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日蓮の足跡を辿る東京の旅
池上本門寺再訪

14.所蔵文化財と霊宝殿

青山貞一・池田こみち・ 斉藤真実
April ~May, 2018  
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 塔頭① 塔頭とは、本行寺
 塔頭② 実相院、真性院、西之院、厳定院、南之院、理境院
 塔頭③ 覚源院、本成院、本妙院、常仙院、中道院
 塔頭④ 東之院、安立院、法養寺、永寿院、心浄院
 塔頭⑤ 妙雲寺、養源寺、照栄院、長勝寺、山光寺、善慶寺

 池上本門寺には多くの所蔵文化財があります。以下はその主なものです。そのうち*がついたものは、すでに紹介しています。

所蔵文化財

重要文化財(国指定)
 *池上本門寺五重塔
 *池上本門寺宝塔
 *木造日蓮聖人坐像
 兄弟抄 日蓮筆


木造日蓮聖人坐像(国の重要文化財)


東京都指定有形文化財
 日蓮筆消息文
 日蓮筆大曼荼羅
 日蓮遺物配分帳
 身延山守番帳
 日朗筆大曼荼羅

東京都指定旧跡
 狩野探幽墓
 南洲海舟評議の処(松濤園)

大田区指定有形文化財
 *総門と扁額
 *経蔵
 *石段
 *日朗聖人墓塔
 *前田利家室層塔
 *加藤清正室層塔
 *加藤清正供養塔
 *梵鐘
 日樹聖人五輪塔
 日朗聖人坐像
 日輪聖人坐像
 天海版一切経
 木造柄香炉

 その他の文化財の主なものは、以下の境内マップの中央西側(左側)にある霊宝堂に収納、展示されています。


◆池上本門寺 霊宝殿


出典:池上本門寺 境内マップ  京浜四大本山巡り

 池上本門寺には、その歴史の長さと皆様の深い信仰から様々な霊宝や文化財が数多く残っています。以下はその一部です。現在これら貴重なご霊宝を未来に伝えるために、「霊宝殿」を建設し、大切に格護しています。


池上本門寺 霊宝殿
出典:Wikimedia Commons


池上本門寺 霊宝殿
出典:グーグルストリートビュー

 以下は、霊宝殿に所蔵されている文化財(一部)です。


日蓮聖人御真筆『兄弟抄』
当山開基池上宗仲公と弟宗長公、およびその女房へ送られた書状である。
兄弟の父・康光公は、鎌倉極楽寺良観房忍性に帰依していたため、日蓮聖人を信奉していた兄弟夫妻の信仰心を改めるよう強く迫ったが、それに従わなかったので、宗仲公は勘当されてしまう。この報に接した聖人は、本書状の中で、夫婦が力を合わせて法華信仰を堅持することこそが、必ず親への孝養になるのだと説示された。その後、弘安元年(1278)ついに康光公を法華経の信仰へと導いたのである。
出典:池上本門寺公式Web


日蓮聖人御真筆 『妙法尼御前御消息』
日蓮聖人が妙法尼に、主として女人成仏について教示した御消息。もとは8紙。妙法尼は、四条金吾頼基公の慈母、中興入道の御母、駿河岡宮の尾張守某妹、等の諸説あるが、定まっていない。裏書によって、この宗祖御真蹟が、古くから当山の御霊宝として伝えられていたことが知られる。
出典:池上本門寺公式Web


日蓮聖人御真筆『報恩抄』断簡
日蓮聖人五大部の一つで、著名な身延伝来の御書であったが、惜しくもその御真蹟は明治8年の大火で焼失してしまった。当幅は、焼失直前の明治5年に奉納されたもので、27行がのこる。
師であった安房清澄山の道善房が示寂し、その報恩のためにまとめられた。当山の断簡は、御自身の教観を展開するにあたって、法華経受持者の受難の史実を述べた重要な部分である。
出典:池上本門寺公式Web


日蓮聖人御持物『妙法蓮華経』
大堂に奉安される宗祖御尊像(祖師像・旧国宝)の左手に捧持されていた御持物である。当山にとって、かけがえのない御遺物の一つであるばかりでなく、祖師像と共に、日蓮宗第一の参拝対象であり、全国的にも貴重な文化遺産といえる。また、宗祖御在世時をさかのぼる、平安末期の、たいへん重要な経巻である。
出典:池上本門寺公式Web


日蓮聖人御持物 木彫柄香炉
池上宗仲公の作と伝わる。木彫のため実際に香を焚くことは出来ず、装飾具として用いられたものと思われる



天海版一切経
天明4年(1784)に建立された経蔵の輪蔵に架蔵されていた。『新編武蔵風土記稿』によって、松平讃岐守室永昌院妙寿日量大姉の寄進とわかる。かつては、中川佐渡守室長寿院妙応日慶大姉が寄進した一切経を蔵していたが、回祿にかかったという。天海版が確認されているのは、今のところ、日光東照宮2蔵・寛永寺・芝増上寺ほか全国で10数蔵のみという。
出典:池上本門寺公式Web


臨滅度時の鐘
日蓮聖人は、弘安5年(1282)10月13日朝8時頃、檀越池上宗仲公の館で御入滅された。六老僧第一の日昭聖人は、悲報を知らせるため、この鐘を寂寞とした御心で厳かに静かに鳴らした。刻銘に「弘安五年十月日」とある。毎年、お会式10月13日午前8時からの宗祖御入滅法要(臨滅度時法要)において、代々の貫首が粛々と撞く伝統を、現在も厳格に遵守している。
出典:池上本門寺公式Web


日朗聖人坐像
当山第2世の尊像。尊像の形式、時代性から比定して、南北朝時代の後半頃の作と推測される。全国の朗門(日朗聖人の門流)ゆかりの寺院に日朗聖人像は多いが、最古かつ最も秀れている。
出典:池上本門寺公式Web


日輪聖人坐像
当山第3世の尊像。第2世日朗聖人像と対で奉安される。御尊像は、日東聖人が慶安元年(1648)に遷化する以前の造立である。作風や彫刻技法からみても、江戸前期の様式が認められる基準的な尊像である。
出典:池上本門寺公式Web


狩野家墓所出土品
中世後期から近世を通して日本最大の画派を形成した狩野家は熱心な法華信者であった。当山境内には江戸時代、絵師の頂点に君臨した幕府奥絵師狩野四家の墓所が所在する。平成14年、墓所改修に伴う学術調査が行われ、多くの学術成果を保存している。
出典:池上本門寺公式Web


 以下は霊宝殿の特別展示のお知らせ!

特別展「本門寺の狩野派展」のお知らせ
 ご存じですか?当山は御用絵師狩野家の菩提寺です。
 狩野家は始祖正信以来、熱心な日蓮宗の信者でした。徳川家康の江戸討ち入り後、京都より関東に下向した狩野家は、日蓮聖人御入滅の霊場である当山に信仰を寄せました。

 当山には江戸時代に画壇の頂点に君臨した奥絵師狩野四家(中橋狩野家、鍛冶橋狩野家、木挽町狩野家、浜町狩野家)を中心に約九〇基の狩野家墓所があります。先月、この内の奥絵師四家墓所七一基と同位牌四六基、ならびに常信・周信・養信墓所出土遺品が、東京都の史跡(文化財)に指定されました。

 本展では当山及び当山と深い関係にある寺院他が所蔵 する狩野派絵画を展観するとともに、史跡指定の墓所・位牌を紹介致します。 それでは狩野派と縁の深い菩提寺ならではの狩野派展をお楽しみ下さい。

その他
 兜木コレクション
 妙法蓮華経(法華経)研究の第一人者で立正大学名誉教授、東京都豊島区の雑司谷本納寺33世 住職でもあった兜木正亨(かぶとぎ・しょうこう)収集の、1000点以上に及ぶ法華経関連資料。日蓮真筆『御所御返事』や日蓮の伝記絵巻『日蓮聖人註画讃』(安土桃山時代)等を含む。1995年(平成7年)12月に池上本門寺へ寄贈された。 

お会式
 毎年10月11 - 13日にお会式が行われ、賑わう。約30万人が参詣に訪れ、多い年は100万人近くに上ることもある。この3日間で池上地区の商店街における年間売上の半分を占める。非常に混雑するため、混雑に乗じたスリやケンカ、痴漢などの犯罪も多く発生する。そのため、この地区を管轄する池上警察署は御会式が行われる3日間(特に2日目)は署員がほぼ総出で交通規制や防犯パトロールにあたる。


お会式 万灯練供養


つづく