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千葉県3大壇林跡短訪
中村壇林跡(日本寺)3
 


青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
2021年10月15日視察 2021年10月31日公開
独立系メディア E-wave Tokyo

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青山貞一・池田こみち・千葉北東部3壇林視察計画


日本寺本堂(中村壇林講堂)


出典:Wikipedia

◆正東山日本寺の歴史

1319年(元応元年) 法華経寺・日祐は千葉胤貞より、土地の寄進を受け、高祐山東福寺を建立する[1]。

 1591年(天正19年) 正東山日本寺と改称する。
 1599年(慶長4年) 妙福寺・日円は中村檀林を開檀する[2]。
 1630年(寛永7年) 身池対論に中村檀林から日充が臨む。
 1872年(明治5年) 学制発布により、中村檀林は廃檀する。

. 正東山日本寺(千葉県香取郡多古町南中1820-1)
 創建 元応元年(1319)
 開祖 日常上人
 開山 日祐上人
 学祖 日円上人

 700年の歴史を持ち、かつては関東三大檀林の一つ中村檀林として全国から学僧をつのり270年の檀林時代に延べ10万人の僧侶を輩出した由緒ある寺である


文化財

 扁額(多古町指定有形文化財) 本阿弥光悦筆で日本三額の一つ。
 山門(多古町指定有形文化財)
 鐘楼(多古町指定有形文化財)

旧末寺

 日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

 妙道寺(千葉県香取郡多古町喜多)
 常高祐山東福寺(千葉県香取郡多古町南中)

中村檀林

300年続いた学僧たちの学舎


 正東山日本寺は、中山法華経寺(千葉県市川市)の三世日祐上人が元応元年(1319)に開基した日蓮宗の古刹。仏教史上有名な檀林(学校)のある寺として知られ、全国から学僧たちが集まりこの地で学びました。

 日本寺に中村檀林が開かれたのは慶長4年(1599)。寺の十世を継いだ広才博学の僧日円によるもので、その歴史は明治5年まで続きます。

 隆盛期には千人近い学僧がいたといわれ、数十棟の学坊が軒を連ねていました。僧たちは東西に分かれて勉学に励み、春と秋の2回、それぞれ3カ月にわたり「新説」(しんだんぎ)とよばれる論争を繰り広げます。

 討論のテーマは日蓮宗の教義はもちろん、世間での出来事、社会問題にまでおよび、席上活躍のめざましかった学僧は、番付表に名札があげられました。論戦には土地の役人も招かれ、多くの村人が見学に押し寄せたそうです。


本堂(講堂)


中村壇林(日本寺)の本堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



中村壇林(日本寺)の碑
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

扁額

山門正面に掲げられている「正東山」の扁額は、本阿弥光悦の真筆といわれ、日本三額の1つにあげられています。このほか、日本寺には水戸光圀ゆかりの屏風も所蔵されています。


中村壇林(日本寺)の本堂前の扁額
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

日本寺本堂前の 「正東学庠」の扁額

 庠は訓読みすると学び舎。古代中国では学校を庠と言っていたそうだ。今で言えば「正東学校」という昔風の呼び名となる。


中村壇林(日本寺)の本堂前の扁額
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



中村壇林(日本寺)の本堂前でおみくじをひく池田こみち
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900



日本寺の庫裏
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900




撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 これは本堂の側面。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 以下は伽藍等の詳細解説
 出典:近世日蓮宗関東檀林・京都檀林

 「北総日本寺境内図」(文化元年・1804)では 中無r壇林は、講堂、方丈、妙玄院、玄論場、文論場、玄義談論場、文句談論場、食堂、浴室、作事、鐘楼、皷楼、経蔵、大門、三門、妙見宮、豊田神祠、岡田神祠 から成る。とあり。、

 大門は南に開かれ、左折して三門に至る。この間の右に院師廟所、歴代墓所がある。三門を入り、左に玄義談論場、右に文句談論場がある。三門より講堂までの間に玄論場と食堂を配する。とある、また

 講堂前左に経蔵、右に鐘楼、皷楼があり、背後には方丈があり廊下で繫がる。方丈左に作事1棟がある。また

 講堂左に妙見宮、その北に岡田天王、豊田天王が並んである。また講堂東北に妙玄院、文論場があり、かなり離れて北側浴場がある。さらに

 檀林の谷は東谷、西谷とあり、東谷に8寮、西谷に29寮、妙見社3社がある。
現在の講堂は明治25年の再建である。


中村壇林(日本寺)4へつづく