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超高層ビルの谷間の日本の美

東京芝の増上寺

17.特別拝観「絵はがき」-1

旧有章院霊廟・旧昭文院霊廟・旧台徳院霊廟


青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


November 10, 12, 15 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
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超高層ビルの谷間の日本の美 東京芝の増上寺
@紅葉   E徳川家霊廟門   J三解脱門   O芝東照宮 
A増上寺概要   F徳川家霊廟   K方丈門   P絵はがき1
B伽藍・大殿   G四大菩薩   L御成門    Q絵はがき2
C伽藍・安国殿   H鐘楼堂・水盤舎   M有章院霊廟門   R狭山不動寺
D西向観音 I惣門 N大門 補遺
歴代徳川将軍家家系


芝増上寺徳川家霊廟 鋳抜門 についている徳川家の紋章
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-12


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-15

 以下は増上寺の徳川将軍家霊廟特別拝観でいただいた絵はがきからです。特別拝観は、土日あるいは一定数の団体に対して行われています。拝観料は絵はがき付きで500円(大人)です。

 本稿では、最新のデジタル画像(写真)処理技術を用いて増上寺特別拝観でいただきました絵はがきなどについてピント及びコントラストを補正しています。絵はがきの実物より格段に正確かつ美しく見えると思います。


昭和20年の戦災以前の増上寺霊廟図  出典:増上寺配付資料

 以下の絵はがきにあります霊廟は、いずれも太平洋戦争、第二次世界大戦で消失しています。




往事の有章院霊廟二天門の位置 出典:増上寺配付資料

 以下の絵はがきの写真は上の地図の番号に符合します。


@台徳院殿(二代秀忠公)霊廟 惣門
 寛永9年(1632)造営。旧国宝、現 国指定重要文化財。
 台徳院殿霊廟の表門にあたり、奥にみえる勅額門から本殿、奥院へと続く。
 戦災による焼失を免れた数少ない建造物。


A台徳院殿(二代秀忠公)霊廟 奥院宝塔
 旧国宝。寛永9年(1632)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 奥院、八角の覆堂内部に祀られた宝塔(墓塔)。装飾美麗であり、当時の工芸
 美術の粋を尽くしたものであった。

 下は:長崎大学付属図書館所蔵の台徳院宝塔の写真です。上の絵はがきのカラー版です。


台徳院宝塔   出典:長崎大学付属図書館


B文昭院殿(六代家宣公)霊廟 拝殿内部
 旧国宝。正徳3年(1713)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 本霊廟は増上寺の南半を占めていた。二天門から勅額門、中門を抜け、渡廊を
 進むと、霊廟主要部である拝殿、相之間、本殿へと至る。


C文昭院殿(六代家宣公)霊廟 左右廊内部
 旧国宝。正徳3年(1713)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 第三の門である中門の左右に続く廊内部。中門の内に、拝殿・相之間・本殿
 より成る権現造の御霊屋(霊廟主要部)があった。

 下は長崎大学付属図書館所蔵の有章院拝殿左右廊の写真です。上の文昭院殿(六代家宣公)霊廟 左右廊内部の写真とほぼ同じデザインであることが分かります。


有章院拝殿左右廊  出典:長崎大学付属図書館


D文昭院殿(六代家宣公)霊廟 奥院中門
 旧国宝。正徳3年(1713)造営。左奥から文昭院殿中門(現存、現 増上寺御霊
 屋入口)、右手前が慎徳院殿(十二代家慶公)中門。これより点前に昭徳院殿
 (十四代家茂公)・静寛院宮(家茂公御正室和宮様)中門と続く。


E文昭院殿(六代家宣公)霊廟 鐘楼
 旧国宝。正徳3年(1713)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 勅額門から中門に至る参道の右に鐘楼、左に水盤舎が相対し配されていた。
 桁行三間(約5.5m)、梁間二間(約3.6m)、入母屋造、銅瓦葺。

 以下は、Wikipediaにある文昭院殿(六代家宣公)霊廟 鐘楼です。やはりカラーだと一段と霊廟施設がいかに荘厳であったかが分かります。


焼失前の有章院霊廟・文昭院霊廟   出典:Wikipedia


F文昭院殿(六代家宣公)霊廟 奥院唐門
 旧国宝。正徳3年(1713)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 本殿横の仕切り門を出て西に進むと、奥院前の石段へ至る。奥院は唐門・
 拝殿、一段上がって中門(現存)・宝塔(現存)が一直線に配されていた。


G有章院殿(七代家継公)霊廟 中門・左右廊内部
 旧国宝。享保2年(1717)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 有章院殿霊廟主要部(拝殿・相之間・本殿)の入口である、中門・左右廊内部
 より勅額門を臨んだ写真。

 下は有章院殿(七代家継公)と同じ長崎大学付属図書館のカラー写真です。


有章院勅額門から霊廟拝殿中門       出典:長崎大学付属図書館


H有章院殿(七代家継公)霊廟 勅額門
 旧国宝。享保2年(1717)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 勅額門左右の外透塀は、霊廟主要部の左右廊に至るまで百七間(約195m)に
 及ぶ。外透塀奥には門内右手にある鐘楼が見える。


I有章院殿(七代家継公)霊廟 水盤舎及び井戸屋形
 旧国宝。享保2年(1717)造営、昭和20年(1945)戦災にて焼失。
 本霊廟は、増上寺北廟に、文昭院殿廟と並んで造営された。勅額門を入ると
 右に鐘楼、相対して左に水盤舎(写真左)、井戸屋形(写真右)があった。

つづく