エントランスへはここをクリック   

ベトナム・ホーチミン市短訪
Short visit to Ho Chi Minh City in Vietnam
【15】ベトナム歴史博物館①

Vietnam Historic Museum

青山貞一・池田こみち
Teiichi Aoyama & Komichi Ikeda
Environmental Research Institute, Tokyo

    
掲載月日 掲載月日:2011年2月24日2013年8月7-11日拡充
 
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁

内容目次
1 活気溢れる社会主義都市    7 べとちゃんとどくちゃん    13 市民劇場とその周辺
2 ホーチミン市の概要    8 統一公堂、旧大統領府   14 ホーチミン市革命博物館
3 ホーチミン市のエポック2つ    9 ホーチミン動植物園   15 ベトナム歴史博物館
4 戦争証跡博物館①    10 ホーチミン市人民委員会   16 ベトナム歴史博物館②
5 戦争証跡博物館②    11 中央郵便局と大聖堂   17 ベンタイン市場
6 戦争証跡博物館③ 12 ホーチミン作戦博物館 18 トン・ドック・タン博物館

 ベトナム歴史博物館は、動植物公園そして作戦博物館のすぐ隣にある博物館です。

 以下はベトナム歴史博物館の入り口です。入場料は15000D、団体割引もあります。

 30年前の人間の足跡から、ベトナム王朝の衰退、それに少数民族などの資料、文物が展示されています。

ベトナムの歴史






伝説時代
(甌?国)
北属期
南越統治)
徴氏姉妹






北属期
六朝統治)

前李朝
北属期統治)
梅叔鸞





北属期南漢統治)
楊廷芸矯公羨
呉朝
十二使君時代
丁朝
前黎朝
李朝






陳朝
胡朝
後陳朝
北属期統治)
後黎朝前期
莫朝
後黎朝後期 莫朝
鄭氏政権 阮氏政権
西山朝
阮朝
フランス領インドシナ
ベトナム帝国
コーチシナ共和国 ベトナム民主共和国
ベトナム国
ベトナム共和国
南ベトナム共和国
ベトナム社会主義共和国

 下の写真は歴史博物館の外観です。ベトナムにはハノイにも歴史博物館があります。

?ベトナム歴史博物館の写真
ベトナム歴史博物館 (トリップアドバイザー提供)

 これは隣にあるサイゴン動植物公園側からの写真です。

?ベトナム歴史博物館の写真
?ベトナム歴史博物館 (トリップアドバイザー提供)

 以下にフランス・インドシナ以降のベトナムの歴史を概説します。

◆フランス・インドシナ以降のベトナムの歴史

1887年~1945年。

 ベトナムの植民地化を図るフランスは、1883年の癸未条約(英語版)・1884年の甲申条約(英語版)によってベトナムを保護国化した。ベトナムへの宗主権を主張してこれを認めない清朝を清仏戦争で撃破し、1885年の天津条約で清の宗主権を否定した。

1887年にはフランス領インドシナ連邦を成立させ、ベトナムはカンボジアとともに連邦に組み込まれ、フランスの植民地となった。阮朝は植民地支配下で存続していた。

1900年代になると、知識人の主導で民族運動が高まった。ファン・ボイ・チャウは、日本に留学生を送り出す東遊運動(ドンズー運動)を展開した。1917年にロシア革命によってソビエト連邦が成立すると、コミンテルンが結成され植民地解放を支援した。

こうした中で、コミンテルンとの連携のもとでの民族運動が強まった。1930年にはインドシナ共産党が結成され、第二次世界大戦中のベトミン(ベトナム独立同盟)でもホー・チ・ミンのもとで共産党が主導的な役割を果たした。

第二次世界大戦

1939年にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、1940年6月22日にフランスが降伏すると、同年9月には降伏を受け入れたヴィシー・フランス側の承認の下に、日本軍がフランス領インドシナに進駐した(仏印進駐)。

仏印進駐後のベトナムはヴィシー・フランスと日本による二重支配体制が敷かれた。

 日本は「大東亜共栄圏」を主張したが、ベトナム帝国として形式的な独立を果たした日は、東京大空襲の翌日に当たる1945年3月11日であった。このベトナム帝国の成立は、阮朝が王政復古を果たした日でもあった。

1944年秋から1945年春にかけて、ベトナム北部を中心に激しい飢饉が発生した(1945年ベトナム飢饉)。北部の凶作、収穫米の強制買い付け制度、戦略爆撃によって鉄道網が寸断されたこと、そして日本軍とフランス政庁が有効な対策を取ろうとしなかったことなどが原因で40万から200万人に及ぶ人々が餓死した。飢饉の原因と死者数については様々な意見がある。フランスの植民地支配の解放軍を自称していた日本にたいする期待は完全に失われ、ベトミンの勢力が伸長するきっかけとなった[。

8月14日に日本が降伏を予告すると、1945年8月14日から15日にインドシナ共産党の全国大会がタンチャオ(トゥエンクアン省)で開かれた。そこで、全国的な総蜂起が決定され、全国蜂起委員会が設立された。

 委員会は軍令第1号全人民に決起を呼びかけた。次の16日に各界・各団体・各民族の代表が出席する国民大会が同地で開かれた。大会は全会一致で総決起に賛成し、ベトナム民族解放委員会を設立し、ホーチ・ミンを主席に選出した。


撮影:青山貞一、Nikon Coolpix S8

?ベトナム歴史博物館の写真
ベトナム歴史博物館 (トリップアドバイザー提供)

 同主席は全国民に書簡で総決起を呼びかけた。 その3日後にベトナム八月革命が勃発し、ベトナム帝国皇帝バオ・ダイは8月30日に退位を宣言した。そして、9月2日には、ホー・チ・ミンは臨時政府を代表してベトナム独立宣言を厳かに読み上げ、国民と世界に向けてベトナム民主共和国の誕生を宣言した。

南北分断時代

1945年9月2日、日本の降伏によって第二次世界大戦は終わり、直ちにホーチミンを首班とする政府を樹立して独立を宣言したが、ベトナムは冷戦による分断世界の巷に巻き込まれた。

 大日本帝国に勝利した連合国側は先ず中英が進駐し、続いてフランスが進駐し傀儡政権を樹立、再度ベトナムを植民地化し、これに対する第一次インドシナ戦争が始まった。

?ベトナム歴史博物館の写真
?ベトナム歴史博物館 (トリップアドバイザー提供)

 フランスは次第に追いつめられ最終的にディエンビエンフーの戦いに破れて終結し1954年7月21日、ジュネーヴ協定の調印で決着した。

 この協定の調印によって、北緯17度線を境に両軍の兵力分離を図り全国統一選挙を実施することになったが、フランスの後を継いだアメリカがジュネーブ協定には参加せず協定の統一選挙実施をサボタージして傀儡政権維持を図ったことでベトナムは完全に南北に分断された。


撮影:池田こみち、Nikon Coolpix S10

 そして、1965年2月7日、アメリカ軍による北爆によってベトナム戦争が始まった。ベトナム戦争の終わりは、1975年4月30日のサイゴン陥落によって、親米政権が倒された時であった。

 なお、日本との和解は、ベトナム共和国(南ベトナム)が1959年、ベトナム民主共和国(北ベトナム)が1973年であった。

南北分断時代北ベトナム - ベトナム民主共和国(1945年 - 1976年)
南ベトナム ベトナム国(1949年 - 1955年)
ベトナム共和国(1955年 - 1975年)
南ベトナム共和国(1968年 - 1976年)

ベトナム社会主義共和国

ベトナムの現代は、1976年7月2日に、ベトナム社会主義共和国が成立して、統一ベトナムが実現した事に始まる。

1993年2月にはフランスとの和解を果たした。そして、1995年7月28日には東南アジア諸国連合に加入し、その直後の8月5日にはアメリカ合衆国との和解を果たした。

主な出典:Wikipedia

ベトナムの世界遺産

ベトナムには、多数の世界遺産があります。以下はそのなかからベトナム中部の
閑静な歴史都市、フエの世界遺産を紹介します!


フエのNgomon 
ベトナム中部の都市フエには、19世紀に越南阮朝の都と宮廷が置かれた。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」として登録されている。
ベトナム・フエの重要伝統史跡 出典:Wikipedia


ベトナムの世界遺産


フエの應陵(弘宗)
ベトナム中部の都市フエには、19世紀に越南阮朝の都と宮廷が置かれた。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」として登録されている。
ベトナム・フエの重要伝統史跡 出典:Wikipedia


石碑・謙陵(翼宗)
ベトナム中部の都市フエには、19世紀に越南阮朝の都と宮廷が置かれた。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」として登録されている。
ベトナム・フエの重要伝統史跡 出典:Wikipedia


フエの崇成門
ベトナム中部の都市フエには、19世紀に越南阮朝の都と宮廷が置かれた。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」として登録されている。
ベトナム・フエの重要伝統史跡 出典:Wikipedia

つづく