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チェルノブイリ原発事故現場

青山貞一 東京都市大学
24 Dec. 2009
独立系メディア「今日のコラム」



 このブログは2009年12月に執筆したものです。

 この春、ポーランドにナチスドイツによる強制収容と虐殺に関連した現地調査でポーランド西部に出かけたとき、絶えず気になっていたことがある。それはポーランドの隣国であるウクライナとベラルーシュである。

 言うまでもなく、この2国は1986年4月26日に起きたチェルノブイリ原子力発電所(英語で Chornobyl Nuclear Power Plant)の立地域(旧ソ連、現在のウクライナ)そして最も著しい影響を受けたとされる地域(ベラルーシュ)である。

 私達はポーランドの現地調査でポーランド最西部でウクライナやベラルーシュに接するザモシチやプレジミールまで車を飛ばした。そのすぐ西は、まさにチェルノブイリ原子力発電所爆発大事故の影響を受けた地域であった。

 下は、エレナさんのゴーストタウン・チェルノブイリの最後に出てくるのチェルノブイリ原発事故からの放射能の影響汚染分布図(コンター図)である。

※エレナ(ウクライナ):ゴーストタウン・チェルノブイリの映像

出典:エレナさんのゴーストタウン・チェルノブイリ

 私達が現地調査で訪問していたのは、上の分布図の左端(西端)であった。

 その昔、本橋成一さんが監督し坂本龍一さんが音楽を担当した「アレクセイの泉」というチェルノブイリ原発事故による放射能汚染を描いた映画を見たことがある。その映画の舞台こそ、ベラルーシュの一寒村であった。

 以下は「アレクセイの泉」の概要だ。

 1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発(旧ソ連・現ウクライナ共和国)の爆発事故で被災したベラルーシ共和国東南部にある小さな村ブジシチェにある。この村の学校跡からも、畑からも、森からも、採集されるキノコからも放射能が検出されるが、不思議なことに、この〈泉〉からは検出されない。「なぜって?それは百年前の水だからさ」と、村人たちは自慢そうに答える。この百年、人間は何の豊かさを求めてきたのだろう。《水の惑星=地球》の強い意志のようにこんこんと湧く〈泉〉は、私たちに“本当の豊かさとは何か”を静謐に語りかける。

 以は、アレクセイの泉の監督、本橋成一さんとお会いした日(2002.12.21)の深夜に書いたブロブである。

 本橋成一監督作品(映画)「アレクセイの
2002年ベルリン国際映画祭ベルリナー新聞賞、国際シネクラブ賞
2002年サンクトペテルブルグ国際映画祭グランプリ受賞作品



左:本橋成一監督、右:青山貞一 2002.12.21

 昨日(12月21日)、坂本龍一さん「sustainability for peace」の忘年会が東京であり、映画監督の本橋成一さんとお会いしました。本橋さんと言えば、「アレクセイと泉」です。

 「アレクセイと泉」は、チェルノブイリ原発事故の現場に近い、ベラルーシュの片田舎の村の「泉」の話です。原発事故以降、世の中からほとんど忘れらた小さな村の小さな出来事を通して、本橋監督は、現代文明とは何か、「人間はこの百年、何の豊かさのためを求めてきたのか」について言葉少なげに問いかけます。 

 音楽は、坂本龍一さんが担当しています。坂本さんが最近出した映画音楽のCDは、トップが「戦場のメリークリスマス」、最後が「アレクセイの泉」で終わります。繊細で洗練、心の底をえぐる坂本音楽の神髄が「アレクセイの泉」でもよく味わえます。

 私は試写会で一年前に拝見しました。環境問題、原子力問題にかかわる方必見です

 以下の場所、期日に、冬休みアンコール・モーニングショーとして、本橋成一監督の「アレクセイと泉」が上映されました。

 日時:2002年12月21日(土)〜
     2003年1月17日(金)午前11時より場所:
     BOX東中野 03−5389−6780

 一般:1700円、大学生高校生:1400円、小中学生シニア:1000円

アレクセイの泉の一場面

  今回たまたまエレナさんのルポルタージュ、ゴーストタウン・チェルノブイリを読む機会を得た。

※エレナ(ウクライナ):ゴーストタウン・チェルノブイリの映像

 まさに彼女がバイクを飛ばした地域は、上の地図に示される赤とオレンジを含む甚大な影響を受けた地域であり、おそらく等ルー酒東南部の「アレクセイの泉」の舞台となった地域も含まれる。

 エレナさんのルボルタージュと写真は、まさに欧米日本のどのマスコミも、ジャーナリストも伝えてこなかったチェルノブイリ原発事故の後遺症を余すことなく伝えている。もちろん、未だ高濃度の放射能が残る地域のこと、命がけのルポである。

 私達がこの春ポーランド西部を車で飛ばしたときも似たような荒涼とした風景に出くわしたが、少なくともポーランド側にはどこにも人が住んでいて、ゴーストタウンなどではない。
 
 機会があればぜひ、現地近くに出かけてみたいと思っている。

 ところで、この際、グーグルアースやグーグルマップを使ってチェルノブイリを上空から見て見ようと考えた。ご承知のように、グーグルアースやグーグルマップは、全体としては解像度が低い画像だが、世界遺産やプラハ城のような建築物などがある場所、さらに東京23区では、数mの解像度で表示されるはずだ。

 実際にトライしてみると、チェルノブイリ原発地域以外は、おおまかな精度でしか表示されななかったが、原発立地域だけはかなり高精度で表示された。

 以下がグーグルで見たチェルノブイリ原発である。事故後、ロシア、ウクライナ、ベラルーシュは、地図上からチェルノブイリを消し去ったが、原発施設だけはあまりにも高濃度の放射能が残り、未だ生命に危険が及ぶ放射線が検出されることもあり、物理的に消し去ることは出来ない。

 いずれも今となっては消し去れることのない貴重な衛星写真である!


Aがチェルノブイリ原発の位置(ウクライナ)。すぐ北はベラルーシュ、北西はロシア。左端はポーランド。南はモルドバである。私達が訪問したルブリン、ジェシェフの地名がある。訪問したザモシチ、プリジミエルはさらにウクライナとの国境沿いの町である。風向きが東だったら間違いなくそれらポーランドの町は高濃度の放射能に覆われたことになる。
出典:グーグルマップ


ウクライナ北中部にあるプリピャチとチェルノブイリ原発。この地域には多くの河川とその支流が集中している。ウクライナは世界有数な肥沃な土壌をもつ農地がある。大事故により農地の土壌汚染の影響は計り知れない!
出典:グーグルマップ

 
チェルノブイリ原発のすぐ東に人造湖がある。
出典:グーグルマップ


チェルノブイリ原発の主要部分。事故を起こした原発は西側(左側)にある。
出典:グーグルマップ


事故を起こした原発の拡大写真。排気口の影が見える。
出典:グーグルマップ


事故を起こした4号炉。現在は石棺と呼ばれている!
出典:エレナさんのゴーストタウン・チェルノブイリ

 以下は最新のグーグルアースで3次元グラフィックス展開したチェルノブイリ原発である。


出典:グーグルアースで3次元展開し作成


出典:グーグルアースで3次元展開し作成

◆チェルノブイリ原発概要  

 チェルノブイリ原子力発電所は、ウクライナ(旧:ソビエト連邦)のチョルノーブィリ(チェルノブイリ)近郊、プリピャチ市にあった、原子力発電所である。

 原子炉の炉型は、黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉のRBMK-1000型(ソビエト型)。

1971年に着工され、1978年5月に1号炉が営業運転を開始した。1986年4月26日午前1時23分(モスクワ時間 ※UTC+3)に、4号炉が原発事故を起こし、世界中にその名が知られた。

 その時点で、既に建設中だった5号炉と6号炉は、建設が中止された。その後も1号炉〜3号炉の運転は続けられたが、2000年12月に停止した。その際、これまでの名称から、独立国営事業体チェルノブイリ原子力事業所に変更された。

◆立地域の概要

 この原発はチェルノブイリ市の北西18km、ウクライナとベラルーシの国境から16km、キエフの北およそ110kmのプリピャチに立地している。発電所はプリピャチの中心街から約4km東にあり、人工湖である冷却池に面している。池を含まない敷地面積は4km2

 現在は、発電所を中心に「10キロメートルゾーン」「30キロメートルゾーン」が設定されている。また、総面積4,800m2の立ち入り禁止区域のほぼ中心でもあり、ウクライナ側は「立ち入り制限区域および強制(義務的)立ち退き区域」、ベラルーシ側は「国営ポレーシェ放射線環境管理区」が正式名称となっている。

◆事故前の概要

 発電所の建設は1970年代に始まり、1977年に1号炉が竣工し、翌1978年に2号炉、1981年に3号炉、そして1983年に4号炉が竣工した。 さらに、それぞれ1GWeを発電することができる5号炉と6号炉の2つの原子炉が、その事故の時に建設中だった。これら4つのプラントはRBMK-1000型である。また、4号炉の事故が起こらなければ、世界一になる予定であった。

 4つの炉は、それぞれ電気出力1ギガワットe (熱出力3.2ギガワットth)を発電でき、合計でソ連の原子力発電量の15%、ハンガリーへのエネルギー輸出の80%を占めていた。4号炉は、ウクライナの電力のおよそ10%を生産していた。

 この発電所を含む、チェルノブイリやプリピャチなどは、この原発に勤務する人やその家族のために作られた、当時世界地図上には存在しない機密都市だった。そのため、警備体制が厳しかった。

 事故に繋がる重大な欠陥ではないと見られているが、設計図に記載されている耐熱性の材料が手に入らなかったため、可燃性の材料を使用し突貫工事を行ったとされている。

 また、原子力発電に関わる記念日があり、所長はその日までに何としても完成させるようにしたため、大部分において欠陥があったともみられている。最終的に、稼動前の点検をも行わないまま運転を開始したため、可燃性の材料を使用したことは事故前に分からなかった。

◆チェルノブイリ原発事故概要

 この規模の原発事故は他に例がなく、世界の原子力開発の歴史の中で最悪の事故と言われている。

事故当時、爆発した4号炉は操業休止中であり、原子炉が止まった際に備えた実験を行っていた。この実験中に制御不能に陥り、炉心が融解、爆発したとされる。爆発により、原子炉内の放射性物質[1]が大気中に大量に(推定10t前後)放出された。これは、広島に投下された原子爆弾(リトルボーイ)による放出量の500倍とも言われている。

 当初、ソ連政府は住民のパニックや機密漏洩を恐れ、この事故を公表しなかった。また、付近住民の避難措置等も取られなかったため、彼らは甚大な量の放射線をまともに浴びることになった。しかし、翌4月27日にスウェーデンのフォルスマルク原子力発電所にてこの事故が原因の放射性物質が検出され、4月28日、ソ連も事故の公表に踏み切った。日本でも、5月3日に雨水中から放射性物質が確認された。

 爆発後も火災は続き、消火活動が続いた。アメリカの軍事衛星からも、赤く燃える原子炉中心部の様子が観察されたという。ソ連政府によれば、5月6日までに大規模な放射性物質の漏出は終わったとされる。

 事故による高濃度の放射性物質で汚染されたチェルノブイリ周辺は、居住が不可能になり、約16万人が移住を余儀なくされた。避難は4月27日から5月6日にかけて行われ、ソ連の発表によれば、事故発生から1ヶ月後までに原発から30km以内に居住する約11万6千人全てが移住したという。しかし、生まれた地を離れるのを望まなかった老人などの一部の住民は、移住せずに生活を続けた。

 放射性物質による汚染は、付近のウクライナだけでなく、隣のベラルーシ、ロシアも多かった。

◆事故の原因

 事故発生時、4号炉では動作試験が行われていた。これは、原子炉停止によって電源が停止してから非常電源に切り替えるまでの短い時間の間、システムが動作不能にならないように、原子炉内の蒸気タービンの余力で最小限の発電を行うというものであった。しかし、責任者の不適切な指示や、炉の特性による予期せぬ事態の発生により、不安定状態から暴走に至り、最終的に爆発した。

 動作試験は、原子炉熱出力を定格熱出力の20% - 30%程度に下げて行う予定であったが、炉心内部のキセノンオーバーライドによって、熱出力が定格の1%にまで下がってしまった。運転員は熱出力を回復する為に、炉心内の制御棒を引き抜く操作を行った。

 これにより、熱出力は7%前後まで回復したが、反応度操作余裕(炉心の制御棒の数)が著しく少ない不安定な運転状態となった。この不安定な運転により実験に支障が出ることを危惧した運転員らは、非常用炉心冷却装置を含む重要な安全装置を全て解除し、実験を開始した。

 実験開始直後、原子炉の熱出力が急激に上昇しはじめたため、運転員は直ちに緊急停止操作(制御棒の挿入)を行ったが、この原子炉は、特性上制御棒を挿入する際に一時的に出力が上がる設計だったため、原子炉内の蒸気圧が上昇し、緊急停止ボタンを押した6秒後に爆発した(緊急停止ボタンを押したために原子炉が暴走した。

 この爆発事故は、運転員への教育が不十分だったこと、特殊な運転を行ったために事態を予測できなかったこと、低出力では不安定な炉で低出力運転を続けたこと、実験が予定通りに行われなかったにもかかわらず強行したこと、実験の為に安全装置をバイパスしたことなど、多くの複合的な要素が原因として挙げられる。後の事故検証では、これらのいずれかがひとつでも守られていれば、爆発事故、或いは事故の波及を最小限に抑えることができた可能性が極めて高いとされている。

 当初ソ連政府は、事故は運転員の操作ミスによるものとしたが、のちの調査結果などはこれを覆すものが多い。重要な安全装置の操作が、運転員の判断だけで行われたとは考えにくく、実験の指揮者の判断が大きかっただろうと考えられる。

 事故から20年後の一部報道の中には、暴走中に「直下型地震」が発生したことが爆発に繋がったとするものもある。ロシア地球物理学研究所のストラホフ前所長によると、事故の約20秒前に小さな直下型の地震があったが、原子炉は耐震構造ではなかったために原子炉で爆発が起きたということである。

 しかし、京都大学の今中哲二は、他の1 - 3号炉に異常が無かったこと、付近の住民が地震についての証言をしていなかったことなどから、地震計に記録されているとされるその振動は、4号炉の爆発そのものによって引き起こされたものであると反論している。

 事故の前年の12月26日の原子力産業の記念日にあわせて4号炉を完工するために、耐熱材質を不燃性材質から可燃性材質へと変更し施工を強行したことも放射性物質の拡散拡大の原因にあげられる。

◆事故直後の対応

 地方行政当局の対応のまずさと適切な設備の欠如によって事故の規模は拡大した。

 4号原子炉建屋に設置された線量計は、2つを除いて1ミリレントゲン毎秒までしか測定できないものだった。残りの2つの線量計は1,000レントゲン毎秒まで測定可能だったが、そのうち1つは爆発のために接近できず、もう1つは作動させた時に故障していた。

 そのため、原子炉の操作員は原子炉建屋の大部分の放射線レベルが4レントゲン毎時より大きいことを確認できただけだったが、実際の線量レベルは、最も高い区域で20,000レントゲン毎時であった[4]。このような不完全な情報に基づき、操作員の班長アレクサンダー・アキモフは原子炉が損なわれていないと判断した。このとき、建物周辺には黒鉛と核燃料の小片が横たわっていたが、原子炉破損の判断には繋がらなかった。

 また、現地時間4時30分までに持ち込まれたもう1つの線量計による測定値は、線量計の故障と判断された。原子炉に水を送り込もうと作業を続けたアキモフと操作員は、翌朝まで原子炉建屋に留まったが、いずれも保護具を着用しておらず、大部分は事故後3週間で放射線障害のため死亡した。

 事故直後、消防士が消火活動のために到着したが、彼らは放射性物質による煙や残骸等がどれほど危険であるかを告げられてはいなかった。火災は5時までには消火したが、多くの消防士が高い放射線量を被曝した。

 事故を調査するために政府委員会が招集され、副首相が4月26日夜チェルノブイリに到着した。 その時までに2人が死亡し、52人が入院していた。 4月26日の夜(その爆発の24時間以上後)に、非常に高いレベルの放射能と多人数の放射線被曝の十分な証拠に直面した委員会は原子炉の破損を認めなければならなくなり、プリピャチ(ウクライナ)の近くの都市からの退避を命令した。

 大惨事の拡大を止めるために、ソビエト政府は清掃作業にあたる労働者を現地に送りこんだ。 (陸軍兵士とその他の労働者で構成された)多くの「解体作業者(liquidator)」が清掃スタッフとして送り込まれたが、大部分がその危険について何も知らされておらず、効果的な保護具は利用できなかった。

 放射性の残骸のうち最悪のものは原子炉の残骸の中に集められた。原子炉それ自身はヘリコプターから投下された砂嚢(事故の翌週間におよそ5,000t)で覆われていた。大きい鉄の石棺が原子炉とその中身を封じ込めるために早急に建てられた。

◆推定死者数

 ソ連政府の発表による死者数は、運転員・消防士合わせて33名だが、事故の処理にあたった予備兵・軍人、トンネルの掘削を行った炭鉱労働者に多数の死者が確認されている。

 長期的な死者数は数百人とも数十万人とも言われるが、事故の放射線被曝とガンや白血病との因果関係を直接的に証明する手段はなく、科学的根拠のある数字としては議論の余地がある。

 事故後、この地で小児甲状腺癌などの放射線由来と考えられる病気が急増しているという調査結果もある。

 1986年8月のウィーンでのIAEA非公開会議で、ソ連側の事故処理責任者ヴァシリー・レガソフは、広島原爆での結果から、4万人が癌で死亡するという推計を発表した。しかし、会議では4,000人と結論され、IAEAの公式見解となっており、2005年にも同じ数字が公式発表された。

出典:Wikipedia 日本語版


 少々古いデータだが、ロシアを含めた東欧には以下のように沢山の原発がある。チェルノブイリ原発事故は決して他人事ではない。


出典:Overview of U.S. Cooperative Safety Work

 さて、問題は日本だ。当然、日本も人ごとではない。

 政権を奪取した民主党は、こと原発問題について押し黙っている。

 日本は別だと考えているのだろうが、これだけ狭い国土に50以上の原発を抱え、六ヶ所村に核廃棄物処理施設を途方もない費用で建設している日本で、ひとたび大きな事故が起きたら大変なことになる。

 人口密度から単純にリスクを想定すれば、事故時の風向きにもよるが、長期的にはおそらくチェルノブイリ事故の想定死亡者である数10万人レベルにとどまらず、最悪一桁多い規模の犠牲者が出る可能性がある。

 最後に、民主党はさらなる原発の推進で2020年にCO2排出量を25%削減なんていわないだろうね。洒落にもならない。

 東京電力、関西電力、中部電力などの電気事業者に気をつかい、原発事故報道ですら満足にしない日本の大メディアは、メディアの社会的役割を全く果たしていない。
 
 大メディアは民主党の原発政策について質問すらしないが、いつまでもタブー視ではすまされないだろう!