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筑紫哲也氏を偲んで

〜一日に三箱はないよ筑紫さん〜

青山貞一

掲載月日:2008年11月9日
独立系メディア E-wave Tokyo
無断転載禁



  かねてから肺ガンで入院されていたジャーナリストの筑紫哲也氏のガンが全身に転移し、この11月7日亡くなられた。ご冥福をお祈りする。

 私と筑紫氏との最初の出会いは、1991年1月のTBSのニュース23に出演したときのことだ。筑紫氏がニュース23のキャスターに係わった歳月は18年間というから、1991年は就任1〜2年後のことである。

 1991年1月初頭、イラクがクウェートに侵攻し、その後、米軍がイラクを空爆することで1991年1月17日いわゆる湾岸戦争がはじまった。


 私たちの環境総合研究所は、1990年の夏から秋にかけ、もし湾岸戦争が中東の油井密集地で起こったら、間違いなくペルシャ湾に原油が流れ込み、油井が炎上する、と仮説を起いた。その上で水質汚濁や大気汚染の影響の予測と評価を行った。当然、戦争は最大の環境破壊である。それを検証していったのである。

 この活動は終戦後、クウェート、ドバイへの環境現地調査に発展する。

 当時は当然、ホームページやメールなどインターネットがない時代、データ入手には限界があったが、サウジなど現地の大学や現地入りしているメディアからパソコン通信によって油井炎上数や気象データを入手し それをもとに数値計算を行い、予測、評価を行い、その暫定結果を週単位で関係する各国大使館、環境庁やマスコミに調査結果をFAXしていた。

 湾岸戦争そのものを環境アセスメント、今の言葉で言えば戦略的環境アセスメントしたわけだ。このような試みは、世界的にみても類例がなく、結果的に連日、テレビ、新聞、雑誌の集中放火的な取材を受けることになった。半年間に受けた取材は300件以上もあった。

 1月のある日、私は朝から深夜まで民放各局の取材を受けた。テレビ局のスタジオを6回も回ることになった。私の62年の人生で一日にテレビ各局を6回もはしごしたのは、はじめてのことであった。とくにTBSは一日に2回となった。

 その日の最後が赤坂にあるTBSだった。番組は番組開始まもないニュース23であった。当時、筑紫氏がメインキャスター、サブキャスターは写真にあるように阿川さんだった。開設間もないTBSのニュース23の湾岸環境特番には、私以外に沖縄大学教授の宇井純氏も参加していた。


1991年1月の湾岸環境特番でキャスターを務める筑紫哲也氏


ニュース23の湾岸環境特番のタイトルバック


ニュース23に出演中の左から阿川氏、筑紫氏、宇井氏、筆者(青山)


ニュース23に出演中の筆者(青山貞一) 1991.1

 ニュース23の生番組なか、数分のコマーシャルが入ることになった。

 全員がスタジオにほと近い別室で休憩に入った。

 このとき、驚いたことに、宇井氏と筑紫氏がいきなり狭い休憩室に入るやいなや、タバコを吸い出したのである。

 宇井氏がヘビースモーカーなことはよく知っていたが、筑紫氏が超がつくほどのヘビースモーカーであることをそのときはじめて知った。17年前のことである。

 私は現在でも重度な気管支喘息患者だが、当時も重い咳をしていた。その私を前に2人がやわらタバコをプカプカ吸い出したのである。

 これには本当に驚いた。

 なぜなら、宇井氏は当時日本を代表する第一線の環境公害問題の研究者であったし、筑紫氏も第一線の環境問題のジャーナリストであったからだ。

 環境問題の第一線の研究者やジャーナリストが超がつくほどのヘビースモーカーであること自体大いに疑問を感ずる。何でも筑紫氏は一日にマルボロ3箱を吸っていたそうだ。

 日本人、とくに研究者やジャーナリストがいかに現行不一致であるかは、常々きになっていたが、まさに、この時、日本を代表する研究者とジャーナリストの現行不一致をまざまざと見せつけられたのである。本当に遺憾なことだ。

 これは研究者倫理あるいはジャーナリスト倫理の問題でもある。だが、それとは別に、休憩室で見たビースモーカーの光景は、その程度のすさまじさから、以降、宇井氏や筑紫氏が呼吸器系のガンになるのではと心底心配することになった。

 私は自分の性格からして、何としても禁煙してもらいたい。そこで環境研究者や環境ジャーナリストでもあるお二人に、何度か禁煙を進言した。

 ........

 しかし、大変残念なことだが宇井氏は、2006年11月11日、胸部大動脈瘤(りゅう)破裂のため、東京都港区の病院で死去した。74歳であった。そして筑紫氏は2008年11月7日午後、本格復帰することなく、肺がんのため東京都内の病院で死去した。72歳であった。

 周知のように肺ガンなど呼吸器系のガンは、早期発見後の5年、10年生きる確率は非常に低い。10年でせいぜい20%、5年でも30%程度だ。すなわち、早期発見の場合でも肺ガン患者がその後、10年間生き残る確率は20%しかないということである。
 
 日本ではなぜか、この種の現行不一致を直接当人に問うひとは少ないが、私は彼ら自身や残されるご家族、さらに希有な人材であるという意味においても、一日でも長く生きてもらいたい一心で忠告をさせていただいた。

 残念なことだが、お二人ともドクターストップがかかるまで、タバコを吸い続けられ、結局、希有な研究者とジャーナリストを亡くすことになってしまったのである。

 お二人のご冥福をお祈りしたい!