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    ボロブドウール寺院遺跡群
  Archaeological site of Borobdur templ
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 ムドラ・ラクサ船の歴史
 Museum Kapal Samudra Raksa

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda
掲載月日:2017年1月31日
独立系メディア E−wave Tokyo
 
無断転載禁
@ 博物館へ A 博物館概要 B 船のレリーフ C 船の絵画 D 船の歴史
E 船の航路 F 船の展示 G 造船所 H シナモンルート I 海のシルクロード
J 大航海時代 K 東インド会社 L 東インド会社2 M 日本の進出

◆Samudraraksa船の歴史


This photo of Samudraraksa Ship Museum is courtesy of TripAdvisor

 以下はインドネシア版のWikipediaなどを出典としています。

 1982年11月8日、ボロブドゥール寺院を訪問したフィリップ・ビール(元英国海軍)は寺院の回廊の壁に刻まれた船のレリーフを見たときに、Samudra Raksa 船の歴史が始まりました。
 
 8世紀、インドネシアの船員らによって行われた遠征と同じ様な船を建造することを考えました。フィリップ・ビールはそのためオーストラリアの海洋考古学者のニック・バーニンガムに接触しました。

 そして20年後、フィリップ・ビールの夢は、ボロブドゥール寺院回廊のレリーフに見られるような船を設計することに向けられ2002年9月、具体化されてゆきます。フィリップ・ビールは船を設計した後、2003年1月19日、船の原型を作るため、マドゥラ島に存在する69才(当時)のアブドラに連絡を取ったのです。

 そして、アブドラと数名の外国人建築家の手によって、船を建造するための材料はすべて木材を使用し、 伝統的な工法、技術によって建造されました。

 2003年5月に船の建造を受注したフィリップ・ビールにより船が出来上がりました。

 船の長さは18.29メートル、幅は長いところで4.50メートル、狭いところで2.25メートルの幅となっています。リアホイールハウス、キッチン、キッチン用シンクとして使用されているキャビンと船の前部には、ダイニングルームやナビゲーションの中央部として、ベッドとして使用しました。

 この船はエンジンを使用せずに航海します、船には二つの帆柱、二つのステアリング、さらにダブルアウトリガーが装備されています。船の航行位置を設定するための全地球測位衛星(GPS)、海上通信用設備)、気象情報を受信するためのナブテックス、水深を検知するための音響測定装置、インマルサットを使った電話衛星、さらにラフトはフローティング・イカダなどの救命装置が装備されています。

 船が完成した後、2003年5月に乗組員候補の選定を行いました。その選考からインドネシア、オーストラリア、ニュージーランド、英国、スウェーデン、フランスから27名の乗組員が選ばれたのです。乗組員の最終選定、またプトゥングラ Sedahaが、2003年5月25日に船が船長に任命されました。

 2003年6月には、その乗組員とともに船はバリ島のPangerungan島に向けてクルーズを試験航行しました。試験航行に成功した後、2003年7月2日、ジャカルタにある造船所でセミナーが開催されました。そしてその22週間後の2003年7月16日に船は文化大臣によって国民にお披露目されました。

 2003年7月22日、船はジャカルタに到着した後、北ジャカルタにあるアンチョールや東ジャワのスラバヤのなどに寄港しました。2003年8月15日、船は大統領メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリによってSamdra Raksaと命名されました。これはインドネシア語で「海の守り神」を意味します。

 その後、サムドラ・ラクサ船は、遠洋の長期航海の航路としてジャカルタ→マダガスカル→ケープタウン→ガーナが決定されました。この遠洋航海で
サムドラ・ラクサ船は、乗組員のための生活物資として、新鮮な水を1500リットル、米900キロ、二つの直立帆、1トンの薪などの食品や調味料を準備しました。


北ジャカルタにあるアンチョール 出典:グーグルマップ


つづく