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幕末の歴史を刻む上野の

6.旧本坊表門(黒門)と時鐘堂

青山貞一 Teiichi Aoyama   池田こみち Komichi Ikeda 
山形美智子 Mihicko Yamagata   鷹取 敦 Atsushi Takatori


December 19 2014
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幕末の歴史を刻む上野の森 寛永寺 
@寛永寺の誕生 D徳川家と寛永寺 H大黒天 L尾形乾山
A上野戦争 E黒門と時鐘堂 I五重塔
B上野公園と寛永寺 F開山堂、清水観音堂 J家綱霊廟勅額門
C寛永寺 根本中堂 G不忍池辯天堂 K綱吉霊廟勅額門
歴代徳川将軍家家系  徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間


寛永寺の門にある徳川家の紋章
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13





◆旧本坊表門(重要文化財)(位置)−通称黒門

 旧本坊表門(重要文化財)−通称黒門は、東京国立博物館東側の輪王寺の中にあります。寛永年間の建造物で、もとは現在の東京国立博物館正門の位置にありました。

 この重要文化財の寛永寺旧本坊表門(黒門)は保存修理がおこなわれていましたが2013年2月に補修、保存修理が完了し、2013年2月1日に公開されています。

 以下は、東京都台東区のWebからです。

江戸時代創建当初の姿に


出典:東京都台東区のWeb

 国指定重要文化財の寛永寺旧本坊表門(黒門)は、平成22年11月から保存修理を開始していましたが、このたび修理が完了し、江戸時代の姿に蘇りました。

 黒門は、寛永期に寛永寺本坊の表門として現在の東京国立博物館正門の位置に建てられました。江戸期に数々の火災を免れただけでなく、慶応4年の戊辰戦争(上野戦争)では、本坊の他多くの伽藍が焼失した中で戦火を免れ、さらには関東大震災や東京大空襲もくぐり抜けてきました。

 今回の修理では屋根部分を解体して組み直す半解体修理が施され、調査により判明した創建当初の姿に復原されましたが、
戊辰戦争の際にできた鉄砲や砲弾の弾痕は重要な歴史の証拠としてそのまま残されており、今も見ることができます。


旧本坊表門(重要文化財)(位置)−通称黒門  出典:寛永寺Web

 以下は,寛永寺境内にある旧本坊表門(重要文化財)−通称黒門の鬼瓦です。


寛永寺境内にある旧本坊表門(重要文化財)−通称黒門の鬼瓦
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


寛永寺境内にある旧本坊表門(重要文化財)−通称黒門の鬼瓦
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


◆時鐘堂
 
 以下は,寛永寺による公式解説からです。

 寛文九年(1669)に設けられたこの鐘は、現在も正午と朝夕六時の計三回、毎日時を告げています。(現在の鐘は天明七年(1787)に改鋳されたもの。)

 ”花の雲 鐘は上野か 浅草か” 芭蕉


寛永寺時鐘堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-13


寛永寺時鐘堂     出典:グーグルストリートビュー
 
つづく