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千葉県3大壇林跡短訪
飯高寺社4 

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
2021年10月15日視察
独立系メディア E-wave Tokyo

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 神社本殿を取り囲むように垣を巡らしたものを「瑞垣(みずがき)」あるいは「玉垣(たまがき)」というが、それらに施された彫刻の数点を紹介する。

●匝瑳市指定有形文化財 飯高神社瑞垣 一棟 
 昭和38年3月30日指定  8846


 神社本殿を取り囲むように垣を巡らしたものを「瑞垣(みずがき)」あるいは
「玉垣(たまがき)」と呼んでいる。本神社の特徴でも有る装飾の強い神社にふ
さわしく、瑞垣にも彫刻が施され極彩色で仕上げられている。彫刻尾内容は「二
十四孝」の彫刻で有り、県内で同種のものは成田山新勝寺以外に今のところ知ら
れていない。

 廿四孝とは、中国の孝行者二十四人を現した教訓書であり、日本では江道時代
に訳本も多く刊行されていたようである。

 建築年代は江戸時代中期以降と考えられている。

 昭和63年11月 匝瑳市教育委員会


飯高神社瑞垣の解説   匝瑳市教育委員会
撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日

【二十四孝】
[一]中国で古来有名な孝子24人の称。虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝・曽参(そうしん)・閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁(ゆけんろう)・老莱子(ろうらいし)・蔡順・黄香・姜詩(きょうし)・王褒(おうほう)・丁蘭・孟宗・黄庭堅のこと。

[二](廿四孝)「本朝廿四孝」の略称。



 以下の瑞垣彫刻は宝暦七年(1757年)彫物棟梁 前林善右衛門によるものである。

出典は以下

怒涛の二十一孝! [飯高神社 其の一 拝殿と玉垣] 千葉県
http://ryugendo.tokyo/sousa-iidaka01/

仙人の座す処 前林善右衛門 [飯高神社 其の二 御本殿] 千葉県
https://ryugendo.tokyo/sousa-iidaka02/


玉垣廿四孝 北東の五 「陸績」 懐橘遺親 橘を懐にして親に遺る

 右側の人物が太守でその前にいるのが陸績、左は母親。

 陸績は後漢の時代(25~220)の人で、字を光紀という。六歳の時、九江地方
の袁術という太守を訪ねた。袁術はその地の名物蜜柑を出して歓待してくれたの
である。陸績はご馳走になり、帰りに蜜柑を三つ懐に入れて、袁術に挨拶に行っ
たところ、懐から蜜柑がこぼれ落ちてしまった。これを見た袁術は「陸績よ、君
は人の客となって、密かに蜜柑を懐にするのは、卑しい振る舞いでは内科」とい
うと、陸績は、「蜜柑は私の母の大好物なので、これを差し上げたら喜ぶと思い
・・・」と訳を話した。これを聞いた袁術は、幼きに似ずその厚き孝心に感動し
たという。

 千葉県立飯高特別支援学校/飯高を世界に広げよう大作戦


撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日

【二十四孝】
[一]中国で古来有名な孝子24人の称。虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝・曽参(そうしん)・閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁(ゆけんろう)・老莱子(ろうらいし)・蔡順・黄香・姜詩(きょうし)・王褒(おうほう)・丁蘭・孟宗・黄庭堅のこと。


●玉垣廿四孝 西の四 「張孝、張禮」  8861

 二人の兄弟と槍を持つ盗賊(右)

 二人は仲の良い兄弟である。世は飢饉で食べる物もなかった。八十歳の母の食べ物を探しに、弟の張禮が木の実を探しての帰り道、盗賊に出会い捉えられ食べられそうになった張禮は、盗賊に「今しばらく閑を下さい。年老いた母に木の実
を食べさせた後、私を食べて下さい」と言った。言えに反り母に食べさせた後、
再び盗賊のもとに戻ってみると、不信に思った兄の張孝が後を付けてきて、盗賊
に「私の方が太っているから私を食べて下さい」と言った。盗賊は二人の孝心に
うたれ食べ物を与えたという。

千葉県立飯高特別支援学校/飯高を世界に広げよう大作戦


撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日

【二十四孝】
[一]中国で古来有名な孝子24人の称。虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝・曽参(そうしん)・閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁(ゆけんろう)・老莱子(ろうらいし)・蔡順・黄香・姜詩(きょうし)・王褒(おうほう)・丁蘭・孟宗・黄庭堅のこと。


玉垣廿四孝 西の二 「猛宗」 哭竹生筍 竹に哭き筍を生ず  
 8863

 
 鍬を持ち彫っているのが猛宗、筍も見られる。

 二国時代(220~280)、呉の国に猛宗という人が居た。亜聖孟子の十九代の裔(えい)という。幼くして父を亡くし、母は年老いて病に伏していた。ある冬の日、母は筍の吸い物が食べたいと言い出した。冬のことでもあり、筍はまだ有るはずも無く、春を待たなければならないのに、猛宗はそれでも竹林に出かけた。食べさせられないのを悲しんで鍬を入れると、地面から筍が出てきたのである。
母親はこの筍の吸い物を食べ元気になったという。

千葉県立飯高特別支援学校/飯高を世界に広げよう大作戦


撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日

【二十四孝】
[一]中国で古来有名な孝子24人の称。虞舜(ぐしゅん)・漢の文帝・曽参(そうしん)・閔子騫(びんしけん)・仲由・董永(とうえい)・剡子(えんし)・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁(ゆけんろう)・老莱子(ろうらいし)・蔡順・黄香・姜詩(きょうし)・王褒(おうほう)・丁蘭・孟宗・黄庭堅のこと。


 玉垣にはその他たくさんの彫刻がある。以下はそのごく一部。


玉垣彫刻
撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日


玉垣彫刻
撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日


玉垣彫刻
撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日


玉垣彫刻
撮影:池田こみち iphone 2021年10月15日


脚注

^ [千葉県神社名鑑より]
^ a b [香取郡史より]
^ 大法師浄蔵伝が引用した外記日記に「将門殺害の知らせを平某が安部忠良に知らせた云々」とありこれが平良文の可能性が高いことがわかった。今まで伝承にしか登場しなかった平良文が初めて信頼できる史料にあらわれた。敗死後すぐに伝達されたことから反将門側にいたこことが推察される。[千葉県の歴史 通史編 古代2より]
^ a b [東総の城郭と居館跡より]
^ a b [新編 飯高村郷土誌市史編さん資料より]
^ [ふるさとの歴史(飯高地区のむかしより]

参考文献

千葉県神社名鑑 編:千葉県神社名鑑刊行委員会
香取郡史 編:千葉県香取郡
千葉県の歴史 通史編 古代2 (財)千葉県史料研究財団
東総の城郭と居館跡 秀英社 高森良晶 椎名幸一
ふるさとの歴史(飯高地区のむかし)編:石渡治雄 発行:飯高地区の歴史を守る会 飯高教育振興会
新編 飯高村郷土誌市史編さん資料 編:八日市場市史編さん委員会


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