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沖縄県在日米軍基地の
環境・財政影響に関する
インタビュー調査・全日程速報

青山貞一・宇都宮朗
武藏工業大学大学院 環境情報学研究科

2007年12月3日


無断転載禁


 米国サンディエゴから帰国後、時差ぼけがまったく治らないなか、またサンディエゴでひいた風邪がよくならず、慢性の寝不足も手伝いもうろうとしているなか、私の大学の大学院生2名を連れ、沖縄県に現地調査にでかけていました。

 現地調査は、直接には、修士課程にるU君の研究テーマ「在日米軍と公共事業による環境・財政への影響に関する研究〜沖縄県を事例として〜」研究の一環で、この2月にも3泊4日で行きました。

 今の時期の沖縄は、サンディエゴ同様、日中は24度から26度など夏日近く気温が上がりますが、夜は相当涼しくなります、湿度はサンディエゴの10%ほどではないのですが低く、超好天と自然条件は非常に快適でした。しかし、カリフォルニアのサンディエゴで一端ひいた風邪が次第に悪化し、それに連れ持病の喘息が悪化し体調的には最悪の状態となりました。それを何とか、なだめすかしながら全行程を完遂することができました。

 沖縄到着日、11月29日の夜、19:30〜22:30までは、那覇在住の建築家で琉球大学非常勤講師の真喜志さんから普天間ヘリ基地のキャンプシュワブ沖、辺野古沖、大浦湾地区へ移転にかかわる事業計画の歴史的経緯、経路、また日本政府などによる情報操作による地元世論誘導、関連施設であるヘリパッドの環境アセス逃れ問題など、最もホットな諸課題につき、パワーポイントで説明をいただきながら、3時間ほど議論しました。

 真喜志さんは膨大な資料をいただき。また今回の現地調査のうち、日程があいておりました12月2日午前から午後の現地視察場所について貴重な助言もいただきました。


那覇在住の建築家で琉球大学非常勤講師の真喜志さん

 真喜志さんは非常に真面目、真摯な建築家、研究者であり活動家で感服いたしました。鷲尾真由美さんのご紹介です。鷲尾さんは現在、沖縄大学大学院の研究生をされています。

 真喜志さんとの議論終了後、もともとは食事と懇親会をする予定でしたが、時間的に無理となり、すぐにレンタカーで沖縄高速道を使い名護市にある宿泊先ホテルに向かいました。

 到着は23:40です。あらかじめ携帯でフロントに電話を入れておいたこともあり宿泊はセーフでした。

 朝になって分かったのですが、このホテルは眼前には以下の写真のような珊瑚の海が広がる美しい砂浜がありました。これでも立地は前回に比べ市街地に近いのです(笑い)。前回は、本部のホテルだったので大変でした。せっかく沖縄に行くのに那覇のビジネスホテルでは...ということで前回同様、海が直前に見えるホテルに宿泊したわけです。


このホテルは眼前には珊瑚の海が広がる美しい砂浜が。
名護市にて


宿泊したホテルの前に広がる海。
滞在中はすべて好天で海はすばらしく青かった!

 翌、11月30日は午前中、前回同様、F15などのジェット機の未明発信、パトリオット配置、F22の配置などで揺れる嘉手納基地を約1時間30分視察しました。前回はデジタル騒音計を持参し、院生が騒音を測定しました。今回もテレビはじめメディア各社が「道の駅かでな」の屋上に陣取り、望遠レンズで基地内を撮影していました。


嘉手納基地前の「道の駅かでな」はいつものように
テレビ各局のカメラの放列。嘉手納町にて

 この日、午後3時から沖縄大学の桜井学長と議論しました。桜井先生とは大変ひさしぶりでしたが、私が米国のサンディエゴからアポイントをとったところ、超多忙の中、時間を割いてくれることになり議論が実現しました。


嘉手納基地から沖縄大学に向かう途中、全駐労のデモ
が嘉手納基地周辺であった。北谷町にて。

 ここでは鷲尾さんやその友人女性など、沖縄大学の大学院生や研究生も議論に参加しました。桜井さんとは米軍再編成という一大問題から、基地跡地利用に際しての土壌汚染問題、それに対する米軍側の情報公開問題を中心としつつも、辺野古のV字型滑走路アセスの問題、さらに沖縄県内の経済事情、大学事情まで多面的に議論しました。

 桜井さんとお会いするのはひさしぶりでした。終了後、キャンパス内で吉川博也さんにばったりお会いしました。体を悪くし、今でも病院に月1通われているとことでした。


沖縄大学桜井国俊学長。学長室にて。
先生とは、先生が東大に特認教授で在籍したころに
お会いして以来15年ぶり?

 12月1日は午前7時過ぎにホテルを出て高速で沖縄市に行き、泡瀬干潟近くの中央公民館で桑江さんとその仲間であります長田さん(いずれも泡瀬干潟保全のNPO)と3時間近くにわたり、泡瀬干潟の生態系、生物、希少性についてビデオ、写真をみせていただきながら、お話しを伺っいました。その後、米軍基地返還後の沖縄市がそこを埋め立てるトンデモ計画を策定し推進してきた歴史的経緯について議論しました。また昨年の市長選で誕生した東門女性市長が、埋め立て推進派の議員、行政幹部、業者等に取り囲まれ、どうも瀕死の状態になっていることについても議論しました。


沖縄市中央公民館で泡瀬干潟について熱っぽく
お話し下さった桑江さん

 ※翌日開催されました基地問題のシンポジウムに東門市長は欠席することを事前に知りました。また11月23日に地元新聞に泡瀬干潟開発容認というタイトルの記事が掲載されており、今後の成り行きが予断を許さない状況にあります。

 その後、泡瀬干潟が一望できる世界遺産がある丘から泡瀬干潟やすでにデキ上がっている突堤、堤防などを視察しました。前回は天気が悪かったこともありますが、今回この場所から視察することができ、全体像がわかりました。


世界遺産でもある勝連城跡地から見た泡瀬干潟方面

 泡瀬干潟視察終了後、午後2時から嘉手納町の中央公民館で桜井学長ら大学人が仕掛けたという基地を抱える嘉手納以南の嘉手納町、北谷町、宜野湾市、浦添市、沖縄市などの市長、町長と琉球大学、沖縄大学、沖縄国際大学等の主に社会科学系の先生らによる米軍再編と沖縄の基地問題の今後のあり方をテーマとしたシンポに院生ともども参加しました。


基調講演する我部政明琉球大学教授(専門は国際政治学)

 中央公民館にはNHKはじめ民放各社が取材に来ておりそれなりに人は集まりましたが、察するにフロアーとは「質疑はあえてしない」、沖県の南北問題、すなわち今後基地が新設される恐れがある名護市などを除外しているなど、課題も多々ありました。

 しかし、院生にとっては関係首長、研究者らの意見や議論がきける格好のシンポとなりました。ホテル帰宅後テレビを見たらこのシンポが報道されておりました。嘉手納町長ですが、17年間同一の宮城さんが無投票でつとめられていることを知りました。


報告する嘉手納町長


報告する伊波宜野湾市長


米軍再編とどう向かう合うかのシンポジウム

 シンポでの発言でも、自分は評論家であり実務かであることを強調していましたが、ここに私は沖縄県民が置かれてきた「仕方がないの論理」が超えられない実像があるように思えました。

 なお、泡瀬干潟埋め立て事業

 シンポ終了後、米軍基地跡地利用の一環として北谷町にできたというアメリカビレッジで視察かたがた食事しました。

 12月2日、朝から「やんばるの森」に強行的に工事が進もうとしているヘリ基地(ヘリパッド)が5−6箇所もできるという、しかも、アセス逃れもしているという11月29日の真喜志さんからの情報を元に、鷲尾さんのご案内で私たちのレンタカーに4名がのり、やんばるの森に向かいました。

 海兵隊(防衛施設庁)の2箇所のゲート前で座り込みをしている学生やお年寄り方と現地で議論しました。もう何ヶ月もしているとのことです。相当疲弊しているはずですが、がんばっていました。GPJ(グリーンピースジャパン)のノボリや横断幕もありました。このピケをとくと工事が進むとのことで、まさに決死の行動です。


ヤンバルの森にある米国海兵隊施設の掲示板


ヤンバルの森、高江に予定されているヘリパッド工事
へのNPOのゲート前抗議


ヤンバルの森に予定されているヘリパッド工事にピケを
張るNPO(左)、青山、宇都宮

 やんばるの森の視察と議論の後、キャンプシュワブ、大浦湾、辺野古に向かいました。途中2月に来たとき環境騒音を測定した大浦湾の沿岸でV字型滑走路予定地(キャンプシュワブ沖)を撮影したのが以下の写真です。


V字型滑走路予定地(キャンプシュワブ沖)

 大浦湾から辺野古に向かいテント村でやはり現地でがんばっている地域住民やNGOの方々と議論しました。
 
 途中、以下のようにどうみても公共工事を行うことが目的な橋の修理や護岸が行われているのを見ました。これは今の沖縄ではどこでも見られる光景ですが、公共工事により自然環境が損なわれていく姿を見るのは忍びないものがあります。








辺野古の漁港裏にある基地建設阻止団結小屋

 たまたま今日は地元で古くから基地問題にジャーナリストとして取り組みご自身も何10年も基地問題と直面している女性の浦島悦子さんと1時間以上にわたり環境社会学的な視点で辺野古周辺の基地問題の歴史的経緯、住民相互の社会的関係などについて子細にお話しを伺うことができ、その後、議論もできました。これはなかなかラッキーでした。


浦島悦子さんへのインタビュー調査


浦島悦子さんと一緒に。

 この後、一端、ホテルに戻り、一般道路で空港に向かいます。

 現在の沖縄県の県民所得は本土の平均賃金(約400万円)の半分、つまり200万円で、失業率も11%、しかも大学生の就職希望のナンバーワンは公務員などの状態にあるそうです。シンポで沖縄国際大学の先生は沖縄人は観客民主主義に陥っている、また司会者の新川氏も沖縄人はお任せ民主主義となっていると話していましたがまさにその通りだと思います。

 しかも実質的にみて国庫補助率(各種特別交付金等を含めた)は土木、農業、港湾などいずれも80−90%にも及び、県全体が完全に補助金づけ、補助金という麻薬中毒状態にあります。シンポで発言した嘉手納町長は二次産業は土建業だけとさえ言い切っていました。

 沖縄県全体は、やはり根本的なところで公共事業というモノカルチャーの麻薬中毒になっており、また自律できないように宗主国(米国)そしてその下僕である日本政府に隷属根性をたたきこまれている実態が、今回ほど明確になった旅はなかったと感じています。

 そこでは前回のフォーラムの研究発表会のテーマであります、まさに「仕方が内の論理を超える市民の戦略」は、見えないという状態にあると感じました。

 私自身は、日本の政治情勢の変化そして短期間ではありますが米国海軍、海兵隊の中心地、サンディエゴでの友人との議論を含め、けっして日本、沖縄県にとってはクライ状況ばかりではなく半世紀に一度のやっと新たな兆しも見えてきたと感じています。