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2013年 夏

1000年余続く

「相馬野馬追」参加記@

青山貞一
 
独立系メディア E−wave Tokyo
掲載月日:2013年7月30日
無断転載禁


 現在、南相馬市長をされている櫻井勝延さんとは、ここ10年来、南相馬市原町区大甕に産廃業者が立地、建設してきた産廃処理施設に関連し、一緒に闘ってきた仲間です。

 今年になって、福島県が産廃業者に出した設置許可を取り消せという櫻井さんらが起こした行政訴訟で最高裁が設置許可取り消しの最終判断をしました。

 その都度、私の携帯電話に連絡されるとともに、「青山さん、今年こそ相馬野馬追行事にいらしてください」と伝えてくれていました。

 下は、2011年6月、私達、環境総合研究所のメンバーが福島県内ほぼ全域の空間放射線量の測定で南相馬市を訪問した際、櫻井さんが相馬太田神社に連れて行ってくれたときの写真です。

 相馬野馬追は、この相馬太田神社が一大拠点となって開催されています。


相馬太田神社にて
左から斉藤さん(南相馬住民)櫻井勝延市長、青山貞一、池田こみち
撮影:鷹取 敦


相馬太田神社にて
左から青山貞一、櫻井勝延市長、池田こみち
撮影:鷹取 敦

 そしてこの7月、はからずも今回、日帰りではありますが日本で最大規模の歴史的行事を眼前で見ることができました。

 当初、2泊3日のフルコースで参加する予定でした。

 しかし、相馬野馬追行事のメインとなる28日の前日の7月27日は、地元南相馬はもとより仙台、名取、福島、郡山などのビジネスホテルがどこもかしこも満室、結局、苦肉の策で日帰りを思い立った次第です。

 7月28日は午前4時に起き、目黒線、JR山手線、東北新幹線、福島交通バスなど、ほとんどすべての始発を乗り継ぎ、福島県の相馬で1000年以上も前から行われている「相馬野馬追」を観戦してきました。ちなみに私が東京駅から乗った東北新幹線は、やまびこ51号盛岡行き、東京駅発午前6時4分発、午前7時38分福島駅着でした。

 福島交通は、福島駅の東口から南相馬市役所までの臨時バスを出し、しかも1台目が満員となると次のバスを出すという便宜もはかってくれました。おかげで、行き、帰りとも臨時便の2台目に乗ることができ、無事日帰りで「相馬野馬追」を満喫することができました。



 福島駅東口から南相馬までの福島バスの運転経路は、福島市→川俣町→飯舘村→南相馬市と、私達が何度か空間放射線量を計るために通った道であり、何か複雑な思いがしました。


「相馬野馬追」の中心地
出典:平成25年度の公式パンフレット

 下は以前も通った飯舘村の山津見神社近く。


撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S8 2013-7-28

 最初に、相馬野馬追の起源と歴史について、簡単におさらいしておきます。

 「相馬野馬追」(そうま・のまおい) は、相馬氏の始祖、平将門に始まると伝えられています。当時、下総国葛飾郡小金ヶ原、現在の千葉県流山周辺の牧に馬を放し、夏秋、二度、三度、八カ国の兵を集めては、甲冑に身を固めた武士が野馬を敵とみなし行った武術訓練とされています。

 平将門没後、数代の間、野馬追は出来ませんでしたが、平頼望より六代目の重国の代になって下総国相馬郡守谷に移り、名を改め、相馬を名のり相馬家を再興しました。

  
※8月3日朝のNHKの7時台のニュース(おはよう日本)で
    茨城県高萩について紹介していました。花貫という場所
    に渓谷があり、東京が33℃のときでも、22℃と涼しいとの
    ことですが、実は、この花貫は昔から軍馬を育てている...
    というアナウンスがありました。まさに「相馬野馬追」は、そ
    の昔、千葉県の流山や茨城県の守谷でやっていたことと
    符合します。青山


 平将門の正統を継いだ師常は、鎌倉四天王の一人として武名をはせ、奥州行方を拝領、奥州相馬の祖となりました。

 奥州で最初の居住地となった行方郡太田村は現在の南相馬市原町区です。相馬藩は、藩政時代には、藩の役所のあった中村(現在の福島県相馬市)の名をとり中村藩と呼ばれていました。

 武具の充実と武術の鍛錬を怠ることが出来ない相馬(中村)藩にとって、「野馬追」行事は、幕府の厳しい監視の目を逃れる格好のかくれ蓑として、武術の訓練を行う場となったのです。

 このように「相馬野馬追」は、千余年前から現在に継承される稀有な伝統行事なのです。五百頭近くの馬と甲冑武士に扮した人々によって勇壮な時代絵巻が眼前で繰り広げられることになります。



出典:平成25年度の公式パンフレット

 さて今年の「相馬野馬追」は7月27日から7月29日の3日間の予定で開催されましたが、メイン中のメインは、7月28日の南相馬市の中心地の道路で行われる<お行列>と原町地区の南部の祭場地で行われる、<甲冑競馬>そして<神袋争奪戦>の3つです。 いずれも現在、国指定の重要無形民族文化財となっています。

 「相馬野馬追」は、いわば武士と馬が繰り広げる武芸訓練、武闘訓練ようなもので、1000年以上の歴史があります。この行事がはじまった頃は、今の千葉県流山、またその後は茨城県北茨城の守谷で行われていましたが、江戸時代以降は、福島原発(第一、第二)が立地されている双葉〜相馬であり、その中心は今の南相馬市、合併前の原町市にあります。正式には福島県南相馬市原町区となります。
 
 実は、参加できなかった27日の第一日目には、出陣式、総大将お迎えの儀式、宵乗りの3つの行事があります。

<出陣式>


出陣式 出典:相馬野馬追公式Webより

 出陣式は相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社の各妙見神社で行われ、総大将を擁する相馬中村神社では、出陣の儀式はとりわけ厳かだそうです。

 それぞれの神社に参拝し、祝杯をあげ、やがて出陣の準備が整うと大将が出陣を命じます。軍者の振旗を合図に螺役が高らかに螺を吹き、いざ出陣となるわけです。

<総大将お出迎えの儀式>


総大将お出迎えの儀式 出典:相馬野馬追公式Webより

 総大将お迎えの儀式は古式に則ったもので、総大将よりの伝言は早馬により、逐一知らされ北郷陣屋にはひときわ緊張感が漂います。

 その後、総大将お迎えの儀式を終えた宇多郷、北郷勢の一隊は一路雲雀ヶ原祭場地のある原町区に向かいます。

<宵乗り>


宵乗り 出典:相馬野馬追公式Webより

 宵乗りや、熱気あふれる古式競馬の再現となります。

 馬場清めの儀式が相馬太田神社宮司によって行われ、 螺役が全山に鳴り響くと、白鉢巻に野袴・陣羽織といういでたちで、いななく馬にまたがり、宵乗り競馬が開始されます。

 騎馬武者達による古式馬具をつけて、一周千メートルの馬場を走る競馬は荒々しく、古式再現の熱気が伝わってきます。

 そして28日朝からはじまる<お行列>です。

 このお行列には、「相馬野馬追」の実行委員長となっている櫻井勝延南相馬市長も加わっています。

つづく