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初詣は近くの

目黒不動尊と五百羅漢に!

青山貞一 Teiichi Aoyama

掲載月日:2011年1月2日
独立系メディア「今日のコラム」


 
 私(青山貞一)が住んでいるのは品川区の北はずれの小山という場所だが、そこから徒歩で10分足らずで目黒区にまたがる「林試の森」公園という都市公園がある。所在地で言うと目黒区下目黒五丁目、品川区小山台二丁目となる。

 ここにはその昔、野庁の林業試験場があった。林業試験場は筑波に引っ越しており、現在その跡地は「林試の森」という都市公園となっている。


グーグルマップで「林試の森」公園を見る!

◆林試の森公園の歴史
1900年6月に農商務省林野整理局が「目黒試験苗圃」を設置した。その後、林野庁「林業試験場」に名称を変更し、1978年まで使用された。林業試験場がつくば市に移転したことに伴い、公園として整備され、1989年6月1日に「都立林試の森公園」として開園した。開園面積は120,762平方メートル(約36,000坪)である。

 「林試の森」公園は、自然環境教育の場としてもすばらしい。また子供の遊び場やそれにテニスなどのスポーツができる貴重な場として市民に親しまれている。

 「林試の森」は到底都心に近い場所とは思えないほど武蔵野の面影が残っていて、いつもジョギングやトレッキングする市民や子供達でにぎわっている。
 


撮影:青山貞一

 2011年1月2日、大けがから退院した後、ひさびさに初詣を兼ねその「林試の森」にでかけた。ここなら車もいっさいいないので、安心である。

 「林試の森」には以前からノラのにゃんこがたくさんいるので知る人ぞ知る場所となっている。品川区や目黒区の猫好きやお年寄りがエサをやっていることもあって写真のようにまるまる太っている。


撮影:青山貞一

 今日も見ている間にトラ猫、ブチ猫など5匹のにゃんこが集まってきた。どの猫も人間が近づいても逃げない。



撮影:青山貞一

◆目黒不動尊 瀧泉寺

 「林試の森」のすぐ隣には、城南地域で有名な目黒不動尊(龍泉寺)がある。この境内は広く、私は小学生や中学生のときは、格好の遊び場だった。

 今日は正月三が日なので多くの人手があり、出店もたくさんあってにぎわっていた。


初詣の目黒不動尊   撮影:青山貞一

◆目黒不動尊 瀧泉寺

 東京都目黒区下目黒三丁目にある天台宗の寺院。山号は泰叡山。不動明王を本尊とし一般には目黒不動(目黒不動尊)の通称で呼ばれる。

 江戸五色不動の一つ。江戸三十三箇所第33番札所。関東三十六不動第18番。「目黒」の地名はこの目黒不動に由来する、とする説もある。青木昆陽の墓があることでも知られる。


出典:Wikipedia

 寺伝では大同3年(808年)に慈覚大師円仁が下野国から比叡山に赴く途中に不動明王を安置して開創したという。東国には円仁開基の伝承をもつ寺院が多く、本寺の草創縁起もどこまで史実を伝えるものか不明である。

 1615年に本堂が火災で焼失したが、1624年徳川家光によって再建され、以後徳川幕府の庇護を受け繁栄するようになった。

 文化・文政の時代に「江戸の三富」と呼ばれた富籤(とみくじ)が行われていた(他は湯島天神、谷中感応寺)。寺名の由来となった、境内の独鈷の滝(とっこのたき)を浴びると病気が治癒するとの信仰があった。

 江戸時代には一般庶民の行楽地として親しまれ、江戸名所図会にも描かれている。また、落語の目黒のさんまは、この近辺にあった参詣者の休息のための茶屋(爺が茶屋)が舞台だとされる。



秋本不二春の水彩画


初詣の目黒不動尊  山門   出典:グーグルマップストリートビュー


◆五百羅漢

 目黒不動尊にお参りした後、そのすぐ隣にはこれも地元で有名な五百羅漢地蔵がある。

 60年以上、地元に住んでいて私は五百羅漢の名前だけは知っていたが、まだお参りしたことはなかった。

 妻は前に来ているとのことで、初めてお参りした。

 ここにはもともと江戸時代に彫られた500以上の羅漢像のうち300体以上を今でも祀っている。奈良の博物館のように一般市民も参観できる。


撮影:青山貞一

 五百羅漢の羅漢像は写真撮影禁止なので、いただいたパンフレットにあった写真を以下に掲載する。おそらく日本ひろしといえ300以上の羅漢像のほぼすべてを拝観できるのは、京都や奈良にもなく、ここだけだろう。

 と思ったら、池田さんが小田原にも五百羅漢があるとメールしてきた!


五百羅漢でいただいたパンフより

 今日はお正月の三が日だからか、入園無料だがそれほど混雑しておらず、じっくり一像ずつ見ることができた。
 
 ひとつの羅漢像ごとに孔子の論語に類する説教が書かれており、たいへん勉強になった。下の解説にあるように何でもひとりで536体の羅漢像を彫ったというのだからすごい!

◆五百羅漢は松雲元慶による創建

 当寺の五百羅漢像は開基の松雲元慶(1648 - 1710)が独力で彫り上げたものである。松雲は京都の出身で、「鉄眼版一切経」で知られる黄檗宗の僧・鉄眼道光に師事した。

 松雲はある時、豊前国の羅漢寺(大分県中津市本耶馬渓町)の五百羅漢石像を見て、自らも五百羅漢の像を造ることを発願した。

 貞享4年(1687年)、40歳で江戸に下向した松雲は托鉢で資金を集め、独力で五百羅漢像など536体の群像を造る

 羅漢寺の創建は元禄8年(1695年)のことで、松雲が開基、師の鉄眼が開山と位置づけられている。当時の羅漢寺は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島3丁目)にあった。

 彫像は当初は536体あったが、近代以降、寺の衰退時に多くが失われ、羅漢像287体を含む305体が現存している。

 下は五百羅漢の出入り口である。


撮影:青山貞一

青木昆陽の墓

 五百羅漢をお参りした後、目黒不動尊(龍泉寺)のすぐ隣にある青木昆陽の墓にお参りした。

 青木昆陽は江戸中期の蘭学者であるとともに、地元では救荒作物として甘藷栽培を奨励したことで著名である。別名甘藷先生と呼ばれている。


撮影:青山貞一


青木昆陽像

 
撮影:青山貞一

 以前、目黒駅近くにあった環境総合研究所の事務所を青木昆陽の墓がある墓地のすぐ隣に移設する計画があったが、住宅地のため道路が非常に狭く車の出し入れが難しいことから止めた。そんなこともあって墓参りは久しぶりであった。

 ところで、今年はあらゆる意味で日本社会の将来にとって重要な年となりそうだ!

 明治いや江戸時代以降、何でもかんでもお上の言いなりになり、そしてお上を頼りに仕切ってきた日本人、日本国民が既得権益にまみれた大マスコミの情報操作による世論誘導から脱し、主体性、自律性をもつきっかけとなる年としたいものだ!

 明日は毎年お参りしている世田谷区の松陰神社に品川の自宅から徒歩で行き、お参りする予定だ。

◆株式会社環境総合研究所 2011年賀状・挨拶


目黒不動尊の境内案内図