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増上寺の宝物

三大経蔵(宋版・元版・高麗版)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


September 18 2015

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東京芝の増上寺の宝物
@阿弥陀如来立像 黒本尊祈願会
A三大経蔵(宋版・元版・高麗版)
B戦前の南北御霊屋・霊廟・宝塔の行先
C御南霊屋の台徳院殿奥院・宝塔(丸山古墳)
D大英博物館から里帰りした台徳院殿霊廟模型
歴代徳川将軍家家系

 2015年9月15日、増上寺の安国殿で開催された黒本尊祈願会の後、期間限定で開催されています増上寺の経蔵を視察しに行きました。場所は増上寺入って左側になります。

 下は遠くから見た増上寺の経蔵です。後ろに見える高層ビルはザ・プリンス・パークタワー東京(ホテル)です。このホテルはもともと増上寺の南霊屋があった場所に建てられています。


増上寺の経蔵  出典:グーグルストリートビュー

 下が増上寺の経蔵の入口です。一般公開の期間中だけ、開かれています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は経蔵の前の青山貞一です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-15



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は平成22年3月の東京都教育委員会による増上寺経蔵の解説です。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 以下は昭和35年4月1日の東京都教育委員会の解説です。上の解説に比べると古いバージョンです。


増上寺の経蔵    出典:東京都教育委員会

 以下は入場時に増上寺からいただいた解説パンフレットにある増上寺の経蔵の建造物についての説明です。

■増上寺 経蔵   都指定 有形文化財(建造物)

 
経蔵とは、仏教の法宝である経典(総称を「大蔵経」または「一切経」と称す)を収め置く、寺院建築七堂伽藍のひとつをなす堂宇であり、由緒名刹寺院には欠くことができない大切なものである。

 増上寺経蔵は慶長十八年(1613)木造で建立され、享和二年(1082)、収蔵の「大蔵経」保守のため、現在の土蔵造りに大改造されたものである。

 白壁(漆喰)土蔵造り(八間四面)、四方に銅葺きの裳階(◆寺院建築の軒下に差し掛けた庇状のもの)を配し、大屋根は宝形造り(瓦葺き)である。(◆寺院建築の土蔵造りは、火災が頻発した都市に多く採用され、江戸期には漆喰を用いた錢細工といつ新しい技法を生み出した)

 経蔵内部に慶長中期頃の作といわれる、日本一の大きさを誇る朱塗極彩色の「大輪蔵」を安置する。

 また、正面前には大輪蔵を考案した、傳翕大士(ふきゅうだいし)(中国南北朝時代、斉の東陽の人・四九七〜五六九)の木像、左に長男の普建、右に次男の普成の二笑童子を安置する。天和元年(1681)作

 傳翕大士は、明るい社会の請来には、「大蔵経」に親しむにありとして、当時、文字を知らぬ人、また修学する環境にない人々にも、広く仏教と縁を結ばせるために「輪蔵」(◆八角の書架が中心にある軸で回転できるもの)を考案したと伝えられる。

「輪蔵」を時計回しに一回転させると、「大蔵経」を修学するのと同じ功徳を得られるとされ、経蔵にたいする信仰が深まっていつた。

出典:増上寺経蔵パンフレット

 以下は、入場時に増上寺からいただいた解説パンフレットにある増上寺の経蔵の三大蔵経(宋版・元版・高麗版)についての説明です。

■増上寺 三大蔵経(宋版・元版・高麗版) 国指定重要文化財(美術工芸品「書」)

 経蔵には一般に、一種類の「大蔵経」を収蔵しているが、増上寺経蔵は宋版・元版・高麗版の三種類の「大蔵経」を収蔵する、他に類例のないものであり、当山では総称して、三大蔵経と呼んでいる。

 この三大蔵経のうち、宋版は近江・菅山寺、元版は伊豆・修禅寺、高麗版は大和・円成寺にあったものを、徳川家康公が朱印・領地等と交換し、当寺に寄進したものである。

 もとは輪蔵に宋版が九四凾に収めて収蔵され、・右の書架に元版、左の書架に高麗版がそれぞれ凾に容れて収蔵されていたが、現在は三大蔵経とも、後方に建てられた収蔵庫に移管されている。

◆ 中国南宋版大蔵経  十三世紀前半開版 五三五六箇 五八四七巻
◆ 中国元版大蔵経   十三世紀末開版  五三八六箇 五九三一巻
◆ 韓国高麗版大蔵経  十三世紀中期開版 一二五九箇 六五三一巻

 また、これらの大蔵経は、明治に刊行された「縮刷大蔵経」、大正・昭和に刊行された「大正新修大蔵経」の底本に使用され、明治初期の廃仏毀釈から仏教復興への根幹を果たし、江戸時代はもとより、現代仏教学の研究・発展に大きな役割を果して
いる。

出典:増上寺経蔵パンフレット


◆増上寺 経蔵の輪蔵

 下は増上寺経蔵の輪蔵です。 もともとは下の八角形の輪蔵に宋版が九四凾に収めて収蔵され、右の書架に元版左の書架に高麗版がそれぞれ凾に容れて収蔵されていましたが、現在は三大蔵経とも、後方に建てられた収蔵庫に移管されています。

 輪蔵には、宋版が納められていました。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-15

 左の書架です。もともと元版が納められていました。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は右の書架です。もともと高麗版が納められていました。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-15

 輪蔵の周りにはさまざまな像が配置されています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は輪蔵の天井側を見たところです。すばらしい赤色の漆が塗ってあります。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-15

 輪蔵の天井の下にはすばらしい彫刻が施されています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は輪蔵そのものです。八角形をしています。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 輪蔵を押す池田です。一人で押すと結構重いです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は輪蔵を押す青山です。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400 2015-9-15

 下は輪蔵の軸受けです。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2015-9-15

 下は高麗版の版木が納められている韓国新羅の海印寺の高麗大蔵経です。私達は2015年6月24日に海印寺を訪問しています。

◆(参考)韓国の海印寺高麗大蔵経について


海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界遺産)の内部   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24



海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界遺産)の内部   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24



海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界遺産) 版木彫刻師   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24




海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界記録遺産)の版木彫刻   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24


海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界記録遺産)の版木彫刻   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24


海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界記録遺産)の版木   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24


海印寺の境内 蔵経板殿(八萬大蔵経)(世界記録遺産)の版木   DVDより
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2015-6-24


◆経蔵(きょうぞう、巴: Sutta pitaka(スッタ・ピタカ)、梵: Sutra pitaka(スートラ・ピタカ) )

 経蔵とは、仏教の聖典(仏典・三蔵)の一部であり、釈迦の教説である経(巴: Sutta(スッタ)、梵: Sutra(スートラ) )をまとめたものです。

歴史

初期仏教
 釈迦の死後、僧伽(仏教僧団)では仏教の成り立ちや戒律、その教説などを保全すべく、500人の阿羅漢(五百羅漢)によって結集(集会)が開かれ、その内容が文書化され、三蔵としてまとめられました。その内の1つがこの経蔵でです。

上座部仏教(南伝仏教)
 部派仏教時代の形式を留めている上座部仏教(南伝仏教)の聖典である『パーリ仏典』は、現在でも「三蔵」の形式が保全されており、経蔵も「スッタ・ピタカ」(巴: Sutta pitaka)として保存されています。
 経蔵(バーリ)の詳細

 これは、
 長部
 中部
 相応部
 増支部
 小部

の5部から成り、小部を除く4部は、漢訳経典の『阿含経』に相当しています。

◆中国仏教(北伝仏教)

 中国仏教(北伝仏教)においては、大乗仏教経典・偽経の追加や、段階的な仏典の輸入・翻訳が繰り返されたため、元々の「三蔵」や「経蔵」の枠組み自体が壊れてしまっていました。

 漢訳経典は、後に宋代の頃から一切経・大蔵経として総集・再編されていくことになりますが、それらは般若経・華厳経など主要な大乗仏教経典を中心に、雑多にまとめられており、律が後景に退き、その大部分が大乗仏教経典・偽経も含む「経」で占められるため、「三蔵」や「経蔵」の概念・呼称を適用しづらいものになってしまいました。

◆チベット仏教

 中国よりも更に遅く、大乗仏教・密教化した仏教を段階的に受容したチベット仏教における『チベット大蔵経』も、大乗仏教経典や密教タントラが入り乱れて元々の「三蔵」の枠組みが壊れてしまっているため、中国仏教の『漢訳大蔵経』と事情は大差がありません。

 ただし、アティーシャ以来、顕密総合が志向され、「律蔵」「経蔵」に相当する「カンギュル」、「論蔵」に相当する「テンギュル」の組み合わせで『チベット大蔵経』が構成されているため、『漢訳大蔵経』よりは、「三蔵」との対応関係が維持されています。

出典:Wikipedia


つづく