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自然の中の日本の造形美

徳川家康霊廟 日光東照宮

8.社殿彫刻にみる動物

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

山形美智子 Mchiko Yamagata


November 21 2014
Alternative Media E-wave Tokyo
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自然の中の日本の造形美  日光東照宮
@全体概要   D陽明門   H奥宮、拝殿
A石鳥居から表門   E陽明門〜唐門   I鋳抜門、宝塔
B三神庫、神厩舎、御水舎   F唐門  
C鼓楼と鐘楼   G彫刻にみる動物  
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

◆社殿彫刻に見える動物


出典:日光東照宮公式Web

◆社殿彫刻に見える動物

 日光東照宮の建物には、多様な動物の木彫像がみられることが多いのです。これらの動物のほとんどは平和を象徴しています。眠り猫は踏ん張っていることから、実は家康を護るために寝ていると見せ掛け、いつでも飛びかかれる姿勢をしているともいわれていますが、もう一つの教えとして、裏で雀が舞っていても「猫も寝るほどの平和」を表していると言えます。

 神厩舎には猿の彫刻を施した8枚の浮彫画面があり、猿が馬を守る動物であるという伝承から用いられています。

 この8枚で猿の一生が描かれており、ひいては人間の平和な一生の過ごし方を説いたものとなっています。日光の木彫像の中で眠り猫に続いてよく知られている「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名な三猿は、この神厩舎に造られたものの1枚に過ぎません。

 なお、「見ざる、言わざる、聞かざる」は「幼少期には悪事を見ない、言わない、聞かない方がいい」という教えです。

出典:Wikipdeia


眠り猫(ねむりねこ)【国宝】

 左甚五郎作と伝えられています。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、 うたたねをしているところから「日光」に因んで彫られたとも言われています。これより奥宮に通じます。


眠り猫   撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-21


眠り猫  出典:Wikipdeia


眠り猫の裏面にいる雀たち   
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-21


「見ざる 言わざる 聞かざる」の三猿  
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-21
    

初層背面東側獅子     Wikipedia

 下は、家康(初代)、秀忠(二代目)、家光(三代目)の干支にちなんだ「とら」、「うさぎ」、「りゅう」の彫刻です。

◆初代、二代目、三代目将軍の干支にちなんだ動物たち


徳川家康の干支、とら
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-21

徳川 家康( 松平 元康)
 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。家系は三河国の国人土豪・松平氏。永禄9年12月29日(1567年2月18日)に勅許を得て、徳川氏に改めています。松平元信時代からの通称は次郎三郎。幼名は竹千代。本姓は私的には源氏を称していましたが、徳川氏改姓と従五位の叙任に当たって藤原氏を名乗り、少なくとも天正20年(1592年)以降にはふたたび源氏を称しています。



徳川秀忠の干支、うさぎ
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-21

徳川 秀忠
 安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍。



徳川家光の干支、りゅう
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-21

徳川 家光
 江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年 - 1651年)。2代将軍秀忠の二男(嫡男)。母は浅井長政の娘で織田信長の姪にあたる江。乳母は春日局(福)、乳兄弟に稲葉正勝、稲葉正吉、稲葉正利がいます。15人の徳川将軍のうち、(父親の)正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は家光のみです。




初層頭貫木鼻の唐獅子(正面西端)      出典:Wikipdeia

つづく