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南アフリカ、アパルトヘイト終結から30周年

青山貞一冒頭コメント
 2021年6月18日

 

みなさま

青山貞一・池田こみちです.

 独立系メディア E-wave Tokyoの6月18日午後の記事です。

 この記事は、南米ヴェネズエラに本部があるテレビ局、中南米カリブのアルジャジーラといわれる teleSURのもので、南アフリカのアパルトヘイト終結から30周年を記念する記事です。

 南アフリカは、現在、ロシア、中国、インド、ブラジルとともに、BRICSの一角を占めるアフリカ最南端の国ですが、その歴史は15世紀にポルトガル人に発見されてから17世紀にオランダの東インド会社により植民地統治されるなど、欧州列強の帝国主義による植民地をたどっています。

 18世紀末に金やダイヤモンドが発見されたことで、イギリスから大量に流入し現地のボーア人と対立します。この対立はその後200年以上つづくことになります。

 その後、イギリスはケープタウンを占領し19世紀になりケープタウンはオランダ植民地からイギリス植民地に移り、1910年5月31日に、ケープ州、ナタール州、トランスヴァール州、オレンジ州の4州からなる南アフリカ連邦として統合され、イギリス帝国内の自治領としてアフリカーナーの自治を確立しまた。

 翌1911年には、鉱山における白人・黒人間の職種区分と人数比を全国的規模で統一することを目的とした、白人労働者保護のための最初の人種主義法である「鉱山・労働法」が制定され、それかがきっかけとなり本文後半の詳述するように人種差別法の制定はこれでもかこれでもかと続きます。世界史的にも劣悪、非人道的なアパルトヘイト政策、立法がつづいたのです。」


パルトヘイトへの抗議を行う黒人たち(1980年代)
Source: WikimediaCommons , CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 このアパルトヘイトは反共政策と相まって、とめどなくつづきます。アパルトヘイトの実際は、本文に項目ごとに詳細を書きましたので、そちらをご覧ください。そのすさまじさは筆舌に尽くせないものです。

 その中で、現地にいた日本人や日本植民地下の台湾人は「名誉白人」として扱われました。一体何が名誉なのかわかりませんが。そのころから日本は、G7に唯一アジアから入っているように、アパルトヘイト下の南アフリカで、「名誉白人」として商売を行っていたのです。


現代の聖人と殉教者:ヘールレン(オランダ)のマザーアンナ教会
の教皇ヨハネ23世とスティーブビコ。12人の現代の聖人と殉教者のうちの2人。
Source: WikimediaCommons CC 表示-継承 4.0, リンクによる

 アパルトヘイトが禁止されたのは1994年4月に同国史上初の全人種参加の総選挙が実施され、アフリカ民族会議 (ANC)が勝利し、ネルソン・マンデラ議長が大統領に就任したときです。アパルトヘイト廃止に伴い国連に復帰し、アフリカ統一機構 (OAU)に加盟しました。マンデラ政権成立後、新しい憲法を作るための制憲議会が始まり、1996年には新憲法が採択されました。
                
 アパルトヘイトが撤廃された21世紀になっても依然として人種間失業率格差が解消されないでいた理由は、アパルトヘイトが教育水準格差をも生み出していたことがもっとも大きな要因と考えられています。アパルトヘイト撤廃によって即日雇用平等の権利を得たとしても、当時の労働人口の中心となる青年層はすでに教育水準の差が確定してしまっており、アパルトヘイト時代に教育を受ける機会を得られなかった国民は、炭坑労働者など、雇用が不安定な業種にしか職を求めることができなかったのです。

 さらに、鉱山は商品市況によって炭鉱労働者の雇用または解雇を頻繁に行うこともあり、黒人の失業率は白人のそれと比べて非常に高い統計結果が出てしまうのです。しかし、撤廃後12年以上が経過し、教育を受ける世代が一巡したことで、白人・黒人間の失業率格差は縮小しつつあり、また政府は、単純労働者からIT技術者の育成など技術労働者がへ教育プログラムなどを用意し、国民スキルアップに努めています。

 1991年6月17日、南アフリカ共和国議会の3つの議場が開かれ、人種隔離制度の根拠となっていた最後の法律である「人種分類法」を廃止する議案が採決されました。

 1990年にネルソン・マンデラ氏が釈放された後、当時のフレデリック・デクラーク大統領は、黒人と白人の平等を阻む人種制度の撤廃を進めたのです。


2008年5月13日、ハウテン州ヨハネスブルグのネルソンマンデラ。
Source: WikimediaCommons  CC 表示 2.0, リンクによる


 昨日は1991年6月17日からちょうど30周年にあたります!

 なお、記事はスペイン語、翻訳は青山貞一が担当、そのあとにWikimedia Commonsの写真ギャラリーがつづき、最後にアパルトヘイトの実際・詳細をWikipediaから紹介しています。

◆英国植民地、主権獲得後の忌まわしいアパルトヘイト。その終結から30年

①南アフリカ、アパルトヘイト終結から30周年 teleSUR

 http://eritokyo.jp/independent/SouthAfrica-Aparutheid30anos-ao91.htm

②El apartheid apareció oficialmente en Sudáfrica en 1948, impuesto por los gobiernos de minoría blanca  en este país.teleSUR   https://www.telesurtv.net/news/sudafrica-treinta-anos-fin-apartheid-20210617-0003.html