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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

斉奇璋:日本の台湾割譲に関する
いくつかの問題(1)
戚其章:关于日本割占台湾的几个问题
(Html版
戚其章:关于日本割占台湾的几个问题(Word版)
来源・著者:斉奇璋 2020年10月07日

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月13日
 

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本文

 今から100年以上前に起こった日本の台湾割譲は、近代の極東の国際関係に大きな影響を与えた出来事であった。

 この事件には、中国や日本が直接関わっただけでなく、欧米の主要国も巻き込まれ、非常に複雑な事態となった。 そのため、長い間、解説者の意見が分かれ、この歴史を正しく解釈するための定説がなく、今日の研究者の重要な課題となっているのである。 手短に言えば、以下の3点について、筆者の意見を述べ、記録を整理するつもりである。

 まず、終戦時の台湾割譲は、日本の一時的な判断だったのか、それとも確立された政策だったのか。

 日本が中国から台湾を併合しようとしたのはいつからか。 日本が日中戦争を仕掛けた目的は、「台湾を切り捨てること」ではなかったという見方がある。

 つまり、開戦時、日本はすでに台湾を切り捨てるという野心を持っていたのだ。 戦後の講和条約で日本が台湾を割譲する能力は、実は「戦後、戦場の発展により徐々に高まっていった」。

 その理由は3つある。①「開戦時の日本は、軽々しく勝算のない戦争をしていると言え、戦争の後始末を想像する自信も余裕もなかった」(同氏)のである。

 ② 日本は1894年10月に「土地の割譲」を含む講和条件の見直しを始めたが、「戦場での共犯関係は、台湾の割譲を講和条件とするには全く不十分であった」。 戦争は台湾には及ばず、ましてや台湾での勝利という既成事実もなかったからだ」。

 ③)「1895年3月末に日本が澎湖に上陸し、台湾が日本にとって事実上優位な戦場となった」後に初めて、「『自然』状態の日本が講和交渉で台湾の割譲を要求した」(1)。

 これは説得力のある議論ではない。 日本が台湾を割譲したという体裁ばかりに目が行き、問題の本質が見えなくなり、日本が長年抱いてきた台湾併合の野望が見えなくなってしまうのである。

 開戦時に日本が台湾割譲を提案しなかったことが、日本に台湾併合の野心や計画がなかったことの証明にはならないが、中国割譲問題が日本の世論で広く議論された1894年12月には、「台湾を日本に永久に割譲する」という提案も出ていたのである。

 英国の駐日公使P・デポア・トレンチは、「日本がこの点を主張するのは間違いなさそうだ」と考えていた。 この頃、台湾割譲は朝廷の総意となっていた。 当時、台湾にいた英国人実業家のロングフォードは、こう分析する。

 日本が台湾を欲しがった理由は様々である。 地理的に台湾は琉球列島を頂点とする一連の島々の一部であり、日本帝国を形成するためには、この島々の完全性が必要だった。

 心情的には、日本は370年以上前にすでに台湾の植民地を開拓しようとしていた。 ......経済的に言えば、日本にとって台湾の島が将来的に持つ潜在的な価値は、ほとんど計り知れないものがある。

 さらに戦略的には、日本がこの島に軍事基地を建設できるようになるのに、何年もかからないだろう。

 将来、中国が十分な国力を取り戻し、現在の屈辱を晴らすために日本に報復しようとする場合、この基地は汕頭、厦門、福州といった重要かつ豊かな都市を含む中国南岸全体に真の脅威を与えるだけでなく、台湾海峡を通じて中国の北と南の港を結ぶ沿岸貿易ルートをいつでも断ち切ることが可能になるのである。


(2)につづく

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