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宮城県・福島県北部
被災地・放射線現地調査
(速報)

青山貞一
 
池田こみち 鷹取敦
東京都市大学青山研究室
環境総合研究所(東京都目黒区)
掲載月日:2011年9月20日
 独立系メディア E−wave 無断転載禁

宮城県・福島県北部 被災地・放射線調査(2011/9/17-19)
宮城県・福島県北部被災地調査(速報)
東北新幹線車内での放射線量測定〜東京・福島・仙台間
宮城県・福島県北部放射線測定調査〜全265地点(速報)
福島県新地町 被災者インタビュー(1)
福島県新地町 被災者インタビュー(2)

 2011年9月17日〜19日にかけ4月、6月の福島県、8月の岩手県調査についで宮城県と福島県北部の沿岸部の被災地現地調査及び放射線測定調査を行った。

 今まで現地調査ででかけた福島県、岩手県同様、宮城県でも、どこも涙なくして話しが聞けず、臨海部ではどこも見渡す限り、まさにひとっこひとりいないゴーストタウンとなっている現実にしばし呆然とさせられた。

●現地調査メンバー

 調査は、青山貞一(東京都市大、環境総合研究所)、池田こみち(環境総合研究所)、鷹取敦(環境総合研究所)の3名である。560kmに及んだ車(ヴィッツ)の運転と被災者インタビューは、いつものように池田こみち氏が担当、放射線測定、デジカメ撮影は鷹取敦氏が担当、青山は主にデジタルハイビジョン映像撮影を担当した。


福島県新地町海浜部倒壊堤防の前にて
撮影:鷹取敦 2011年9月18日


七ヶ浜町にて 撮影:鷹取敦 2011年9月18日


石巻市旧北上川の中州にて 撮影:青山貞一 2011年9月17日


石巻市にて 猫のクーちゃんと 撮影:鷹取敦 2011年9月17日


福島県新地町の仮設店舗の前にて  撮影:青山貞一 2011年9月17日

●現地調査で訪問した自治体

 以下が調査で訪問した基礎自治体名であり、()は通過自治体です。●が調査した基礎自治体、○が通過した基礎自治体名である。

◆宮城県・福島県北部被災地現地調査  2011年9月17日〜19日
宮城県 1日目 2日目 3日目 漁港 放射線
測定
死亡者+行方
不明者数
女川町 901
石巻町 3,929
東松島町 1,138
松島町 2
利府町 47
七ヶ浜町 71
塩竃市 21
多賀城市 189
仙台市 宮城野区 730
      若林区 
名取市 983
岩沼市 184
亘理町 270
(角田市)
(柴田町)
(大河原町)
(蔵王町)
山元町 670

◆宮城県・福島県北部被災地現地調査  2011年9月17日〜19日
福島県 1日目 2日目 3日目 漁港 放射線
測定
死亡者+行方
不明者数
新地町 110
相馬市 459
南相馬市 663

新幹線内での放射線量の計測

 今回の調査では、津波被災地の現地視察調査に加え、鷹取敦調査部長が開発した放射線線量計をGPSに連動させたシステムにより、任意の場所での空間放射線量の測定実験も行った。GPSは3種類使用しており、最大精度は2〜3mである。

 以下は東北新幹線の車窓で放射線量と測定位置を計測しているところである。


出典:環境総合研究所(東京都目黒区)

 これにより、たとえば、東北新幹線内での放射線の外部被曝の線量を継続的に測定することが可能となった。測定結果は、別途報告するが東北新幹線が東京駅から大宮駅、宇都宮駅、郡山駅、福島駅、仙台駅と進行するにつれ、福島前後で最大値を示し、その前後で減少していくことが定量的に把握できた。

 おそらくこれは全国ではじめての調査であると思われる。ただし、新幹線が走行する軌道面(実際には車窓面)の高さは、軌道が平坦、盛土、切土、高架、橋梁、トンネルなどによって異なるので、あくまでも車窓に設置した線量計における線量ということになる。

◆東北新幹線車内での放射線量測定〜東京・福島・仙台間


自動車走行中の放射線量の継続的自動測定

 環境総合研究所(鷹取敦調査部長)によるGPSと連動した放射線量計測システムの開発により、自動車で移動中の移動地点毎の放射線量を自動計測し、その結果を地点別に示すことが可能となった。

 以下は1日目、2日目、3日目の現地視察のルートをGPSデータをもとにグーグルアースにプロットしたものであるが、各地点に対応し、放射線量を計測している。これについても別途詳細に報告する予定である。


1日目の走行ルート   出典:環境総合研究所(東京都目黒区)


2日目の走行ルート   出典:環境総合研究所(東京都目黒区)


3日目の走行ルート   出典:環境総合研究所(東京都目黒区)

●津波被害と影響要因調査
 
 2011年4月の福島県いわき市調査や8月の岩手県調査でも実感したことだが、津波による被害の規模は、陸側の地形、海洋地形、海に陸が面する角度、地先の島々の有無、沿岸域の形状、地形、土地利用、堤防の高さなどに加え、住民の津波に対する意識、防災意識、心理などによって大きく異なることを、今回の調査でも強く感じた。


東松島町の残った堤防の上にて  撮影:鷹取敦 2011年9月17日


女川町に近い石巻市にて  撮影:鷹取敦 2011年9月17日

 これについては、詳細な分析を行い別途報告する予定である。

 今回の調査対象地域は、女川町、石巻町、東松島町、利府町以外は、いずれも陸側が10km奥まで平坦な地形であり、岩手県各地や女川町、石巻町、東松島町、利府町のように、山が海に急角度で落ちる地形とはまったく異なっている。

 これら陸側が10km奥まで平坦な地形の場合には、一部30mほどの高台がある場合もあるが、大部分はどこまでせいぜいTPから5m程度の高さしかなく、「逃げ場を失う」ことが多々あることが分かった。

 たとえば、名取市、仙台市、岩沼市、亘理町、山元町、新地町、南相馬市などがこれにあたる。


宮城県山元町の海から100mの近さにある小学校にて 
  撮影:鷹取敦 2011年9月19日


宮城県山元町の小学校体育館内部 
  撮影:鷹取敦 2011年9月19日

 逆に、同じ平坦な地形でも3日目に訪問した福島県新地町では、海から200mの位置に自宅があり、夫妻、母親の3人が住んでいたが、家や家財道具すべてを流されたものの、80歳過ぎのお年寄りを含め3人が助かった。

 その背景には、消防署に勤めており定年退職していた男性の防災意識と逃げる方向、場所への誘導が適切であったことが、インタビュー調査で分かった。
 
 一方、数は少ないが松島町、相馬市(一部)のように、地先に島々があり、それらが天然の堤防として津波の力を弱くさせている地域があった。とくに松島町はとなりの東松島町が1,138名の犠牲者を出しているのに、わずか2名の犠牲者に留まっているのは、間違いなく東松島や奥松島の島々が天然、自然の防波堤の機能を果たしていたことが分かった。

被災者との交流

 現地では私たちの被災地調査や放射線量調査などをインターネットのWebや動画でご覧になられており、いろいろ有益なコメントを現地でいただくなど、自主的な調査研究で行っている私たちの活動が現場の方々にも見ていただいていることが分かり、大変うれしく思った。


福島県新地町の仮設店舗とボランティアセンターにて    撮影:鷹取敦 2011年9月19日


現場での被災関連者インタビュー 仙台市の海浜部にて
  撮影:鷹取敦 2011年9月18日

 なお、3日目の午前、青山の携帯電話に突然、櫻井南相馬市長からお電話があり、市長が動物愛護のNPOの招きで東京におられるということだったが、私たちは逆に3日目の午後に南相馬に放射線測定ででか けると伝えた。

 まだ岩手県内調査時の動画編集が終わっていないが、宮城県内調査についても出来る限り詳細に報告したいと思う。