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日本と中国の歴史をひも解くシリーズ

斉奇璋:日本の台湾割譲に関する
いくつかの問題(4)
戚其章:关于日本割占台湾的几个问题
(Html版
戚其章:关于日本割占台湾的几个问题(Word版)
来源・著者:斉奇璋 2020年10月07日

中国語翻訳:青山貞一(東京都市大学名誉教授)
独立系メディア E-wave Tokyo 2022年1月13日
 

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  このことから、帝政ロシアの最大の関心事は、隣国との友好関係を維持することでは なく、将来日中間の戦争が終わったときに、その成果をつかむ機会を待つことであったことが明らかである。

 もちろん、ロシアは日本の中国「割譲」要求を快く思っておらず、反対を表明していたほどだ。 ロシア新外相アレクセイ・B・ロバノフ・ロストフスキーは、「ロシアは日本による領土取得案に反対であり、もちろんそれを阻止するために最大限の努力をする」と表明した。

 日本が本土に足場を築いた後は、ロシアと国境を接するまで地歩を固めることになるだろうと予測している。 これは当然、ロシアが見たくないことだ。((29)

 ロシアが日本の遼東半島占領に反対したのは事実であるが、それは決して中国を助けるためではなく、私利私欲を満たすためであった。

 日本が南満州を占領することは、ロシアにとって直接的な脅威であり、この地域は日本がロシアのアムール辺境を攻撃するための拠点となるからである。「 南満州を占領した後、日本はロシアの辺境に接近し、アムール辺境の引き直しが必要になった場合、非常に困難な状況に陥るだろう」。

 そして、その利点は、「その時、我々は中国の救世主となり、中国は我々のサービスを尊重し、したがって平和的手段によって我々の国境を修正することに同意するだろう」ということであった。 (30)(なんという腹なのだろう、筆者)

 ロシアは日本の遼東半島の割譲には反対であったとしても、日本の台湾割譲には全く違った態度を示した。

 日本の西徳次郎駐露公使は、ロシア外務省から「ロシア政府は必ず台湾割譲に反対しないであろう」と聞き、政府に台湾を主張するよう進言した。

 「ロシアが抵抗しなければ、英国も強引に戦うことはないだろう」と考えられていたのだ。 (31) 陸奥宗光は、西徳二郎公使の情報を確認するため、自ら駐日ロシア公使ミハイル・ヒトロヴォに(Mikhail Hitrovo)に会い、土地割譲が平和の条件の一つであることを伝えたが、ヒトロヴォは 「ロシアは台湾の編入に反対しない」 と明確に答えている。 (32) ロシアが本当に「中国を外交的に支援」していたのか、はっきりしないのではないか?

 そして、ドイツとフランスを見てみよう。 日中戦争でドイツは中立を宣言したが、実は密かに日本を支援し、応援していた。

 4日目の夜(10月29日)、日本軍が清国軍の鴨緑江防御網を突破すると、カイザー・ウィルヘルム2世と皇后はベルリンの王立劇場で観劇し、中国の大臣徐敬誠がいないことに気づき、日本の大臣青木周蔵をひそかに呼び出して「喜びを表明するとともに日本軍と海軍の大勝利を願う」と告げた。

 その直後、青木は 「ドイツはしっかりと我々の味方をしてくれている」と本国に報告した。 (33)  台湾と澎湖の将来に対するドイツの基本的な態度は、日本が台湾を割譲することを望まず、他国 が台湾に手を出すことにも反対であり、いずれも極東におけるドイツの利益に影響を与えるという ものであった。

 日本の台湾割譲に対するフランスの態度は、その前後で変化した。 最初は、日本による台湾と澎湖の占領に反対していた。 駐日公使のJ・ハーマンドは、「日本が講和の条件として台湾と澎湖諸島の割譲を要求すれば、フランスは自国の利益を侵害するものとして抗議するだろう」と述べている。 (34)

 しかしその後、若干の態度の変化があり、駐英大使のクールセル男爵を通じて、「フランスは台湾の日本への割譲には反対しないが、佩斯卡多尔(ペスカドール)の割譲には強く反対する」と述べている。 (35)

 このとき、ドイツ外相のマーシャル男爵は、フランスがスペインなどに接触して行動を共にしていることを知り、日本にフランスに対抗する戦略を協力するまでに至ったのである。

 青木長蔵には、「フランスやスペインが書簡を送ってきたら、日本は台湾と澎湖諸島の占領を決意していると、はっきり返事をすればいい 」言ったそうだ。 (36)

 欧州列強の利害を調整することは困難であったため、フランスは最終的に当初の意図を断念し、ロシア、ドイツと協議して、日本政府に「台湾海峡は日本の管轄下になく、日本だけが利用する公共の航路と認め、台湾と澎湖諸島を他国に割譲しない」と宣言するように要請したのである。 (37)

 フランスは台湾と澎湖を手に入れたかったが、それが叶わず、二番手に退くことになった。 日本が台湾や澎湖を割譲しないように中国を助けるのではなく、自国の利益をできるだけ多く得ることを外交理念としていたことが窺われる。

 では、英国は本当に中国に同情的で親切だったのであろうか? これに対して、肯定的な回答はできない。 戦前・戦後を通じて、英国は極東における既得権益を守るために、極東における既存の国際関係のパターンを崩したくないという思いから、日本が中国に対する戦争を挑発し拡大するのをしばらくは阻止しようと考えていた。

 こうして、「日中英の三角関係において、中英関係は当初、日英と等距離に近いように思われた」(38)。 しかし、戦争が日本にとって有利に展開するにつれ、英国の外交の優先順位は次第に日本側に移り、ついには完全に日本側に移ってしまった。

 平壌沖海戦の後、英国の世論は日本側に傾く傾向が見られた。 ロンドンのタイムズ紙は、「日本の軍事的成功は勝利の栄誉に値する。将来、日本を東洋の新興勢力として認めないわけにはいかない。」 「英国は、互いにほとんど同じ利益を持ち、遅かれ早かれ親しい友人にならなければならないこの新しい島の人々に少しも嫉妬してはならない」という記事を発表した。


(5)につづく

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