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八ッ場ダム工事のその後E
破壊される自然と疲弊する国土
青山貞一・池田こみち・鷹取敦
掲載月日:2013年5月6日
 独立系メディア E−wave Tokyo

無断転載禁

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 次第に国民の関心が薄れている八ッ場ダム工事問題であるが、国民の多くは、2009年秋、民主党がコンクリートから人へと、この八ッ場ダム工事の中止を声高らかに宣言したことを政権交代のひとつの大きな成果と感じ取ったはずだ。

 しかし、実際に現地を訪れてみれば、それが計画からほぼ半世紀以上に渡るあらゆる土木工事のデパートのように大規模に自然を改廃し、工事のための工事がひたすら行われてきた事実に唖然とするばかりで、何とも嫌な感じを受ける。

◆青山貞一:止まらないダム・道路建設   PDF(印字用)版

 私達は、公共政策や公共事業を評価、判断する重要な視点として、@社会経済的な必要性、A土地利用・環境面・技術面からの妥当性、B情報公開、市民参加など適正手続(Due Process)面からの妥当性の3つを掲げ、絶えず個別具体の現場で検証してきた。


出典:青山貞一、東京都市大学公共政策論のパワーポイント

 八ッ場ダム事業は、どう見ても上記の必要性、妥当性、正当性のいずれもが欠けていると思える。

 確かに、国道145号の付け替えや危険な曲がりくねった道が広くまっすぐに高規格化されたことで便利に安全にはなったと思う。

 しかし、その一方で、東京などから訪れる観光客は、一目散に草津にたどり着くことができ、肝心な地元、長野原町や川原湯温泉は通過点となり町は廃れていくことが危惧される。

 従来からダム湖で栄えた町がないと言われるように、この長野原でもすばらしい道路、鉄道、河川改修や山の斜面、下線護岸の法面はコンクリートで固められたものの、それで「万骨枯れる」ことが目に見えている。

 人々は新しい道路をドライブしながら新緑や紅葉を楽しむことと思うが、そのまままっすぐ草津に流れるのは必至である。

 この先、どのように長野原町や川原湯温泉街を立て直し、生活を軌道に乗せていくのか、道の駅や新駅などのハードの整備だけではまったく展望はないだろう。

 まずは、今回撮影した映像、写真と後に掲載する動画から現状をご覧いただき、この半世紀、巨額を投じて政治がこの地域にしてきたことが何だったのか、じっくりと考えていただければ幸いである。

 この谷間の虚構で繰り広げられている現実と実態は、日本の行く末を暗示している。かのローマ帝国が滅びた直接的な原因は、不要な土建公共事業をブリテン島、すなわち現在のスコットランドやイングランドなど英国の地まで行ったことにある。

 私達は2012年7月、現地、英国でその痕跡を見てきた。八ッ場ダムはじめ日本各地で巨額の税金、借金で進められてきた巨大なダム構造物が1000年後、ハドリアヌスの長城ならぬ国土交通省の長城とならないことを願うばかりである。

◆青山貞一・池田こみち:ローマ皇帝・ハドリアヌスの長城


アントニウスの長城とハドリアヌスの長城の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


下部が土に埋もれたハドリアヌスの長城
撮影:青山貞一 Nikon CoolPix S8 2012-7-25


残存するハドリアヌスの長城
撮影:池田こみち Nikon CoolPix S10  2012-7-25

<現代に通用する教訓、ハドリアヌスの土木事業撤退の英断>
 この部分は、青山貞一・池田こみち:ローマ皇帝・ハドリアヌスの長城 の再掲。

 領土拡張を続けていたローマ帝国が、拡張政策を続けることを断念した政策転換点としても象徴的なことであった。

 ハドリアヌスの長城の近くには兵士用の浴場などの遺跡が発掘されており、ローマ帝国支配時代の同地における要塞の戦力報告書や兵士、市民の人口統計調査書などが発掘されている。

 ところで、ローマの領土拡大戦略は、同時に侵略した領土の支配のための派兵や滞在、支配地域における民衆の不満を抑えるために円形闘技場や大浴場の建設などど、土木工事から兵站に至るまで巨額の経費がかかることをも意味した。にもかかわらず前線では兵士の士気がどんどん衰えていったという。

 肥大化したローマ帝国がさらに占有、支配した領土での士気やモラルの低下は随所で顕在化する。

 ハドリアヌスはローマ帝国の東部で係争中のパルティア戦役の事態収拾にあたった。パルティアはカスピ海南東部、イラン高原東北部など中東から中央アジアにまたがる一大遊牧民の長である。

 先帝トラヤヌスの積極策により、当時のローマ帝国は東はメソポタミアにまで勢力を拡大し、帝国史上最大の版図となっていた。 だが、これは同時に隣国であるパルティアを刺激し、東部国境の紛争激化と周辺地域の不安定化をもたらしていた。


残存するハドリアヌスの長城
撮影:Nikon CoolPix S10  2012-7-25

 ハドリアヌスはこれらの状況をふまえ、ローマとして防衛や植民地維持が困難なメソポタミア方面からの即時撤退を進めるとともに、隣国パルティアとの関係改善に努力した。ハドリアヌスの決定には、国境を示しそれ以上の拡大を戒める意図もあった。この結果、両国間の紛争は減少し、東部国境に長期にわたる安定をもたらしたのである。

 ハドリアヌスは東方の隣国との外交問題を収拾した後、一転し国内に目を向ける。

 その取り組みの多くは、ハドリアヌス自身が帝国各地を4度にわたり踏査したことから得た課題と解決策である。ハドリアヌスは実際に自分が経験し得たことをもとに、国内改革を次々に打ち出したのである。

 ハドリアヌスの領土内の現地視察は少数の随伴者のみによる立ち入り調査や抜き打ち調査の形で行われた。さらに巡幸先の各地では、ハドリアヌス自らが土木工事などのインフラ整備から軍備の再編まで、個々に指示を出すとともに、今で言う歳費削減のための徹底した行政改革や合理化を行ったと推察されている。

 ひるがえって、日本では政権がかわり、ハドリアヌスどころか国土強靱化計画など、さらにこの狭い国土を鉄とコンクリートで固める政策が大手を振って歩こうとしている。

 もとより、2012年12月の総選挙で自民党が獲得した票数は、おそらく有権者の1/3ないしそれ以下である。その自民党が防衛、国土、金融、経済、産業、憲法、原発などの分野で国民の意向を離れ、やりたい放題を繰り返す可能性が大だ。

 原発ひとつをとっても、国民の依然として70%が危惧し反対する原発をこともあろうか、総理大臣自らが海外諸国に売り込んでいる。到底信じられないことだ。

 八ッ場ダム工事との関連で言えば、ハドリアヌスのようにいわば国の将来を考え、「引き返す」という理念や政策こそ、今の日本にとって大切なのではないだろうか?