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寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

1.調査の背景と目的

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 9 2014
Alternative Media E-wave Tokyo

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@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

 今回、東京港区芝増上寺及び徳川将軍家霊廟を現地視察し、調査を進めて行くうちに、太平洋戦争及び第二次世界大戦の空襲で増上寺の両側にあった徳川将軍家霊廟がことごとく焼失していたことが分かりました。

 さらに、昭和50年、国土計画(後にコクドに名称を変更)が増上寺の両側にあった徳川将軍家霊廟の土地を買収し、東京プリンスホテルを開発、建築しました。

 その際に、焼け残った重要文化財(級)の3つの門、それに膨大な量の石灯籠などを埼玉県所沢市上山口に開発されたユネスコ村に隣接する 正式名称、狭山山不動寺に移築していたことが判明しました。さらに増上寺にあった1000本に及ぶ石灯籠や一部青銅の宝塔なども狭山山不動寺はじめ関東各地さらに長野県、新潟県、青森県などの寺に移築していたことも分かりました。

 狭山山不動寺がある所沢市上山口には、現在までに東京都の山口貯水池、ユネスコ村、西武遊園地、西武ドームなどが開発されています。

 この狭山山不動寺は、国土計画が昭和50年に創建した寺院ですが、増上寺だけでなく全国各地の寺院から伽藍などを移築しており、まさに寺社仏閣の「明治村」とも言えるものであることが判明しています。

 一方、増上寺をめぐる論考の<補遺>に書いたように、国土計画、後にコクドは、もともと広大な増上寺両側の徳川霊廟を買収し、そこに東京プリンスホテルとともに広大な駐車場や庭園を設置してきましたが、焼け残った石灯籠以外の2つの門、すなわち御成門と有章院霊廟二天門を駐車場の片隅に、そまつに置き去りにしていることなども現地調査で判明しています。

 一連の論考では、Rの<狭山山不動寺>として、現地調査結果の概要を書きましたが、本稿では、狭山山不動寺について行った詳細な現地調査をもとに報告したいと考えます。

 最初は、国土計画、コクド、西武ホールディングスなど西武グループの概要です。

◆国土計画、コクドとは

 西武グループを築きあげた堤康次郎が設立した開発業者で、昭和初期に国立市(国立駅)や小平市(一橋学園)の学園都市開発などで成長する。

 不動産開発業者であるとともに、事実上の西武鉄道グループの持株会社であり、西武鉄道やプリンスホテル等の株式を多く保有していた。

 コクド自体は、非公開企業で株主は堤家であるため、株主であり代表取締役会長でもあった堤義明が実質的なオーナーとして、実態を公開する必要なく西武グループ全体に強い影響力を有していた。日本最大の索道(リフト・ゴンドラ・ロープウェイ)事業者でもあった。

 堤義明は政財界との繋がりが強い一方で、ウィンタースポーツを中心としたスポーツ振興に積極的でもあり、日本オリンピック委員会会長に就任して長野オリンピックの誘致に携わっている。

 日本プロ野球・西武ライオンズの元親会社(吸収によって2008年までプリンスホテルが親会社。2009年以降西武鉄道へ経営権が移動)であり、アイスホッケーチームを持っていた。

 旧称が国土計画であることから、中堅ゼネコンの日本国土開発と間違えられることがあるが、関連は一切ない。(関連会社としては西武建設がある。)

西武グループへの再編 「西武ホールディングス」

 2004年に発覚した西武鉄道の証券取引法違反事件の影響による銀行団主導の経営再建策により、2005年11月にコクドは新設したNWコーポレーションと株式交換を実施し、それまでのコクド株主(堤家)はNW社株主へ移行され、コクドは同社の完全子会社となる。

 2006年2月1日に旧プリンスホテル(西武鉄道子会社)に吸収合併され、コクドは解散。神宮前の本社屋も売却された。 同年3月に実施された旧プリンスホテルから(機関投資家を相手とする第三者割当増資を実施した)西武ホールディングスへの株式移転段階で、NW社の出資比率が大幅に低下した。

沿革
衆議院議長に就任した堤康次郎
1920年3月25日 - 堤康次郎により箱根土地を設立。
1944年2月 - 国土計画興業に社名変更。
1965年6月 - 国土計画に社名変更。
1978年10月 - プロ野球・パシフィックリーグ:クラウンライターライオンズを買収、
         堤義明がオーナーに就任。
1992年7月 - コクドに社名変更。
2004年10月 - 堤義明が西武鉄道の有価証券報告書虚偽報告の責任を取る形で、
         会長及び西武ライオンズオーナーを辞任することを発表した。
2005年1月 - 西武グループの経営改革委員会で、コクドを堤家の資産管理会社と
        その他の事業の2社に分割したうえで、後者を西武鉄道(株式上場廃止)
        ならびにプリンスホテルと合併させる方向で検討される。
2005年3月 - 堤義明、証券取引法違反容疑で逮捕される。
2005年8月 - 西武鉄道・プリンスホテルと共同で持株会社方式によるグループ
        再編計画を発表する。
2005年11月 - 堤義明、並びに法人としてのコクド・西武鉄道の有罪が確定
        (コクドは罰金1億5000万円、西武鉄道は罰金2億円)。
2005年11月 - コクドの100%持株会社「NWコーポレーション」が設立される。
2006年2月1日 - グループ再編でプリンスホテルに吸収合併され解散。
        本社があった原宿のコクドビルは同年に解体。

当時の子会社
西武鉄道
西武ライオンズ - コクド本社ビルの正面入口前にライオンズコーナーがあり、
         グッズを販売していた。
プリンスホテル

出典:Wikipedia

 <関連情報>  出典:Wikipedia 
  
 堤康次郎
 戦後は皇籍剥奪や華族の特権廃止・財産税などの負担で困窮した旧宮家や華族が都心部に所有していた邸宅地を買い取り、華族やその関係者をグループで雇用して生活を保障するとともに、邸宅地を活用してプリンスホテルを開業した。

 堤義明
 プリンスホテルは品川や高輪、赤坂、新宿、池袋(サンシャインシティ)、新横浜、幕張、大津、札幌、広島などで次々と超高層大型ホテルを開業させ、苗場、富良野、軽井沢、箱根、ニセコ、雫石など西武が開発したリゾート地でも開業や増床を進めたことにより、1994年には2万室を超えるなど当時日本一のホテルチェーンになるまで成長した。

 西武ホールディングス
 西武ホールディングスは、2004年に発覚した西武鉄道における有価証券報告書虚偽報告事件を受けて、西武グループ創業家の堤義明前社長のワンマン経営からの企業体質の改善を図るとともに、東京都・埼玉県を中心にした鉄道事業と、プリンスホテル・コクドが請け負ってきたレジャー・ホテル事業の一体型経営を行い、西武グループの経営再建をするために設立された。

◆東京プリンスホテル

 東京プリンスホテルは東京都港区芝公園にあるホテル。1964年に開催される東京オリンピックに合わせて徳川家霊廟跡に完成した。

 東京プリンスホテルは増上寺や芝公園、東京タワーに隣接し、入口前には旧有章院霊廟二天門(国の重要文化財)がある。また、5線7駅からの徒歩でのアクセスが可能なアクセスの良さが特徴である。

 2005年には、丹下健三設計の「ザ・プリンス パークタワー東京」が、増上寺と芝公園に隣接する芝ゴルフ場跡地に完成したが、同ホテルとは別のホテルとしてその後も引き続き運営されている。

出典:Wikipedia     


つづく