エントランスへはここをクリック   

第3回 アマルフィ海岸自治体の持続可能性基礎調査 2013-6
A Survey on Sustainability of Costiera Amalfitana Comune

初夏のアマルフィ海岸を行く
 6日目

トラモンティの歴史

    青山貞一・池田こみち  2013年6月14日
 独立系メディア E-wave Tokyo  無断転載禁


 2013年アマルフィ海岸現地視察調査報告<125本 全体メニュー>


    
ソレント半島の位置  トラモンティの紋章  イタリア国旗

◆トラモンティの歴史


トラモンティの町役場の壁にあったタイルの絵   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 トラモンティの起源は定かではありませんが、歴史家の報告によればその紀元は古く紀元前4世紀または5世紀にまでさかのぼるといわれています。

 その報告によると、「ローマ人に追われ闘い、近場の村で隠れ家を探さざるを得なかったPicentiniが分散してこの村の基礎を築いた」ということぐらいしか、トラモンテイの初期の時代については、記録がないとされています。同様の考え方は歴史的にCerasouliについてもあり、トラモンティは、PicentiniとEtruscans、その他の人々が集まって町が形作られたと考えられています。

 アンドレア・モラ・トラモンティの報告を手がかりに歴史をひもとくと、トラモンティの原住民はその起源は紀元前4世紀から5世紀に遡りますが、アマルフィやスカーラを築いたローマ人の共同体として、安全の観点から、村の西端のCesaranoに居住していました。この村は長くトラモンティの主要な砦(堡塁)であり 、王子Durazzoおよびナポリのアラゴンにとの戦いを援護する必要(役割)があったとされています。人口は次第に増加し、地域に広がり村が分割されてゆきました。

 以下(中央)に示すトラモンティの象徴(エンブレム)もこのことを暗示しています。すなわち、三つの山の上に三日月を置いた形となっています。

    
ソレント半島及びアマルフィ海岸の位置。真ん中はトラモンティの紋章

 中世古代聖書を見ると、現在の領域を構成している13の集落以外にも、その他の村(その名前を地域の中で最も重要な家族から取った)の存在についての情報を得ることができます。

 トラモンティもアマルフィ共和国の隆盛には重要な役割を果たしていました。沿岸地域の人々と一緒に、ロンバルド アレチU世(Lombard Arechi U)からアマルフィの市街地を防衛するため、また、Sicardの野望と闘うため、アマルフィがナポリの君主の支配から開放されるまで闘いを続けたのです。
839年12月、アマルフィは共和国の宣言を行い、その後3世紀以上にわたって大きな海軍力をもつ国として、輝かしい発展を続ける事になります。

 歴史資料によれば、トラモンティはアマルフィの海洋共和国の重要な構成員として、西暦839年から1200年頃にかけ、地中海における共和国の主要産業である貿易、交易を内陸、背後から支えてきたとされています。この時代、すなわち9世紀はアマルフィ大聖堂が創建された時代と一致しており、トラモンティの存在はアマルフィそしてアマルフィ共和国の歴史とともにあったことが分かります。

 しかしながら、トラモンティはアマルフィ海岸沿岸の他国と同様に、町の没落というのは、アマルフィというまちと切り離しては考えられません。実際、アマルフィの偉大さ、そして、その高い地位は、周辺の町々の軍が貢献した苦闘と勝利と切り離しては考えられないのです。

 トラモンティは海洋共和国アマルフィ繁栄の歴史の中で、共和国の防衛上非常に重要な役割を果たすとともに、共和国の通商交易そして芸術・文化の発展を支えてきたまちといえます。


This photo of Tramonti is courtesy of TripAdvisor


中山間地の牧歌的雰囲気が漂うトラモンティ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8



山裾には至る所に段々畑があるトラモンティ 撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 一方、トラモンティは沿岸共和国の没落とともに、ノルマン民族とそれにつながる人々による支配が始まり、アマルフィの暗黒の時代が始まり、アマルフィ海岸一帯はその輝きと重要性を次第に失っていったのです。具体的には1197年にアマルフィ公国のSwabiansを通過、そして 1266年にチャールズ1世がAngevinsに入り、続いて、1442年にアルフォンソ1世がAragoneseへとノルマン人がアマルフィ公国領内を侵攻していったのです。

 このように、トラモンティは、またアマルフィ海岸の他のコムーネ同様、ローマ人によって創設され、公国、共和国の衰退をともにした地域ですが、独特の歴史と文化をもつ魅力的なまちでもあります。

 トラモンティはアマルフィ沿岸の共和国への支援以外に、山々に囲まれた希有な景観を持つ保養地として永年、著名人の居住地に選ばれてきました。ポジターノはイタリア以外の国々の有名人が別荘を持っていることで有名ですが、トラモンティはポジターノと対照的に牧歌的な農村風景を享受、愛する署名人の別荘地として今なお根強い人気をもっていると言えます。
 
 さらに、自然環境面から見ると、トラモンティはアマルフィ海岸のコムーネに対し巨大な「緑の肺」、すなわち清浄な空気、とりわけ酸素の一大供給源となっているとも言えます。


つづく