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北朝鮮政治を嗤えない
日本の政治家!?
〜役人任せの日本の立法過程

青山貞一

2006年6月30日


 国会議員が得ている”お金”については、青山貞一:何が歳出削減か! 新議員宿舎の絢爛豪華ぶり で詳しく示した。

 では、国会議員がもらっている年間6000万円を超す”お金”に比べて、彼らが本来議員として果たすべき役割をどれだけ果たしているか、と問えば、国民の圧倒的多くは果たしていない(ノー)と答えるだろう。おそらく今では、小学生や中学生でも国会議員がろくなことをしていないことを知っている。ろくなことしかしないだけでなく、悪いことをしているとさえ思っているかも知れない。

 ところで国会関連の税支出のなかには、青山貞一:何が歳出削減か! 新議員宿舎の絢爛豪華ぶりで示した国会議員に関連する支出の他に、内閣法制局衆議院法制局参議院法制局と言い、法律をつくる段階で憲法、法令、判例等と提案される法律案との関係を相互チェックしたり、法案の文面づくりをサポートする<軍団>がいることを知っているだろうか。

 内閣法制局衆議院法制局参議院法制局にはそれぞれ約80名、すなわち合計で250名のスタッフがいるのである。

 周知のように、日本では大部分の法律は政府が提案する法案、すなわち内閣提案法案(通称、閣法)である。

 法案のもとは各省庁の官僚がつくり、さらにそれを実際の法案の形にする、その面倒を見るのが内閣法制局である。

 一方、衆議院発で議員立法するためのサポート軍団が<衆議院法制局>、参議院発で議員立法を行うためのサポート軍団が<参議院法制局>ということになる。

 しかし、日本では圧倒的多くの法案が上記の内閣提案法案(通称、閣法)であるから、内閣法制局は多忙であるが、他の2つ、すなわち衆議院法制局参議院法制局は、閑古鳥状態にあると言ってよい。

 すなわち与党及び与党議員は、本来の自分たちの仕事、最大の役割であるはずの政策立案そして立法行為を霞ヶ関の官僚らにまかせるだけでなく、法律づくりの具体的な実務まで内閣法制局に丸投げしているのである。 

、本来、議員自らが法案をつくってなんぼ、すなわち議員提案法案(通称、議員立法)をバンバンだすべきだが、行政関連の法案はもとより、大部分の法案づくりを役人に任せているのが実態である。

 役人任せは、何も法律をつくる段階だけの問題ではない。法律を人間にたとえれば、「骨」である。実際に法律が制定されても、ただ制定されただけでは動かない。

 すなわち法律を人間の「骨」とすれば、「肉」や「皮」さらには「血」がなければ人間として機能しない。

 これは、仮に議員らが議員提案法案、すなわちすばらしい理念のもと議員立法で衆議院法制局のサポートのもと○○法律を制定したとしても、実際にそれが施行されるまでの間に、上記の「肉」や「皮」さらには「血」を用意しなければならない。

 では、だれがその作業をしているのかと言えば、それは省庁の官僚、役人である。彼らは毎日、せっせ、せっせとそれらをつくっている。

 日本の法律は、たとえば国、自治体にかかわる行政法の場合、法律本文以外に政令、省令、規則、規定、指針など、関連する様々な文書とあわせできあがっている。

 法律本文以外に政令、省令、規則、規定、指針のほとんど全部は、官僚、役人がつくるっているのである。

 それらをつくる過程で、国民の意見を聞くことが義務づけられ、いわゆるパブリックコメントを国民から受けることになった。しかし、実際にパブリックコメントで意見を出してみればすぐに分かるように、国民がどういう意見を書き送っても、政府・官僚側がそれにまともに対応したことは、まずない。すべて聞き置かれてしまうのである。すなわち、「肉」や「皮」さらには「血」の部分も官僚、役人の独壇場となっているのである。

 このように、日本では立法行為の大部分が政府提案法案、内閣提案法案(通称、閣法))であること、さらに立法の実務を内閣法制局が行っていることだけでなく、その後、法律の施行に備えつくられる一連の重要文書も官僚、役人任せなのである。

 これでは到底、立法府による行政府のコントロールなど無理である。

.........

 このように日本では、米国やドイツなどと異なり、圧倒的多くの法律は官僚、役人主導あるいは霞ヶ関に丸投げでつくられている。

 こうなると、官僚、や役人達は、自分たちにとって不利となる法律をつくるわけがない。これはとくに行政法と呼ばれる分野で顕著である。

 ところで小泉首相は、政治を従来の自民党主導、すなわち政党主導から政府主導、民間識者を含めた側近主導としたところに大きな特徴がある。

  立法行為との関連でこれをみると、小泉政権になってから結果として一部官僚、役人への丸投げ体質がより一層顕著なものとなっていると言える。これには以下のような訳がある。

 日本ではごく一部の時期を除けば、永年、自民党一党独裁状態がつづいているが、自民党は一枚岩ではなく、さまざまな理念、政策、さらには利権、利害をもった議員が混在していた。

 小泉政権以前にあって、各種法案は、それら自民党の部会、委員会、作業グループのなかで徹底的に議論されてきた。これは政府提案法案であれ、議員提案法案であれ同じである。もちろん、各議員(族議員)はそれぞれの思惑、利害を主張するのだが、それであっても与党内で多面的に議論されたことには変わりない。

 しかし、小泉首相は、まさに自民党がもつ上記の混在構造、体質を壊し、よく言えば自分の理念、政策を小泉側近主導としたのである。

 その結果、一方では野党とは別に党内のさまざまな理念、政策、さらには利権、利害のなかで法案が議論、チェックされることがなくなった。

 他方で、これが問題なのだが、小泉側近の大臣や民間有識者などの主張、権益が政策や法案に反映しやすくなったのである。これはいわば小泉首相の意を受けた一部官僚らによる私的議員立法ないし内閣立法とでも言えるものだ。

 昨今のライブドア、村上ファンド事件を見るまでもなく、小泉側近の民間有識者、オリックスの宮内氏、日銀総裁の福井氏らの規制緩和論が前面に出るようになった。ここでの問題は、それらの理念、政策、立法行為の方向性が霞ヶ関の官僚、とくに経済官庁の官僚らの利害と一致していたことである。

 ここでは何ら選挙で選ばれていない民間有識者や霞ヶ関の官僚が、小泉政権と連携し、理念、政策そして最終的には各種の規制緩和を可能とする法律づくりまで可能とする。

 すなわち、自分たちの権益、利権に近いものに誘導して行ったのである。規制緩和分野、外交分野、防衛分野でこれは顕著である。

 そこでは、小泉首相及び側近による私的な<議員立法>であり、同時に小泉規制緩和路線に乗る省庁、官僚らによる<政府提案立法>が融合した小泉独裁の立法形態となっていると言える。

 なぜなら、小泉政権以降さらに昨年夏の衆議院議員選挙以後の自民党では、80人にも及ぶ小泉チルドレン議員と小泉イエスマン閣僚、議員が大勢を占めており、官民を問わず小泉側近から提案される政策や法案は、上記の立法形態によってろくに国会審議も国民議論もないまま立法化される可能性が著しく高くなってきたからである。

 ライブドア、村上ファンド、耐震偽装、BSE、防衛庁官製談合、橋梁談合、環境省全面特命随意契約などを見れば分かることだが、小泉政権による改革、規制緩和は、結果として小泉側近、竹永側近などに新たな利権をもたらすものとなっている。 それは、何ら本質的な意味での改革にはなっていない。きわめてゆがんだ利権グループと「格差社会」を生み出したとも言えるのである。

 小泉首相は、自民党を壊したばかりか、政党政治、民主政治をも壊し、政策、立法行為を官僚支援のもと私物化したと言える。現在、連日のようにメディアに報じられる事件、ひとびとは、とくにその恩恵にあずかったひとびと、グループであると言える。

 これはまさに国政の私物化であり、到底、北朝鮮の政治を嗤えないのである。

 ..........

 国民はマスコミ経由で、小泉政権の「改革」と言う言葉にだまされ、あたかも小泉政権が改革をしてきたかに思っているが、その実、大部分の政策や施策は霞ヶ関の官僚らの手の上にあったと言える。

 問題は立法だけでない、司法もそうだ。もともと、官僚、役人が法律をつくっているから、国民が霞ヶ関や自治体を相手に裁判をしても、行政側が負けないように仕組まれている。

 さらに、ここ二十年でもともと上ばかり見ているヒラメ判事が多い日本で、さらにヒラメ判事が増えている。ヒラメ横行する今の日本では、世直しを司法に期待してもほとんど無理だ。

 初審(地裁)でたまに見識ある判決がでだとしても、高裁、最高裁と行くに従って原告側に不利な判決となる。これは国、自治体を国民、住民が訴える行政訴訟で顕著である。

 昨年春に久々の行政事件訴訟法改正があったが、たとえば今まで原告的確(訴えの利益)がないとして、裁判の実質審議すらできなかった行政訴訟の一部に原告的確が認められるようになったとされている。しかし、これは実際の裁判で個別、具体に判断されることであって、米国やドイツのように国相手の市民訴訟、団体訴権が認められたわけではな。

 その結果、日本では依然とし誰の目から見ても国や官僚がおかしなことをしていても、国民の側からまともに裁判すら提起できない状態は変わっていない。

 閑話休題

 小異をもちつつ大同につけないのが日本の野党だ。

 その結果、何度となく政権交代の機会があったが、野党は万年野党に甘んじてきた。社民党が無節操に自民党に合流したことも結果から見れば、野党の弱体化の大きな原因となっている。

 他方、「雑居ビル」状態そして「第二自民党」化している民主党は、まさにその「雑居ビル」と「第二自民党」的な体質が政党として致命傷となっている。

 たとえば、有名な話であるが前代表の前原議員の考え方は、小泉首相ら自民党の右派、タカ派より右である。石原都知事と言動をともにしてきた西村衆議院議員も同様である。何でこのような議員がいるのか(いたのか)、その存在すら疑われても仕方がない。

 前原議員が民主党代表だったとき、永田衆議院議員(当時)が起こしたメール問題に関連して野田衆議院議員にだけ相談していたと報道されていた。民主党には多くの松下政経塾出身者がいるが、この松下政経塾の理念、思想、政策哲学は、どうみても民主党が目指す自民党に代わる政党の理念、思想、政策哲学と異なる。

 もちろん、そうはいっても現在でも民主党の理念、思想、政策哲学はそれほど明確でない。小沢氏が大ひょとなり、それなりの違い、対立軸が見えだしたが、最低限、外交・防衛なので対外政策、国と地方の関係、経済政策、教育政策、環境政策などで明確な違いを示すべきである。

 これについてはいろいろ議論があるが、まずは、小沢新代表のお手並み拝見というところか。

 民主党は、結党以来、いつもここ一番でいつも稚拙なエラーやドジで敵失を繰り返し、国民の期待にまったく応えていない。恥を知るべきだ。

 また最近の松井参議院議員など、政官業癒着に係わる議員は排除すべきだ。

 ところで、数の上で民主党はまだしも、社民党や共産党は国会の代表質問から各種委員会に至るまで、もろくに発言時間すらなくなりつつある。これも致命的だ。国会議員は演説、議論、質疑、そして法案、議案を提出をしてナンボであるからだ。

 代表質問や首相対論の発言時間(持ち時間)は、議席数に関連するから、人数が極端に少ない野党は、ろくに発言、質問すらできない状態にある。

 国民新党、新党日本に至っては、与党にその存在すら無視あるいはシカトされている。NHKは当初、国政討論などで一、二回、両党を呼んでいたが、その後はさっぱりだ。民放はさらにひどい。両党はメディアを通じての発言も極端に制限されている。

 もちろん、質問主意書制度もある。

 あるにはあるがと言った方が正確かも知れない。

 独立系メディア「今日のコラム」でも田中信一郎氏と私でこの問題について論陣をはってきた

 以前、衆議院の議院運営委員会では自民党理事(現小坂文部科学大臣)が露骨に、この歴史的にみてもすぐれた民主制度を批判してきた。

 単に批判するているだけでなく、実質その使用を制限しようともくろんできた。結果として、自民党も極端な制限はできなかったが、実態として政府は弱小野党側の質問には、どうみてもまともに答弁しているは思えない。また、弱小野党側は質問主意書を使いこなしていない。これはきわめて問題である。これに関しては、鈴木宗男議員を見習うべきである。

 かくして、ここ10年近く、とくに公明党が自民党に寝返ってこの方、日本の政治は、実質的に見て独裁政治がまかり通っていると言える。

 昨年の小泉チルドレンの大量議員化など、到底、お隣の北朝鮮(DPRK)を嗤えない有様にある。小泉政権は窮地に陥るたびに、いわゆるサプライズを使ってきた。

 なかでも北朝鮮サプライズはその「真骨頂」だ。だが、果たして日本の政治家、マスコミは、北朝鮮の政治を嗤えるのか。 DPRKでの将軍様が、日本では小泉純一郎様に変わっただけではないのか!? 

 もちろん、これは選んだ国民の側にも大いに責任があるし、郵政民営化をことさら煽ったマスコミにも絶大な責任があることは言うまでもない。

 いずれにしても、日本の政治、外交は、国民の血税を投入するだけのことはしていない。