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晩秋の長州・萩短訪

Oエピローグ

青山貞一 東京都市大学

現地訪問 2009年11月21日〜22日

独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁


長州藩・毛利家
@今に残る希有な歴史文化都市 H吉田松蔭誕生地と一族
A萩市の産廃処分場問題 I吉田松蔭刑死と墓所
B産廃処分場問題講演会 J毛利家の菩提寺 東光寺
C反射炉跡と造船所跡 K松陰神社と松下村塾
D浜崎地区:旧萩藩 御船倉 L御成道と萩城跡
E浜崎地区:旧山村家住宅 M菊屋家住宅とその庭園
F菊ヶ浜・相島・笠山 N萩の城下町を歩く
G萩博物館 Oエピローグ

■エピローグ

 かくして、萩探訪、ならぬ萩短訪を終え、山口宇部空港に向かった。

 実質、
わずか1日の萩探訪であったが、堀洋太郎さん、津田和夫さんはじめ萩のみなさんのご厚意により私にとって大変実り多い探訪となった。ここに感謝の意を表したい。



 歴史に「もし」はない。しかし、もし、関ヶ原の戦いが西軍が勝利していたら、また吉田松陰が欧米そしてアジア諸国を訪れていたら、松蔭が50歳まで生きていたらなどなど、いろいろ思いを巡らす。

 萩は幸い、空襲もなく、また江戸時代にあらかじめ広い道路を造成しており、土地区画整理がなかったことから、希有ななまちごと歴史と文化を保存することができた。萩には今に言う、環境、景観、安全・安心に配慮した土木、建築の亀鑑があるように思える。

 海、山、川など地形を最大限生かしたまちづくりとしても、秀逸だ。石垣造成、運河造成、洪水制御など、土木技術にも他に見られない技術があるようだ。今回は触れなかったが、医学(医術)、科学や漁業、農業にも萩藩ならではのものがある。




 それは、松蔭の「立志尚特異 (志を立てるためには人と異なることを恐れてはならない)」や「俗流與議難 (世俗の意見に惑わされてもいけない)」と言った教えにも表れている、と思う。

 寄らば大樹、長い物には巻かれろ、沈黙は金という日本人全体の精神風土にあって、江戸から辺境、辺鄙の地であるが故に、独自の文化、技能、工夫が興隆したとも思える。 

 とはいえ、次第に景観にそぐわないマンションなどの建築、看板も目立つ。ぜひ、
江戸後期から明治維新の空気が息づく、この萩のまちを保存するにとどまらず、歴史的町並みを復元して欲しい。 まちの人口規模について、萩市は約5万だが、私がさまざまな意味で好きな歴史文化都市、たとえば小布施町、赤穂市、ドブロブニク(クロアチア)はいずれも約5万である。



 この春訪問したポーランドのワルシャワでは、ナチスドイツによって徹底的に破壊された町並みを市民参加、専門家参加で復元した。また同じポーランドのクラクフでは、皮肉にもナチスドイツが司令部を置いたことで、中世のまちなみが丸ごと保全されている。


 ワルシャワ、クラクフともに現在、欧州のみならず世界有数の一大観光地となっている。
多くの欧州人はそこで歴史文化を学んでいるのである。

 「石の文化」と「木の文化」という違いはあるが、ぜひ萩も希有な歴史文化遺産の保全、復元に全力をあげて欲しい!

 一方、私自身もその場に身を置く者だが、我が国の教育の荒廃はトドメを知らない。私は松下村塾の論考で次のように書いた。



 
吉田松陰は調べれば調べるほど、また話しを聞けば聞くほど、思想家というより秀逸な教育者としてきわめて希有な存在であったと感ずる。わずか30歳足らずの命のなかで、評価は別とし、かくも多くのひとびとの将来を決する影響を与えた人物は日本の歴史のなかでも他には存在しないのではないと思う。

 それは今流の言葉で言う<リテラシー>力にとどまらず、まさにミッション(社会的使命感、理念、哲学)、パッション(情熱、気力)、アクション(行動力)を全人格的に兼ね備えた人物である。松蔭は、それらをとりわけ松下村塾など教育の場において全身全霊をもって門下に投入した人物と思える。

 しかも、萩博物館長が解説してくれたように、最近発見された当時の絵から、松下村塾での松蔭の講義形態は、いわゆる学校形式ではなく、塾生、門下のなかに一員として入り話すことを重視していた。これに象徴されるように、上から目線ではなく、あくまでも同じ人間として対等、平等を心がけていた。それは単なる熱血先生ではない。


 今回の萩短訪で得た最大の収穫は、教育者としての松蔭である。今後、もっともっと教育者としての松蔭について勉強したいと思う。



 次回はもっと萩をゆっくり歩きたい。今回行けなかった歴史文化遺産の細部を見てみたい。最後に、希有で秀逸な歴史文化都市、萩に産廃処分場はまったくそぐはない。全力を挙げ問題解決しよう!  

                            青山貞一 2009.11.29 


■番外:東京から萩へのリーズナブルな行き方

 
萩に行くには、様々な方法がある。

●航空運賃など

 東京から萩に行くリーズナブルな方法は、早めに予約しなければならないがANAの超割
がよい。

 羽田−山口宇部が片道 11000円、往復 22000円である。ちなみにJALの場合は、先得割引の最安値が26200〜28200円である。

 一方、長距離バスは膨大な時間がかるうえに往復22940円もする

 さらに新幹線でも東京駅と新山口駅とは往復で24580円もするので、ANAの超割が非常にリーズナブルである。

●空港から萩市街

 山口宇部空港から萩へのバスないので、レンタカーか乗り合いバスを使う。乗り合いバスは一人片道 3500円である。 現地では、やはり車での移動が中心となるのでレンタカーが良い。ただし、新幹線の新山口駅から萩へは直通のバスがある。この料金は片道2000円弱。

 レンタカーは空港にあるレンタカーオフィスにあらかじめ予約を入れればヴィッツ・クラスなら1日6000円ちょいなのでリーズナブルだ。

 城下町はすべて徒歩でOKである。市内循環バスもある。どこまで乗っても料金は100円。駐車場は有料、無料が半々ということろか。萩ー相島の船料金は片道590円。

●入館料など

 博物館、萩城跡、東光寺、菊屋家屋敷、木戸邸、高杉邸、青木邸などでは、大人一人200円から500円の入場料が必要。ただし、市民は無料なところが多い。松陰神社、松下村塾、松蔭関連墓、松蔭生誕地、御船倉、旧山村家住宅などは無料。

●ホテルなど

 日本有数の観光地でもあるので多くのホテル、旅館がある。

 海鮮、魚貝のメッカなので、ホテルは朝食のみにして市内の漁港や海鮮料理屋で夕食をとればリーズナブルで超新鮮。

●パッケージツアー

 ANA航空券+ホテルのパッケージもある。ただし、飛行場からホテルまでの交通手段は自前。ホテルは指定のホテルで初日の1日分のみの費用が含まれるが夕食はなしである。