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伊能忠敬と日蓮の足跡を
たどる千葉の旅
 

佐原の江戸時代の町並み2

青山貞一 Teiichi Aoyama・池田こみち Komichi Ikeda
Dec.11, 2018 独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁


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伊能忠敬旧宅1  伊能忠敬旧宅2  伊能忠敬の生い立ち

歴史

 飛鳥時代、佐原は下総国の香取郡・海上郡に属すことになりました。鎌倉時代になると、香取神宮と大戸に荘園ができ、各地で定期市が開かれるようになりました。特に香取神宮付近は門前町としてひらけました。

 近世初頭に徳川家康は矢作(四万石)に譜代家臣の鳥居元忠を配しました。元忠は岩ヶ崎城の築城に着手しましたが、伏見城での元忠の死などにより、結局完成を見ずに廃城となりました。その後は分割され、幕府直轄領や旗本領・大名領が混在しています。ただし実際に大名領となった土地は少ないはずです。

 江戸後期になると、小野川周辺は利根川舟運の中継地として栄えるようになりました。千葉県の歴史にあっては、江戸時代、佐原が栄え、明治以降、船橋、千葉とその中心は移って行きました。

 現在の佐原町の人口は4万7千人ほどです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11



出典:北総の小江戸、水郷 さわら 観光マップ
 (佐原町中心部の地図)



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11

 街中を流れる小野川には一羽の白鳥がいました。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900   2018-12-11

 下は市民が白鳥に餌を与えている写真です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11

 小学校帰りの子供たちが餌をもらっている白鳥を橋の上から見ています。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900   2018-12-11


 下は素晴らしい格子戸の家です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900   2018-12-11

 格子戸は、格子状の引き戸若しくは扉を意味します。「格子」は古文書では、「隔子」と書かれていることが多く、元慶七年(884年)河内国観心寺縁起資財帳によると、如法堂の正面に「隔子戸」四具が建てられていたとあります。 戸とあるから、蔀(しとみ)ではなく大陸様式の開き戸であったと考えられています。

 下の写真は江戸期に建てられた佐原の一般民家の家の格子戸です。


江戸期に建てられた民家の格子戸(香取市佐原)
Sourcde: Wikimeddia Commons



撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900   2018-12-11



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900   2018-12-11


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出典:北総の小江戸、水郷 さわら 観光マップ (佐原町中心部の地図)