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全生園・国立ハンセン病資料館

 現地視察記
(1)

青山貞一・池田こみち・山形美智子

掲載日:2015年3月26日
独立系メディア E-wave Tokyo
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 2015年3月24日火曜日、午後2時に徳川家霊廟・宝塔・灯籠実態調査の一環として、東京都清瀬市の円福寺に青山貞一、池田こみち、山形美智子の3人で練馬の池田の実家から車ででかけました。

 円福寺で地元住民の川辺美佐子さんと合流し、円福寺の境内を視察、調査した後、清瀬市内の身近な自然と共生するすばらしい住宅地を全員でトレッキングしたあと、清瀬市の隣にあります東村山市のハンセン病患者の収容施設、全生園を視察しに行きました。


◆全生園(ぜんしょうえん)

 全生園(ぜんしょうえん)は、正式には国立療養所多磨全生園といい、東京都東村山市にあるハンセン病患者の収容施設です。この種の施設は下の地図にあるように、全国に多数ある国立ハンセン病療養所の一つであり、厚生労働省所管の施設です。

 全国に14カ所ありますが、そのうち13カ所が国立であり私立が1つあります。


国立ハンセン病資料館配付資料より

出典:http://www.geocities.jp/libell8/4ryouyousyo.html より作成
国立療養所 在園者数 在園者数 在園者数 在園者数 在園者数 在園者数 在園者数
(2003年) (2004年) (2005年) (2006年) (2007年) (2008年) (2009年) 平均年令
松丘保養園 205人 189人 176人 161人 152人 147人 141人 79.6歳
東北新生園 191人 177人 167人 158人 152人 144人 136人 80.7歳
栗生楽泉園 251人 236人 223人 200人 186人 169人 159人 81.6歳
多磨全生園 447人 417人 371人 358人 334人 319人 297人 80.8歳
駿河療養所 151人 141人 136人 127人 119人 112人 105人 79.4歳
長島愛生園 499人 471人 445人 424人 396人 369人 356人 80.8歳
邑久光明園 288人 267人 258人 244人 230人 215人 205人 81.2歳
大島青松園 188人 170人 158人 155人 138人 127人 120人 78.8歳
菊池恵楓園 592人 557人 522人 483人 456人 426人 405人 78.4歳
星塚敬愛園 359人 339人 319人 290人 279人 265人 242人 80.9歳
奄美和光園 76人 69人 68人 64人 59人 56人 51人 82.1歳
沖縄愛楽園 355人 341人 326人 309人 291人 276人 264人 79.1歳
宮古南静園 131人 126人 117人 107人 98人 92人 87人 81.4歳
私立療養所
神山復生病院 15人 11人 11人 11人
待労院診療所 10人 10人 10人 9人
合      計 3758人 3521人 3307人 3100人 2890人 2717人 2568人 80.2歳
※2005年5月1日現在(愛媛県HPより)
  平均年齢:国立13園=77.5歳:神山復生病院=78.4歳:待労院診療所=79.0歳
※2005年末(読売新聞2006.8.13より)平均年齢:国立13園=77.97歳           
※2006年の在園者数は5月1日現在(厚生労働省HPから)
※2007年の数字は5月1日現在厚生労働省調べです。平均年齢:国立13園=78.9歳(詳細は下表↓)
※2008年の数字は5月1日現在です。平均年齢:国立13園=79.5歳 
※2009年の数字は5月1日現在です。


 全国のハンセン病療養所には、平成26年5月1日現在、1847名の患者が入所しています。これらの施設では現在も過去に収容されたハンセン病患者の治療・看護等を行っています。

 この他園内には附属看護学校(進学コース・2年制)、「花さき保育園(社会福祉法人「土の根会」運営)」などがあります。また隣接した敷地には国立ハンセン病資料館(旧高松宮記念ハンセン病資料館)があります。

 この全生園を全国的に周知したのは、有名な『いのちの初夜』です。これを執筆した北条民雄が1934年から亡くなる1937年まで入所しており、『いのちの初夜』は全生園での体験が元になっていると言われています。

◆TOKYO人権 第59号(平成25年8月30日発行)
 インタビュー: ハンセン病を生きて この世に生を受けて良かったなと思う

 ハンセン病は不治の病、恐ろしい伝染病などとみなされ、患者は法律により療養所へ強制的に隔離されました。感染力が極めて弱いことが明らかとなっても、特効薬により治る病気となってもなお、隔離政策は1996(平成8)年まで続いたのです(注1)。東京都東村山市にある国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)に暮らす山内きみ江さんは、子どものころにハンセン病を患い、後に完治した回復者の一人です。ハンセン病のことを知ってもらいたいと、明るく前向きに生きる姿が印象的な山内さんにお話をうかがいました。

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山内きみ江さん(やまうちきみえ)

1934年、静岡県藤枝市に生まれる。1957年、国立療養所多磨全生園に入所。同年、入所者の定(さだむ)と結婚。2001年、養女を迎える。2005年、全生園近くのマンションに転居。定は持病悪化のため園に残る。2010年、孫誕生。2011年、定、死去。同年、全生園内に戻る。多磨全生園に入所してから、漢字をおぼえるために俳句を始め、その後、知人の勧めで五行歌を書いている。毎月専門誌に投稿している。

【五行歌】
 幼くて
 手足が
 萎えて
 いじめに耐えた
 この手足

 萎えし手に
 握手した
 可愛い手
 大きい幸せを
 つかんで欲しい


 ところで、ハンセン病(Hansen's disease)は、抗酸菌の一種であるライ菌(Mycobacterium leprae)の皮膚のマクロファージ内寄生および末梢神経細胞内寄生によって引き起こされる感染症です。

 病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェー人医師アルマウェル・ハンセンの姓に由来しています。

 かつて日本では、癩(らい)、癩病とも呼ばれていたが、その呼称を差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外では、一般的に避けられています。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためであり、それに関連する映画なども作成されています。

 感染は、らい菌の経鼻・経気道的による感染経路が主流で、伝染力は非常に低いものです。治療法も確立しており、重篤(じゅうとく)な後遺症を残すことや、自らが感染源になることもありませんが、適切な治療を受けない(または、受けられない)場合、皮膚に重度の病変が生じることもあります。

 2007年の統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は年間約25万人であり、一方、近年の日本では、新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では稀な病となっています。

 下が現地にあった全生園の全体案内板です。

 施設には、監房跡、収容門跡、全生劇場跡、帰省門跡、安松道路、県木の森、村づくり、最初の火葬場跡、豚舎と牛舎跡、築山(望郷台)、敷石道、秩父舎跡、礼拝堂跡、開所当初の墓地跡、見張所跡、洗濯場跡、樫の木の列などがあります。

 大部分の施設が...跡となっていることから分かるように、施設の多くの使用は過去のものとなっていますが、全生園には現在でも223名が居住しています。

全生園の隠れた史蹟案内板
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 また、監房跡、収容門跡、築山(望郷台)、最初の火葬場跡、礼拝堂跡、開所当初の墓地跡、見張所跡などがあるように、この全生園は、ハンセン病患者が一度入所すると、その多くの患者が所外に出られないことと関連しています。


全生学園跡の石碑
撮影:池田こみち・Nikon Coolpix 6400  2015-3-24

 全生園では現在、建築物などの保存活動がはじまっています。下の「山吹」はすでに保存対象となっています。


ハンセン病患者の入所療養施設の保存 「山吹」
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


ハンセン病患者の入所療養施設の保存 「山吹」
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 下の敷石道は、上の「山吹」の前に敷かれた石です。この石は、雨などで道がぐちゃぐちゃとなったときに歩くための敷石であり、患者ら自らが設置しています。


敷石の解説板
撮影:池田こみち・Nikon Coolpix 6400  2015-3-24


全生園内で患者が暮らす平均的な住宅
撮影:池田こみち・Nikon Coolpix 6400  2015-3-24

 以下も保存登録の対象となっているハンセン療養住宅です。車の中から撮影したものです。


ハンセン病患者の入所療養施設の保存
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


築山(望郷台)
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


築山(望郷台)の解説板
撮影:池田こみち・Nikon Coolpix 6400  2015-3-24

 下は望郷台の近くにあった詩文です。


築山(望郷台)の詩文
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 築山(望郷台)の前で解説板を読む池田こみち(右)と山形美智子(左)。


築山(望郷台)
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24



患者関係者(面会人)の宿泊所
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 面会所も周辺から隔離されたところにありました。


患者関係者(面会人)の宿泊所
撮影:池田こみち・Nikon Coolpix 6400  2015-3-24


ハンセン病患者の礼拝堂 仏教真言宗智山派
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


ハンセン病患者の礼拝堂  キリスト教(カソリック、プロテスタント)
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 以下は永代神社にて。


ハンセン病患者の礼拝施設 永代神社
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


ハンセン病患者の礼拝施設 永代神社
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


永代神社史蹟
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


永代神社史蹟の碑文
撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 下は全生園建造物の保存活動をしているNPOなどのポスター。


撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24


撮影:青山貞一・Nikon Coolpix 8  2015-3-24

 そして入所者の多くは、親類縁者との縁を切られ、残りの人生のすべてをこの全生園で過ごすことになったのです。そのため、所内には仏教、キリスト教の宗派ごとの礼拝堂があり、火葬場があり、墓地もありました。また築山という小高い丘があり、ここが望郷台となっていました。

 さらに入所者は全生園で生活に関わるありとあらゆることをするため、洗濯から農業、養豚などの村づくりを行い、また将棋、囲碁などの娯楽の施設もあります。


つづく