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寺社仏閣の「明治村」?

狭山山不動寺(所沢市)

14.丁子門

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 8 2014
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@調査の背景と目的 E第二多宝塔、康信寺 J桂昌院宝塔 O御成門
A狭山不動寺全体 F大黒天 K本殿、書院晴明閣 P台徳院霊廟詳細1
B桜井門・石灯籠 G羅漢堂 L徳川霊廟門 Q台徳院霊廟詳細2
C石灯籠の全国移築1 H鐘楼・総門 M丁子門 R崇源院霊廟詳細
D石灯籠の全国移築2 I第一多宝塔 N勅額門
歴代徳川将軍家家系 徳川歴代将軍の生誕・没年月日と将軍在位期間

撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

崇源院(お江の方) 丁子門


丁子門の正面
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12


丁子門の前で
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12



丁子門 背面
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12



丁子門の解説
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-11-24


丁子門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12


丁子門
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12

崇源院(お江の方)
(すうげんいん、天正元年〈1573年〉 - 寛永3年9月15日〈1626年11月3日〉)


崇源院(お江の方)

 安土桃山時代から江戸時代初期の女性。一般には江(ごう)、小督 (おごう)、江与(えよ)として知られています。位階は従一位です。

 浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。いわゆる浅井三姉妹の一人で、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいます。

 最初の婚姻相手は佐治一成でしたが、秀吉によって離縁させられています。2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子が生まれましたが死別しています。3度目の婚姻相手が後に江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠です。

名前について

 「崇源院」は諡号である。幼名(通称)は「督」で、『太閤素性記』では「小督御料人」と記しており、「小(お)」は「御料人」と対になる敬称であることから、読みは「おごう」であると考えられていますが、宮中の上級女房名として「こごう」と読める可能性も考えられています。

 また、『柳営婦女伝系』などでは「督」と音が通じる「江」(読みは同じく「ごう」)として記されており、これは生地の近江もしくは江戸に因んで宛てられたものと考えられており、徳川秀忠に嫁ぐ際に「江」に改名された可能性も考えられています。

 近世期の女性は、在所に由来する号や位階を得る際などに諱を用いています。江は将軍御台所時代に「江与」と呼ばれている他、江戸城北側の邸宅を表す「北方」、将軍家世嗣正室を意味する「御新造」、将軍正室を意味する「御台所」、大御所正室の「大御台所」と記した資料が見られます。

 近世期女性の諱は、幼名に「子」を付けるケースが多いです。江も諱として「江子」(読みは「ごうし」もしくは「えこ」「きみこ」か)を用いているほか、没後に従一位を追贈された際には「達子」(さとこ/みちこ)が用いられています。

 出典:Wikipdeia


丁子門を撮影する青山貞一
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2014-11-12


つづく