰安所を設置した。 遠隔地では、日本側がトラックで「慰安婦」を分遣隊に送っていた。村瀬守穂:「プライベート・チャイナ・バトルフロント-村瀬守穂写真集」、p.108]。


1944年9月3日、中国遠征軍は龍陵の松山戦場から「慰安婦」を救出し、遠征軍の兵士は生存者を後方に送るために電話連絡をしている。 米国議会図書館所蔵


圭子たちは、まず長崎の水天楼ホテルに集められ、その後船に乗り込んだ。 写真は「マリン丸」に乗船する恵子さん(中央下)。 [知多奈津子「従軍慰安婦の景子」(『(東京)萬国社』1985年8月号、巻頭言)。


日本の「慰安婦」は、軍の駐屯地で性病の治療のために病院に送られていました。 写真は、1942年秋に長沢健一氏が撮影した「慰安婦」。 [長沢健一:ハンコウ・コンフォート・ステーション、p.179]。


日本軍は最後に「慰安婦」に自殺を強要した。 [中国共産党騰沖県委員会宣伝部編『血塗られた記憶-騰沖戦争の目撃者たち』(次巻)、中国文芸協会出版局、2003年、291頁]。


情報提供者の何光坤氏は、桂林の文昌橋と南門橋の間に慰安所があり、「中には16歳から20歳の中国人女性が6人いて、裸か半裸で、太ももに血が付いている人もいて、床に座って泣いている人や無表情で座っている人もいて、広間には裸の日本兵が7、8人いた」と回想していました。 .桂林日報、2007年4月30日 写真は慰安所にいる日本兵。 村瀬守穂:「私の従軍中国戦線-村瀬守穂写真集」 日本機械新聞出版センター』2005年3月号、p.108。


山東画報社が発行した大型反戦アトラスの第19巻「慰安婦」と「性残虐」編には、日本の中国侵略の写真が1000枚近く掲載されている。


写真は「海内家」慰安所のオーナーと「慰安婦」たち。 着物を着ている女性もいれば、チョンマゲをつけている女性もいる。 日本海軍の慰安所「はえない屋」の集合写真。 (花フェア「軍慰安 "海乃家 "の伝言」、日本機械工業出版センター、1992年8月、p.48)


写真は「慰安婦」の部屋に入るのを待っている日本兵、奥の壁には慰安所の注意書きが貼られている。 (森今千秋『悪い兵士たち』文芸社、1978年)。


写真は、日本軍医の永沢健一が1942年秋に撮影した慰安所「平和の家」で、扉には「慰安所第六号」と書かれている。慰安所には第一号から第五号まであり、すべて日本軍の駐屯地に設置されていたことになる。 長沢健一『ハンコウ・コンフォート・ステーション』p.41〕。


写真は、日本兵が撮影した中国人「慰安婦」の写真。 荻島静雄の日記』(北京)人民文学出版社、2005年8月、p.62】。


写真は、「慰安婦」を乗せて上海に向かう日本船「海連丸」。麻生哲夫:上海より上海へ(福岡)、石舟社、1994年、p.20。


中国遠征軍は、雲南西部での大反攻の際に、多くの「慰安婦」を救出した。 これは、悲惨な状況から解放された各国の「慰安婦」たちの姿であり、彼女たちがとても幸せな気分であったことがうかがえる。 (伊藤隆『口の中の白いリボン』P.17)。


中国遠征軍は、雲南西部での大反攻の際に、多くの「慰安婦」を救出した。 これは、各国の「慰安婦」が悲惨な状況から解放されたことを意味している。 (伊藤隆:「口の中の白いリボン」、P.17)


「慰安婦」というテーマで最も影響力のある写真のひとつ、上海の「楊家嘴慰安所」。 木造家屋は、日本の軍人が現地の中国人農民を駆り立てて一緒に建てたもの。 麻生哲夫:上海より上海へ、(福岡)石舟社1994年、p.17】。


中国遠征軍の反撃により、多くの「慰安婦」が救出された。 中国遠征軍が救出した朝鮮人被害者たち。(米国議会図書館所蔵)


慰安婦」問題の専門家として知られる上海師範大学歴史学部の蘇志良教授。 中国「慰安婦」史博物館を設立。


中国と韓国が共同で建立した「慰安婦」だった少女のブロンズ像。


総合メニュー へ