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日蓮の足跡を辿る東京の旅
池上本門寺再訪

8.大堂・経蔵・本殿

青山貞一・池田こみち・ 斉藤真実
April ~May, 2018  
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 塔頭① 塔頭とは、本行寺
 塔頭② 実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院
 塔頭③ 覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院
 塔頭④ 東之院、安立院、法養寺、永寿院、心浄院
 塔頭⑤ 妙雲寺、養源寺、照栄院、長勝寺、山光寺、善慶寺

境内・伽藍


境内マップ  出典:池上本門寺公式Web


大堂

 「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいいます。旧大堂は、本門寺14世日詔の時代の1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立しましたが、1619年(元和5年)に焼失しました。1628年(寛永6年)本門寺復歴16世日樹の代に金1万両を用いてほぼ旧規模に再建されました。

 1710年(宝永7年)再び焼失。本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建されました。この3代目の大堂は、1945年(昭和20年)4月の空襲により焼失。1948年(昭和23年)仮祖師堂と宗祖奉安塔を建設しています。

 その後、本門寺79世伊藤日定が中心となり全国檀信徒の寄進を受け、1964年(昭和39年)現在の大堂を再建しました。この際仮祖師堂は取り壊され、宗祖奉安塔は経蔵を北側へ移動させた上でその南側隣に移築されました(現在の霊宝殿の位置となります)。

 現在の大堂は、根崎建築設計事務所の設計による鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。高さ27メートルの大建築です。第二次大戦の空襲で焼失した旧堂には本阿弥光悦の筆になる「祖師堂」の扁額が掲げられていました(戦災で焼失)。

 再建後は本門寺80世金子日威が揮毫した「大堂」の扁額がかかっています。堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を安置します。1966年(昭和41年)川端龍子による天井画「未完の龍」が描かれています。2005年(平成17年)4月から屋根瓦修復及び雨水漏水対策、耐震補強・火事対策等の工事が行なわれ、建物全体が足場で覆われていましたが2006年(平成18年)4月に工事が完了しました。



  
本門寺の大堂  左側奥に経蔵が見える。その手前は霊宝殿
   撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900
 2018-4-4



  
   本門寺大堂のアップ
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-4-4


  
 
 
本門寺大堂のアップ
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-4-4 




  
本門寺の大堂から仁王門側を撮影した写真 左側に水盤舎が見える
   撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900 2018-4-4



・経蔵

 
 経蔵は寺院にとっての大切な図書館のような施設。内部には経典などが収められています。増上寺などの経蔵と比べると、空襲による焼失をまぬがれた建物のひとつだけあって、時代を感じられる建物です。

 第二次世界大戦の空襲による焼失をまぬがれた建物のひとつです。輪蔵形式の内部には回転する八角形の書架があり、天海版一切経が収められていました。現在は別途保管。1784年(天明4年)に建立。第二次大戦後、大堂再建に伴う旧宗祖奉安殿移設により、元の場所よりやや北側の現在地に移されました。

 
  本門寺の経蔵
  撮影:池田こみち Nikon Coolpix S9900  2018-4-4


  本門寺の経蔵の入り口
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-4-4


  本門寺の経蔵の遠望 手前が建築物 その後ろが霊宝殿。
  撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900  2018-3-25


・本殿

 大堂の北にあるこれまた立派な本殿です。

 本殿とは、本師(釈尊)のおわします殿堂との意味です。

 1969年(昭和44年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したものです。

 戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高い。旧釈迦堂は旧大堂(祖師堂)に隣接して建っていましたが、再建にあたっては公道を隔てた大堂後方の北側へ移されました。本尊の釈迦如来像の胎内には、インドのネルー首相が寄贈した釈迦の舎利骨が納められています。他に、四菩薩立像(上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩)を安置しています。

◆日蓮宗・法華宗における四菩薩

 日蓮宗・法華宗では、『法華経』に登場する上行(じょうぎょう)、無辺行(むへんぎょう)、浄行(じょうぎょう)、安立行(あんりゅうぎょう)を四菩薩(あるいは四士)と称します。

 『法華経』の第15章にあたる従地涌出品(じゅうじゆじゅっぽん)第十五の記述によれば、釈迦如来が説法をしていた際に大地が割れ、そこから涌き出た無数の菩薩(これを総称して地涌の菩薩と称す)の筆頭が上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩であり、これらの菩薩は釈迦亡き後の末法の世において仏法を護持するものとされています。日蓮は、世が乱れ災害が起きるのは邪教を奉ずるからだと主張し、鎌倉の街頭で法華経の教えを説きましたが、自己をこうした上行菩薩になぞらえていました。

出典:Wikipedia


 
  本門寺の本殿の入り口
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-4-4


  本門寺の本殿
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-3-25


  本門寺の本殿
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900 2018-3-25


池上本門寺の本殿前のソメイヨシノ(順光)  2018年3月25日 
撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


  本門寺の本殿入口のソメイヨシノ(逆光)
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900    2018-3-25



  本門寺本殿
   撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900    2018-4-4


つづく