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三浦和義氏追悼:
〜500件超の本人訴訟〜

青山貞一
掲載月日:2008年10月11日


 三浦和義氏がサイパンからグアム、ハワイ経由で移送されたロスの拘置所で自殺したというニュースが10月11日の夕方入ってきた。私はちょうど、冤罪問題を追及しているグループから「三浦和義氏の長期拘留・逮捕状有効決定に抗議する声明」を「独立系メディア」にアップロードしている最中のことであった。

 その三浦和義氏は、東京拘置所のなかから、名誉毀損裁判を本人訴訟で、それも500件を超す訴訟を起こした。時効などを除けば、勝訴率は8割以上とされている。

 私は大学の法律の授業のなかで三浦和義氏が行ったこの本人訴訟について訴訟実務を含め必ず触れている。そして学生達に自分の権利が不法に侵害されたら、泣き寝入りすることなく、本人訴訟で対応しようと教えている。

 その三浦和義氏は、「人権と報道 連絡会」での講演で本人訴訟について次のように述べている。


 「1985年9月に逮摘された後、『こんなでたらめな報道にあっていったいどうすればよいのか』とく本当に悩みました。そのまま放置すれば、報道が事実として皆さんの胸に残ってしまう。

 あれだけの報道の中で、そう思わない人は逆におかしい。拘置所に面会に来てくださった人権と報道・連絡会の方の中に支『最初は三浦さんを犯人と思っていた』と言う方がいました。それが当時の報道に接Lた人のごく自然な受けとめ方だと思います。

 私は悩んだあげく、『報道は事実ではない』とはっきり言つために、朝日新聞はじめ多くの新聞社に抗議をした。しかし、半分以上は返事ももらえない。返ってきても『当社としては信じるに足りる取材・報道をした』で終わりです。

 私は一個人です。しかし新聞社は何億という資本金を持った大会社です。1対1になるにはどうすればいいのか。結局民事訴訟を起こして、法廷に彼らを引き出し、裁判所にどちらが正しいか判断してもξつしかない、そう考えて、初めて訴状を書いたわけです。

 訴状は『本人訴訟はこうすればできる』という本を参考に書き、そうしてこれまでに486件の訴状を出して争ってきました。

 当時、私がいちばん悩んだのは、日本には報道被害を訴えていく第三者機関がない、ということでした。報道やメディアに対して警告を出してくれるような機関がない、最近、テレビ界にはBROに関ずる委員会機構ができましたが、その第一回の判定をみると、やはりメディア寄りの印象があります。そういう不満は今でもあります。

 結局個人がメディアと闘って、ごく当たり前に誤りを正させるには民事訴訟を一人で起こすしかない、なぜ一人でかというと、日本の民事訴訟の判決は、勝訴して良いいところ100万円。

 弁護土を立てれば、その謝礼などでほとんど消えてしまって、1割り残ればいい方。それが今の判決状況です。それで、本人訴訟でやり始めたわけです。本人訴訟はどれぐらいでできるか。仮に300万円の損害賠償を請求する訴訟を起こした場合、印紙代は2万4600円、一それに予納郵券などを入れても3万少し。あとは、ボールペンー本と若干の努力さえあれば、だれにでもできるのです。

 ....中略....

 私が起こした訴訟について、マスコミで流れている[勝率は6割」というのはトリックです。私の敗訴の半分以上は、時効による門前払いで、私は負けたとは思っていません。

 ....中略....

 報道被害にあったら、どんどん訴訟を起こしたらいい、私はそう言ってきましたし、現に名古屋、大阪、東京拘置所で3人の方が30件以上の訴訟を起こし、何件かは勝訴もしています。拘置所にいる間はほとんどできませんでしたが、これからは彼らに私の民事訴訟の訴状、準備書面、判決などのコピーを送って、どんどん訴訟を起こしてほしいと思っています。

出典:「人権と報道 連絡会ニュース」より


 以下はWikipedia より。

 三浦はマスコミに報道された名誉毀損報道に対し、弁護士を代理に立てない本人訴訟を起こす(民事訴訟のみ可能)。マスコミに対する名誉毀損の訴訟は476件にものぼる。三浦は訴訟の内80%が勝訴していると主張している(15%は時効による却下、5%は三浦の敗訴)。

 現在は被疑者の人権を守るために、逮捕や連行の場合は警察は頭から衣服をかぶせたり全体をシートで遮断するなどの措置が、報道機関では手錠にモザイクをかけたりしている。

 これは1985年9月11日に三浦が逮捕において警察が連行中に、報道関係者の写真撮影用に腰縄・手錠姿を撮影させた際、三浦はこれを有罪が確定していない被疑者を晒し者にする人権侵害だとして提訴して三浦が勝訴したことがきっかけとなった。