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2006年 長編ドキュメント映画
「ダーウィンの悪夢」
2007年アカデミー賞授賞映画作品
青山貞一試写メモ
(2006年8月21日執筆)
青山貞一(東京都市大学名誉教授)
War in Ukraine
 #2116 9 Dec 2022

独立系メディア E-wave Tokyo 2022年12月10日

出典:hebinuma

 以下は青山の試写メモである。文中に重複などがある。ご容赦いただきたい。また最後の部分(黄色の部分)に監督の制作意図などのコメントがあるので、併せてご覧ください。

 なお、本稿には、先のロシアのヴィクトル・バウト氏の記事にでてくる欧州とアフリカをソ連のイリューシン大型貨物飛行機で行き来もる男性をほうふつとさせる映画のドキュメントの準主人公そのものではないかという、青山貞一の推論ないしし仮説を念頭においている。もちろん、青山が以下を書いたのは16年前である。


 アフリカ大陸は歴史的に奴隷制、植民地化と絶えず悲惨で屈辱的な目にあってきた。 それは現在のグローバル社会のなかで、さらに致命的なものとなっている。

 「ダーウィンの悪夢」は、国際機関や欧米日本による国際援助の多くが実は名ばかりで、その実態は最貧を一層劣悪な環境に追いやっている。

 その実態を監督が現場に長期にわたり滞在し、小型カメラでつぶさに取材、映像化し、最終的に先進国に告発する秀逸な映画である。
 
 日本でも琵琶湖のブラックバスやブルーギルなど外来種がもともと湖に生息してきた固有魚を絶滅させることが大きな社会問題となっている。

 1960年代、アフリカのタンザニアにある世界第2の規模を誇るビクトリア湖に、わずかバケツいっぱい放流された外来魚「ナイル・ピーチ」が、結果としてこの湖の固有種を壊滅させてしまった。

 ダーウィンといえば、「種の起源」や「進化論」で有名だ。そのダーウィンがなぜ、映画の題名となったのかが問題だ。外国からビクトリア湖に移入された「ナイル・ピーチ」は自然淘汰、弱肉強食のなかで生存競争に勝ち残った。

 しかし、その巨大な外来白身魚がグローバル化する現代で多国籍産業と結びつくことにより、状況は一変する。そして世界を震撼とさせるのである。

 「ダーウィンの悪夢」は監督自らが述べているように長編トキュメンタリー映画である。と同時に、私は国際ジャーナリストによるリアリティある長編の調査報道フィルムでもあると思う。

 いたたまれない、そして直視が困難な現実をタンザニアのビクトリア湖畔を中心に、現地に長期間にわたり滞在し、被写体に徹底密着して映像と音声としてとり続けたきわめて秀逸な作品である。


 ところでその外来魚は固有種を絶滅させるだけでなく、自らきわめて旺盛な繁殖力をもっている。その巨大な白身魚に目をつけた多国籍産業は、地元漁師がビクトリア湖から毎日せっせと水揚げする巨大魚を二束三文で買い上げ、湖畔に資本を投下し開設した魚肉工場で、超低賃金で雇った現地人に加工させる。

 それを欧州から毎日到着する旧ソ連製の大型貨物機に目一杯詰め込み送り出すのである。この白身魚の肉は欧州や日本で食べられているのである。

 「ダーウィンの悪夢」は、飽食など限界効用を遙かに超え、資本主義的そして消費者民主主義を謳歌する欧米・日本の人々や援助の名の下で結果的に欧米・日本の悪徳企業の手先と化している国際機関関係者必見の映画だと思う。

 そこでは、アフリカ大陸を援助の名の下に、まさにこれでもかと食い潰している現実が如実に表現されている。

 この映画は、カメラマンであり脚本家、そして監督であるフーベルト・ザウパー氏自らが、タンザニアに長期間滞在し、身分を「偽り」ながら、被写体群に小型カメラを向け続け撮影した映像をもとに編集されている。

 それが故に得られた世紀のスクープを2時間弱のなかで、余すところなくまた容赦なくメッセージを見る者に送る。

 .....

 長編ドキュメントのあらすじだが、秒進分歩で進むグローバル化は、いやおうなくアフリカの奥地にまで、その魔手を伸ばし続けている。

 1960年代、タンザニアにある世界第2の規模を誇るビクトリア湖に、わずかバケツいっぱい放流された外来肉食魚「ナイル・ピーチ」は、またたく間にこの湖の固有種を壊滅させてしまった。

 その繁殖力が旺盛で巨大な「ナイル・ピーチ」の白身に目をつけた多国籍企業主は、地元漁師がビクトリア湖から毎日せっせと水揚げする巨大魚を二束三文で買い上げ、湖畔に資本を投下し開設した魚肉工場で、超低賃金で雇った現地人に加工させる。それを欧州から毎日到着する旧ソ連製の大型貨物機に目一杯詰め込み送り出すのである。この白身魚の肉は欧州や日本で食べられている。

 監督のザウパー氏は、かつて戦略爆撃機としても世界に名をはせたその旧ソ連の航空貨物飛行機(イリューシン)が、魚肉を欧州・日本に毎日、輸送し、多国籍企業が大もうけしているだけではないと考えるようになる。

 ひょっとしたら欧州から武器、弾薬を積んでタンザニアの無線設備もない無法地帯化している空港を中継基地にして、民族紛争、資源争奪・収奪で紛争が耐えないアフリカ大陸各地に違法に売りさばいているのではないかと、考えるのである。

 これがドキュメンタリー映画「ダーウィンの悪夢」の最大のみどころであり、国際社会への告発である。

 ところで、魚肉の加工工場では、現地人が約1000人が職を得ている。欧米諸国には、衛生的な工場で現地人(黒人)が白衣、マスクな
どをして食肉を加工している映像がまことしやかにテレビ、新聞等を通じて流される。

 しかし、この高価な白身魚には現地人はまったくありつけない。毎日貨物飛行機で欧州に出荷するためにかり出される現地人には、信じられない賃金しか払われれていない。

 国立魚類研究所の守衛の男、実はこの男がこの映画のいわば語り部として随所に搭乗するのだが、彼は夜勤で働いても、わずか一日1ドルしか賃金はもらえない。

 しかも、いつ何時、強盗などに殺されるか分からない。何の保険、保証もない。実際、ドキュメントで地域の状況を語る守衛の男の前任者は強盗に殺されていると言う。前任者が殺されることで新たに仕事に就けたと言うのだ。

 地方からビクトリア湖畔に職を求めて多くの現地人が来る。しかし、職にありつけるのはごくごく一部、大部分はろくな仕事につけない。

 女性はロシアやウクライナ人のパイロットや副操縦士、無線師などに一回10ドルで体を売って生きながらえる者もいる。

 湖岸地域ではHIVの蔓延となる。湖畔地域では毎月40~50人がエイズで死んでゆくと言う。HIV感染者は地域社会から出て行かざるを得なくなる。

 大人でさえ極貧の中で暮らさざるを得ない湖畔地域である。まして子供達はほとんどがストリートチルドレン、ホームレス化し、魚肉工場の残飯を争って奪い合い、喧嘩で亡くなる者もいる。食物の奪い合いは、日常茶飯事となっている。

 このように、地域では毎日最低限の食べ者を巡り、また職を得るため
に、暴力、性的暴力、虐待が日常化している。 

 映画では、たびたび国連難民高等弁務官事務所、国連食糧計画、世界銀行、IMFなどのアフリカ援助に関連する映像がでてくる。“住民参加型漁業を目指す国際ワークショップ”では、外来種がもたらす環境汚染や破壊を告発する映像が流される。だが、それらはいわばガス抜きであり、為政者は地域経済が外来魚産業で活性化していると強弁する。
 
 しかし、現実はすでに述べてきた通りであり、タンザニアの為政者らは外来大型魚、「ナイルピーチ」は何も雇用も産業もない地域に大きな経済的恩恵をもたらしていると士民団体を非難、EUのコミッショナーも魚肉産業の恩恵を国際会議で強調する。

 上記のように監督は、当初から魚肉を満載して欧州などに飛び立つ航空貨物機が、欧州からタンザニアのビクトリア湖畔の空港に飛来する際にカラでくるわけはないと考えていた。

 監督は武器や弾薬を航空貨物で持ち込み、それをアフリカ大陸各地のさまままな戦場に売り込んでいるのではないかと推察していたのである。

 パイロットや整備士らはなかなか口を割らない。しかし、映画の最後の部分で、実は欧州から飛んでくる貨物機にはカラシニコフ(機関銃)や弾薬が満載されていていることを突き止める。

 ビクトリア湖畔の無線設備すらない一切ない空港に毎日飛来する航空貨物機には、密売する膨大な量の武器弾薬が航空貨物として隠されていたのだ。

 監督の言葉を借りれば、

 「魚と武器を扱う多国籍産業の繁栄は、世界最大の熱帯の湖の岸辺に、神をも恐れぬグローバル化した連合を生み出したわけだ。

 地元の漁師、世界銀行の職員、ホームレスの子供、アフリカの大臣,EUのコミッショナー、そしてタンザニアの売春婦とロシア人のパイロットからなる集団である。........

 私はロシア人パイロット達と知り合い、”同志”となった。しかしすぐに明らかになったのは、豆を運ぶ救援機はまた、同時に武器を同じ場所に運んでいるということだった。つまり豆を(援助として恵まれている難民達は、その後、夜中に撃たれるかも知れない、ということだ。

 朝になると、私の震えるカメラは、死臭漂うジャングルに、破壊されたキャンプと死体をとらえていた。」

と言うことになる。監督はさらに続ける。

 「世界にとって最良の社会的・政治的構造はどれかという昔からの問題は解決したように見える。

 資本主義が勝利した。未来社会の究極の形態は、”文化的”で”良いと”される”消費者民主主義”と言うことだ。

 ダーウィン的に言えば、”良いシステム”が勝った。他の敵を圧倒し、あるいは排除して勝ち残ったのだ。
 
 「ダーウィンの悪夢」で私は、ある魚の奇怪なサクセス・ストーリーと、この最強の”適者”である生き物をめぐる一時的なブームを、新世界秩序と呼ばれる皮肉で恐ろしい寓意に変えることを試みた。

 だから同じ類の映画をシエラレオネでも作ることができる。

 魚をダイヤに変えるだけだ。ホンジュラスならバナナに、リビア、ナイジェリア、アンゴラだったら原油に変えるだけのことだ。

 ほとんどの人はゲンダイのこの破壊的なメカニズムについて知っているだろう。

 しかし、それを完全に描き出すことはできないでいる。それを「つかむ」ことができないから、知ってはいても、本当に信ずることができないのだ。

 たとえば、最高の資源が見つかった場所のすべてで、地元の人間が餓死し、その息子達が兵士になり、娘たちは召使いや売春婦にさせされているなんて、信じがたいことだ。

 同じ話を何度も繰り返し見たり聞いたりして、私は気が滅入って来る。

 アフリカの人々にとって、市場のグローバル化は、数百年に及ぶアフリカの奴隷制度と植民地化のあとに続く、第三のそして致命的な屈辱だ。

 全世界の人口の3/4を占める第三世界に対する富裕国の横柄さは、全人類の未来にとって計り知れない危険を生み出している。

 この死のシステムに参加しているここの人間は、悪人面していないし、多くは悪気がない。その中にはあなたも私も含まれている。 」