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増上寺石灯籠等、移築実態調査

(東京西部・埼玉西部

清瀬市 長命寺(2)

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda


December 22, 2014
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査の目的 D秩父市 慈眼寺 H秩父市 菊水寺 M秩父市 阿弥陀寺 R飯能市 観音寺
@練馬区 長命寺 E秩父市 野坂寺 I皆野町 水潜寺 N横瀬町 法長寺 S飯能市 竹寺 2本
A西東京市 東禅寺 F秩父市 常楽寺 J秩父市 長泉院  O日高市 聖天院  練馬区 正覚院
B清瀬市 長命寺 3本  三峯神社 16本 K秩父市 清雲寺 P飯能市 能仁寺 2本
C秩父市 四萬部寺  G小鹿野市 鳳林寺 L秩父市 法雲寺  Q飯能市 満福寺
註)寺の名前の後ろにあります本数は論考の頁数です。つづくをクリックすることで進みます。


長命寺の概要

・山号 延年山
・院号 転壽院
・寺号 長命寺
・本尊 阿弥陀如来像
・宗派 浄土宗
・住所 清瀬市下清戸2-470

◆長命寺の概要

 北条氏の重臣だった大導寺政繁の甥である感誉上人が戦国末期(室町末期)に開山した寺と伝えられる。山門を入ると本堂、薬師堂、鐘楼があります。

 薬師堂は志木街道を隔て長命寺の向かいにあり清瀬薬師と呼ばれていたもので、境内に移して建て直されたそうだ。堂内には室町時代の作と推定される薬師如来を安置し清瀬市の有形文化財に指定されていいます。

 本堂の前には6代将軍徳川家宣の正室天英院、11代将軍徳川家斉の正室廣大院の八角宝塔二基が左右対称の形で立ち、広い境内にはほかに徳川家霊廟に奉納されていた15基の石灯籠があります。

 あちこちに三ツ葉葵の御紋があるのだ、どういうことなのか分からず後で調べたところ旧増上寺徳川将軍霊廟の遺構建造物が西武鉄道の手で狭山に一旦集積され主要文化財等は不動寺に保存されましたがその他膨大な石灯篭、墓石塔、石材類は西武球場建設前の敷地にむなしく放置され西武球場建設に伴い希望者に無償譲渡されたらしいということだ。なんだ貰ったのね(笑)でも見てみる価値は大です。

 観音像の後ろに並んだ徳川将軍霊廟より移転された霊廟墓石塔群。今のように御影石?の綺麗な塀が出来る前、20年も30年も前にこの長命寺の前を通った時の記憶では志木街道から無造作に置かれたこれらの霊廟墓石塔群が丸見えでそれがわびさびの様な雰囲気を醸し出していて興味を持った覚えが今蘇りました。

 出典:http://newfe285.blog.fc2.com/blog-entry-5.html


長命寺の縁起

 浄土宗寺院の長命寺は、延年山転壽院と号します。長命寺は、感誉上人(天正2年寂)が当寺を創建したといいます。

 境内には、かつて道路向かいにあった薬師堂(通称清瀬薬師)が移設されています。長命寺は、感誉上人(天正2年寂)が当寺を創建したといいます。

 感誉上人は川越蓮馨寺を創建したほか、川越大蓮寺、川越見立寺、大船大長寺等を創建した高徳の名僧です。

 以下は「新編武蔵風土記稿」おける縁起です。

(下清戸村)長命寺
 境内除地、三千八百二十五坪、浄土宗、入間郡川越蓮馨寺末、延年山転壽院と号す、本堂九間に五間半南向、本尊弥陀三尊長一尺五寸、立像、脇士各八寸許の坐像なり、開山感誉上人本山蓮馨寺と同く当寺を草創し、天正二年五月十八日示寂、此僧は小田原北条氏の家臣大道寺駿河守の甥なる由を傳り、されば当寺の紋今に三鱗を用ゆなどゆへあることなるべし。

 鐘楼。本堂の前にあり、九尺四方明和年中に鋳しものなり。観音堂。本堂に向て左にあり、三間四方南向なり、木の立像にて長二尺許の十一面観音を安ず。また左右に西国三十三所の観音の写をおけり。各長一尺許の木像なり。(新編武蔵風土記稿より)


長命寺の伽藍など

  重厚なたたずまいの山門を入ると本堂、薬師堂、鐘楼があります。


長命寺の山門、本堂、薬師堂、鐘楼
出典:グーグルストリートビュー


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8

 山門より本堂を見ます。


撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

  下は長命寺の本堂です。本堂の前には6代将軍徳川家宣の正室天英院、11代将軍徳川家斉の正室廣大院の八角宝塔二基があります。縁起には「本堂九間に五間半南向、本尊弥陀三尊長一尺五寸、立像、脇士各八寸許の坐像なり」とあります。


長命寺本堂と八角形の増上寺にあった2つの宝塔(天英院及び廣大院)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 下は八角形の増上寺にあった2つの宝塔ですが、左右どちらが天英院、廣大院のものであるかすら分かりません。また一切の解説もありませんでした。


八角形の増上寺にあった宝塔と石灯籠(左側)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22


八角形の増上寺にあった宝塔と石灯籠(右側)
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

 薬師堂は以前長命寺の前を走る志木街道の向かい側にあった清瀬薬師を境内に移築したものです。お堂の内部に室町時代の作と推定される薬師如来が安置され、清瀬市の有形文化財に指定されています。
 

長命寺薬師堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22

◆長命寺薬師堂 薬師如来像 

長命寺薬師堂 薬師如来像(清瀬市指定有形文化財)

 全体のお姿はきわめて端正で、薬師如来の親しみやすさに満ちた仏像です。制作年代は不詳ですが、仏像の様式から室町時代のものと推定されます。

 近年この胎内から、薬師堂再興を願う願文と、願主である十五名の村人の名が記された古文書及び十五枚の寛永通宝が発見されました。

 「長命寺薬師堂薬師如来縁起」によれば、この仏像は新田家代々信心の如来でしたが落城の前に行方不明になり、後年この地の古い梅の梢より発見されて、ここにまつられたといい、さらにこの薬師如来の霊験により丸薬を調剤したところ大変効力があったと書かれています。

 医療のとぼしい昔にあって、病人を救う薬師如来として民衆の信仰を集めました。

(清瀬市教育委員会)

 下は、増上寺の御霊屋にあった鐘楼を思わせる威厳ある立派な鐘楼です。縁起には「鐘楼。本堂の前にあり、九尺四方明和年中に鋳しものなり。」とあります。


長命寺鐘楼堂
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2014-12-22


長命寺鐘楼堂
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22

 境内にはほかに芝増上寺の徳川家霊廟に全国各地の大名等から奉納されていた多くの石灯籠があります。これについては、次の増上寺の石灯籠移築実態調査にお進みください。


本堂前の増上寺の石灯籠群
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S6400  2014-12-22


つづく