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日蓮の足跡を辿る東京の旅
池上本門寺再訪

3.池上の歴史

青山貞一・池田こみち・ 斉藤真実
April ~May, 2018  
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 塔頭① 塔頭とは、本行寺
 塔頭② 実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院
 塔頭③ 覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院
 塔頭④ 東之院、安立院、法養寺、永寿院、心浄院
 塔頭⑤ 妙雲寺、養源寺、照栄院、長勝寺、山光寺、善慶寺

◆池上の歴史概要

 池上の地名が広く知れれるようになるのは、日蓮が常陸(茨城県)に湯治へ向かうため、 1282年9月8日、身延山を出て武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着し、生涯最後の20数日間を過ごすこととなったことがあげられます。

 同年同月に、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源といいます。

 日蓮が没すると、池上宗仲は法華経の字数(69,384)に合わせて六万九千三八四坪を寺領として寄進し寺院の基礎が築かれ、以来「池上本門寺」と呼びならわされています

 ※池上宗仲が寄進した池上の土地は東京ドームの約15倍の広さがあります。

 この地は中世まで、荏原郡の千束郷に属し、池上村と呼ばれていた。後北条氏の時代になると、池上村は北条氏の家臣の知行地となり、河村氏や星見氏、長谷川氏などが長くこの地を領有しました。

 江戸時代に入ってからは、本門寺が徳川将軍家の庇護を受けたこともあり、その門前町である池上村も将軍ゆかりの土地として栄えました。 

 出典:池上の歴史散歩 - 江戸・東京歴史散歩ガイド

◆池上宗仲氏

 ところで、池上本門寺は、鎌倉時代の武士で、日蓮の有力檀越、池上宗仲氏が自らの武蔵国池上郷の土地を寄進したことで現在の池上の地に存在しています。以下は池上宗仲氏の概要です。

 池上宗仲(いけがみ むねなか、生没年未詳)は、鎌倉時代の武士で、日蓮の有力檀越。官位は日蓮の書状によると右衛門大夫といいます。

 大中臣氏を自称しているが、池上氏は藤原忠平又は藤原良相の子とされる池上忠方の末裔を称する家柄です。日蓮に深く帰依し、弟の池上宗長とともに池上兄弟と呼ばれました。

 父は鎌倉幕府の作事奉行だった池上左衛門大夫です(池上康光とも)。母は印東祐昭の娘で、日昭は母方の叔父、同じく母方の従兄弟に日朗・日像がいると伝わっています。また、江戸時代中期の豪農としても知られる池上太郎左衛門幸豊は24代目にあたるとされています。


出典:東京都大田区

来歴

 父の左衛門大夫は真言律宗の忍性(極楽寺良観)の熱心な信者だったため、日蓮の信徒となった宗仲は、建治2年(1276年)・同3年(1277年)の二度にわたり父から勘当された。しかし日蓮の慰留もあって日蓮宗への信仰を守り、弟の池上宗長を勧誘するなどしている。勘当が解かれたのは弘安元年(1278年)で、のち父・左衛門大夫も入信しています。

 弘安5年(1282年)9月18日、師の日蓮が病気治療のため常陸国へ旅する途中、武蔵国池上郷(現・東京都大田区池上)にあった彼の居館(池上邸)に滞在し、同年10月13日に日蓮はそこで入滅しました。

 正応元年(1288年)日蓮七回忌の際、宗仲は日蓮の六老僧の一人・日朗と協力して日蓮の御影像を造りました。この御影像を安置したのが池上本門寺です。

 宗仲は日蓮入滅後、館やその周辺の土地を寺に寄進し寺領としました。この寄進地が池上本門寺の基礎となったのです。そのなかでも彼の居館は日蓮入滅の霊場として重要視され、長崇山本行寺(池上本門寺の院家)となっています。

 没年には諸説あり、『本化聖典大辞林 上』によれば弘安6年(1283年)9月13日、享年71と伝わっていますが、正応元年には生存していたとみられ有力となっていません。また「別頭統紀」には永仁元年(1293年)9月13日没とあります。墓所は池上本門寺内に存在します。

出典:Wikipedia

◆大坊行寺

 日蓮が入滅した大坊本行寺は、現在、以下の本門寺マップの池上本門寺の敷地の多宝塔の東端にあります。


境内マップ  出典:池上本門寺公式Web

 日蓮宗寺院の池上本門寺は、長栄山大国院本門寺と称します。

 弘安5年(1282年)、日蓮聖人身延山から常陸へ向かう途中に当地へ立ち寄り、創建しました。日蓮聖人はその後大坊本行寺で入滅、池上宗仲は69,384坪を寄進して現在の池上本門寺の礎を築きました。

 慶長年間には徳川家康から寺領100石をうけた他、加藤清正や紀伊徳川家等諸侯の祈願寺となっていました。日蓮宗の十四霊蹟寺院、七大本山の一つに数えられています。

出典:猫の足跡


大坊行寺 本堂  出典:大坊行寺 公式Web


出典 グーグルストリートビュー

 以下は日蓮聖人が最後の講義をされたときの、お寄り掛かりの柱や亡くなられるとき一斉に花が咲いたと伝えられるお会式桜が境内にある大坊本行寺の解説です。


出典:大坊本行寺 


つづく