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中山道、信州 宿場探訪

和田宿本陣(建物)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

May 15, 2015
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信州 宿場探訪 (中山道 和田宿編)
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◆和田宿本陣(建物)


 出典:中山道和田宿 長和町教育委員会、長和町産業振興課

 以下は、和田宿本陣、建築物の解説です。


出典:歴史の道 和田宿本陣資料館

 以下は上記解説の書き起こしです。

◆中山道和田宿本陣

 この建物は中山道和田宿の本陣として、文久元年(1861年)に建設されたものである。この年の三月には宿場の大半を火災で焼失し、前身の本陣もこの際に灰燼に帰したが、十一月の皇女和宮降嫁の宿場町とされていた和田宿では、この使役を全うすべく幕府の拝借金(約2000両)を得て、宿場の復興が行われその中心建物として再建されたものである。

 本陣建物は大名などの宿泊に当てられる「座敷棟」と、本陣の所有者が生活する「居室棟」に別れており、この建物は「居室棟」にあたる。
 
 建物の規模は約444m2(135坪)、高さ5.3m、棟高さ8.8mで、正面の開口12間は宿内最大規模で、約1.5mと深い軒の出、出桁状に張り出した2階部分の立面は逆に後退させ土庇風とし、出桁上の壁面は格子を儲けず幅広の貫を通す、陰影深く重厚な外観を観せている。

 内部は延べ14の部屋に別れ、土間上部のみに二階部屋が2室ある。また背面には湯殿と三棟の便所が付属している。使用されている木材は、土台を栗とするほかは大半が唐松で、一部に杉が混ざる。
 
 屋根は石置きの板葺き屋根で、手割りの栗板を並べて石で押さえている。

  明治維新後は本陣の機能を終えて、村役場・農協事務所として昭和59年4月まで使用されたが、役場の新庁舎移転に伴い解体の運命にあった。しかし、調査の結果、和田宿における重要な遺構としての価値が認められ、昭和61年より解体修理が行われ、5年の歳月と総工費約1億8千万円をもって、往事の姿に復元された。



◆本陣建物「居室棟」

 本陣の建物の全体規模は約444m2(135坪)、高さ5.3m、棟高さ8.8mで、正面の開口12間は宿内最大規模です。

 約1.5mと深い軒の出、出桁状に張り出した2階部分の立面は逆に後退させ土庇風とし、出桁上の塀面は格子を設けず幅広の貫を通す、陰影深く重厚な外観を観せています。

 下の写真は和田宿本陣「居室棟」の一階内部の平面図(間取り)です。

 その意味で、修復し現存する本陣1階の建物は、全体の半分といえます。


出典:和田宿本陣資料館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


出典:和田宿本陣資料館
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 上記解説にあります、本陣建物は大名などの宿泊に当てられる「座敷棟」と、本陣の所有者が生活する「居室棟」に別れており、この建物は「居室棟」にあたる。の「居室棟」に当たる建物です。

 学芸員の説明に寄れば、「座敷棟」は、明治維新後は本陣の機能を終えた時点である寺院に移譲されているそうです。

◆「座敷棟」について

 和田宿本陣は、文久元年(1862年)3月の大火で焼失したが、同年11月の皇女和宮隆嫁にそなえてただちに再建された。その後明治期に座敷棟は丸子町龍願寺へ、また座敷棟の正面にあった御入門は丸子町向陽院へと、それぞれ移築された。
http://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/nagakubo_wada/wadashuku/wadashukuhonjin.html

 和宮内親王が御下向の際に宿泊するなど、来賓が使用した「御殿」は、維新後に龍顔寺(上田市生田)に移築されています。長野県内の中山道の宿場で現存する本陣母屋は、和田宿と塩名田宿に残るのみで、1,633個もの置石が乗る手割りの栗板葺屋根は、日本一の規模と推定されます。
http://marugoto-nagawa.jp/highlights/wadajyuku.html

 下の平面図(間取り図)は、右側が現在の本陣に残されている「居住棟」、そして左側が丸子町龍願寺に移築されました「座敷棟」です。左側の「居住棟の右側に板の間、下に土間があることが分かります。


「居住棟」と「座敷棟」の平面図(間取り図)
出典:和田宿本陣資料館

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 皇女和宮が宿泊した際は、皇女そして侍従等が本陣に宿泊し、武士等は脇本陣などに宿泊するなど、同じ和田宿でも異なっていたそうです。

 内部は述べ14の部屋に別れ、土間上部のみに二階部屋が2室あります。

 部屋は八畳敷が基本となっており、畳の並べ方は宮家と武家とでは異なっていたそうです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 下は縁側です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

 土間上部のみに二階部屋が2室あります。下の写真はそのうちのひとつの部屋で、現在さまざまな籠がおかれていました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4

  屋根は石置きの板葺き屋根で、手割りの栗板を並べて石で押さえています。屋根の吹き替え修復工事だけで2000万円がかかったそうです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-5-4


つづく