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初冬の三峯神社短訪

A三ツ鳥居、狛狼

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 23, 2014
Independent Media E-wave Tokyo
無断転載禁
@場所と行き方 D拝殿 H手水舎 L国常立神社
A三ツ鳥居と狛狼 Eご神木 I本殿と奥宮 M摂末社
B神社概要、随身門 F青銅灯籠 J神社の歴史
C神楽殿 G八棟木灯台 K祖霊社


撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8           菖蒲菱 


出典:三峯神社公式Web


◆三ツ鳥居

 上の地図21の駐車場から急な坂を登り少し行くと大小3つの鳥居があります。


撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8


三ツ鳥居の前で
撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400

 実はこの鳥居、もう少し遠くから写すと、下の写真のように3つの鳥居から成っていることが分かります。これを三ツ鳥居と言います。

 三ツ鳥居は、明神型鳥居を三つ組み合わせた鳥居です。他に有名な三ツ鳥居としては大神神社のものが知られます。ただし大神神社は直接見る事ができません。大神神社の公式ホームページ上には三ツ鳥居の模型が掲載されており、三峯神社のものとほぼ同じ形式である事が確認できます。


三ツ鳥居     出典:Wikipedia

 上の写真には、大鳥居の両側に狛犬ならぬ狛狼(おおかみ)が鎮座しています。

 実は三峯神社はじめ秩父の神社には、城峯神社、椋神社はじめほとんどの神社においては、いずれも狛犬ではなく狛狼(おおかみ)が鎮座しています。

 
撮影:青山貞一 Nikon Digital Camera Cool Pix S8

 以下は狛犬としての狼(オオカミ)の由来です。やはり三峯神社では、由来、由緒があって犬では無く、狼を置いています。

◆狛狼の由来について

 三峯神社は、日本武尊がこの国の平和と人々の幸せを祈り、国生みの神、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)をお祀りしたのが始まりです。お使い(神様の霊力を受け、神様と同じ働きをするとして仰がれる動物)はオオカミです。日本武尊の道案内をされ、その勇猛、忠実さから、当社の使い神に定められたと伝えます。

 またオオカミとは、三峯山の不思議な霊気を言うと古書にも見え、大口真神(親しみを込めてお犬様、ご神犬、御眷属様とも呼ばれる)は、あらゆるものを祓い清め、さまざまな災いを除くと言われます。

 古くからこの御眷属様を御神札として一年間拝借し、地域の、或いは一家のご守護を祈る事が行われています。これを御眷属拝借と呼び、火盗除、病気除、諸難除の霊験あらたかです。
御眷属を拝借されて一家の無事息災をお祈りください。


出典:三峯神社公式Web

 ニホンオオカミについては、以下を参照してください。

◆ニホンオオカミ(日本狼、英語: Japanese Wolf、Canis lupus hodophilax)

 日本の本州、四国、九州に生息していたオオカミの1亜種。あるいはCanis属のhodophilax種。

 1905年(明治38年)1月23日に、奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報、とされる。

 なお、1月23日はアメリカ人の動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソン(1879-1919)と同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけて居る所からみて数日前に捕れたものらしい」ことに気がついているので、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。


雑誌『The Chrysanthemum』1881年2月号に掲載されたブラウンスの記事中の図。

 剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現在の皆花楼)の近くでおこなった。

 2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された。だが、この福井の個体は標本が現存していない(福井空襲により焼失。写真のみ現存。)ため、最後の例と認定するには学術的には不確実である。

 2012年4月に、1910年に群馬県高崎市でオオカミ狩猟の可能性のある雑誌記事(1910年3月20日発行狩猟雑誌『猟友』)が発見された。

 環境省のレッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている。



狼と遭遇し、笙を聞かせて難を逃れた豊原統秋の伝承を描いた『北山月』
(月岡芳年『月百姿』)
 
 奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。

 各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。

 これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。

 『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる。



ニホンオオカミ終焉の地碑石像

出典:Wikipedia


撮影:池田こみち Nikon Digital Camera Cool Pix S6400

 駐車場より参拝者を迎える三柱鳥居をくぐるとすぐ左手に、三峰山の信仰の歴史や文化に関する展示が見られる博物館があります。今回は寄りませんでしたが、秩父宮記念 三峯山博物館があります。

 ここには秩父宮家ゆかりの資料が展示されています。三峯神社の宝物のほか、江戸時代に利用された駕籠や絵馬なども並び、当時の人々の参拝の様子などもうかがえる。

 また世界に8例しかないニホンオオカミの毛皮2点を収蔵しているそうです。また、以下にあるように、ここでも三峯神社の神の使い、いわゆる御眷属はオオカミであると紹介されています。

◆秩父宮記念 三峯山博物館の概要


出典:秩父宮記念 三峯山博物館

「秩父宮家と三峯山」(常設展示)
  秩父宮家御下賜の品を中心に、秩父宮家ゆかりの資料が展示してあります。秩父宮殿下が御殿場(静岡県)の別荘で自らお焼きになった菓子皿、殿下16歳の時の書初、宮家御下賜の書棚(写真)、文台、飾皿、陶製唐獅子などです。また、ロビーには、彫刻界の巨匠北村西望氏、及び法元六郎氏制作の秩父宮両殿下のレリーフがあります。

「三峯山詣」(常設展示)
  主として三峯講の人たちの登拝、参籠に関する資料を展示してあります。三峯神社の神の使い、いわゆる御眷属はオオカミで、一般にオイヌサマと称されています。山里では猪鹿よけ、町や村では火防・盗賊よけの霊験が語られ、信州・甲州、また関東の村や町、それに江戸の町人たちがオイヌサマの霊験を信じ、講社を組織してこのお山に登拝しました。江戸からの三峯登拝路のひとつを名所案内記風にまとめた「三峯山詣」(天保6年)、諸国代参帳、饗応記録帳、講社登拝記録をはじめ山内の様子を書き綴った「日鑑」、また講社の人たちが山上参籠の折に飲みくらべをした「東海道五十三次蒔絵盃」などを展示。

「三峯山の宝物」(常設展示)
  三峯山の宝物では、宝蔵に収められていた宝物類、主として修験の山として栄えた観音院時代の資料を展示。数多くの記録文書や書画類、崇敬者より奉納された品々、また神仏混淆時代の仏像仏画経典などは、永らく人の目に触れることなく蔵の中に眠っていました。・ 銅版絵馬(写真上)、納札、懸仏(写真下)、雲版など。・ 木造十一面観音立像、木造役行者二鬼坐像、木造不動明王立像、銅像歓喜天像など。・ 不動明王二童子像(絹本著色)、三井寺諸尊像(絹本著色)、両界曼荼羅図(絹本著色)、不動明王像(紙本版画著色)など。

出典:三峯神社公式Web


つづく