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日本のメディアの
本質を現場から考えるC

〜環境庁記者クラブ事件〜

青山貞一


掲載月日:2007年6月9日

無断転載禁

◆青山貞一:日本のメディアの本質を現場から考える 
  バックナンバー

J巨大公共事業推進の先兵
I政権政党ともちつもたれつ
H政治番組による世論誘導
G民主主義を壊す大メディア
F意見の部分選択
E原発事故と報道自粛
D戦争報道と独立系メディア
C環境庁記者クラブ事件
B記者クラブと世論誘導
A地方紙と世論誘導
@発行部数と世論誘導

 
先日、日本を代表する大メディアにいた友人と記者クラブについて議論する機会があった。彼は現在大学教授をしている。

 その友人によれば、「記者クラブでは昼間から酒を飲み、麻雀をするのが常態化していた」と、自分が記者クラブにいたときのことを振り返える。

 この記者クラブに関しては、私も思い出したくもない嫌な思い出がある。

 今からかれこれ20年以上も前、1983年5月のことである。

 当時、時代は環境問題に関し「冬の時代」だった。

 私は日本環境プランナーズ会議(通称,NEPA)と言う準学会組織をつくり、その第一回総会をお披露目を兼ね西新宿の超高層ビルの一角で開催することとした。

 NEPAには官民、また学者研究者、国自治体の行政、民間企業関係者、市民運動、市民団体を団体を問わず、環境政策にかかわる研究者、国・自治体の政策マン、今で言うNPOなどが加わり、自分で言うのも何だが、当時としては画期的なものであった。

 NEPAには、私の他、筑波の国立環境研究所の研究員、東京都、神奈川県、愛知県などの環境行政の幹部職員らが共同代表として参加していた。

 ※国立環境研究所から参加していたのは、森田恒幸さんであった。森田さんは、その後、地球温暖化研究の第一人者となりIPCCの主要メンバーとなったが、惜しくも若くして亡くなられている。

 せっかくNEPAの総会を開くのなら、マスメディア関係者にも参加してもらおうと言うことになった。

 そこで総会の概要と懇親会の開催案内を私ともうひとりの民間企業に勤める代表幹事の2人が環境庁にある記者クラブに持参することになった。

 事前に、記者クラブに連絡したところ、朝日新聞が幹事社であることが分かり、35部ほど案内状を持参し、千代田区霞ヶ関の合同庁舎にあった環境庁に二人で出向いた。

....

 受付の女性に訪問の趣旨を伝え、いわゆる幹事社の記者を待った。

 しかし、10分経ち、30分経っても記者は受付に来ない。

 受付の女性が申し訳なさそうな顔となり、1時間過ぎたところで、「大変申し訳ございませんがもう少々お待ちください」と伝えてくれたが、どうみてもおかしい。

 その後、1時間30分たっても記者はでてこない。もちろん、何度となく帰ろうと思ったが、せっかくここまで待ったのだからと、待つこと2時間近くとなった。

 その間、受付嬢は何回か中に入って行き、「もうしばらくお待ちください」とすごく申し訳なさそうに伝えた。この時点で、受付嬢からF記者らが暗に麻雀をしていることを知らされる。

 こうなったら意地とばかり、待つこととした。

 2時間を過ぎたところで、朝日新聞の環境庁記者クラブのF記者が受付に出てきた。

 いきなり「何のよう?」。

 2時間も待たせて「何のよう」もないもんだ。

 腹が煮えくりかえりそうになるが、ここは我慢。NEPAの概要とその総会の開催概要、懇親会の案内を説明する。しかし、F記者は気もそぞろ。

 顔を見ると真っ赤。何と酒の臭いがプンプンしている。

 何と、記者は受付嬢が暗に教えてくれたように、昼間から環境庁の記者クラブで酒を飲み、仲間の記者と麻雀をしていたことが歴然と分かる。

 私がF記者に説明しているさなか、読売新聞のO記者、毎日新聞のK記者が受付にきて、「Fちゃん何しているの、あんたの番だよ」と言っている。いずれも赤い顔をしている。

 そのF記者がそそくさと、麻雀をしていた部屋に戻ろうとしたとき、私は堪忍袋の緒が切れた。

 そこでF記者に向かって、ひとこと、ふたこと文句を言う。

 すると、F記者はえらい剣幕で「あんたら方は、環境庁の広報も通さず、投げ込みでクラブに来て何を言うか!」と私と友人を怒鳴りつけた。

 投げ込みとは、業界用語で役所の広報を通さず、記者クラブにいきなり、プレスリリースを持ってくることを指している。

 当時、NEPAに環境庁の幹部職員が10名ほど参加していた。彼らの名前もその案内状にあった。それを見て、F記者は、「環境庁の○○もいるのに、何で投げ込みで来たのか!」と怒っている。

 私たちはあっけにとられた。

 2時間以上も待たせたあげく、このざまである。詫びどころか、案内状を持参し2時間以上も待たされた私たちは怒鳴りつけられたのだが、自分たちはと言えば最低でも2時間以上、昼間から酒を飲みながら麻雀をしていたのだ。

 私たちは、こんな記者と話してもしょうがないと、2人で帰ることにした。

 とはいえ、新橋駅近くまで来たとき、虫の知らせというか、非常に嫌な予感がしたので、それぞれが勤務先に電話を入れると、私の勤務先には読売新聞のO記者から、友人には件の朝日新聞のF記者から抗議の電話があった。何が抗議かと言えば、「私たちが環境庁の記者クラブを冒涜した」とのこと。

 すぐに「記者クラブに謝罪に来い」と言っていたとの伝言である。私の勤務先でO記者からの電話を受けたのは、池田こみちさんである。

 ふざけんじゃない!と思いつつ、疲れ果てた2人は、トボトボと新橋から環境庁にある記者クラブに戻る。

 すると、NEPAに参加している環境庁の幹部職員が記者クラブの入り口付近でオロオロしているではないか。

 私の顔を見て、「青山さん大変なことになっちゃった」と言う者もいれば、何と、記者に「青山さんはけんかっ早いので」などと余計なことを言っている者もいる。

 私は、「私がNEPAの代表幹事の青山です」と、記者クラブに入ってゆくと、待ちかまえていたF記者が私たち2人をいわゆる会見室に誘導し、これから環境庁記者クラブを冒涜した2人の「謝罪」会見を開くので、各社さん集まって欲しいと怒鳴る。もう、何を言ってもダメとさとる。

 他社の記者は、F、O、Kらが昼間から酒を飲んで麻雀をしていたことを知っている。

 おそらくF記者がトンデモ記者であることを知っているらしく、私たちからの説明会などに出席したくない様子だったが、執拗にF記者が怒鳴るものだから、シブシブその人民裁判的な「謝罪」会見に参加した。

 この会見にはざっと15名ほどの記者が参加した。この説明会は、まさに人民裁判的なものとなった。私が一言話すと、「そんな言い訳を聞いているんじゃない」とF記者が怒鳴る。同僚のO記者、K記者は申し訳なさそうに下を向いているが、F記者はその後もおそらく酒を飲んでいたこともあって、言いたい放題の一人舞台となった。

 質問の大部分はF記者である。

 一時間ほどやりとりした後、朝日のF記者は「青山さん。そういう趣旨の話ならなら、はじめからそう言えば、私たちもちゃんと対応したのに」と、よくいうよ、である。

 まさに、私は、はじめからそう説明していたが、麻雀で負けが込んでいたのかどうか知れないが、およそ私たちの話を聞かず、怒鳴りつけたのはF記者であったのだ。

 ......

 私の人生の中でこれほど屈辱を受けたことはなかった。またこれほど日本のマスメディアの横暴、傲慢さを目の当たりにしたこともなかった。

 後日、NEPAのメンバーに環境庁記者クラブ事件(私たちはそう呼んでいる)を報告した。そしてNEPAの総会が1983年5月14日、東京の西新宿で開催された。

....

 しかし、問題はこれで終わらなかった。

 こともあろうか朝日新聞の環境クラブのF記者は、当時の企画調整局長(大幹部)に、トンデモナイことを話したのである。

 すなわち、「青山らは環境庁の幹部職員とつるんで、自分たちに環境庁の業務を都合の良いように出させている」などと。

 私は現在大学教授をしている当時の環境庁幹部職員から上記を聞かされた。彼は、「大変申し訳ないが、今後、当面、NEPAへの参加を見合わせたい」と言われた。他の幹部職員は、泣きながら「申し訳ないがNEPAから脱退させて欲しい」と言ったのである。

 上記のように、問題の発端はあくまで昼間から酒を飲み、麻雀をしていた記者クラブの面々にある。

 にもかかわらず、F記者がその後もトンデモナイことを勝手に環境庁の上層部にねじ込んだことで、せっかく動き出した日本環境プランナーズ会議(通称,NEPA)から環境行政の中核メンバーが抜け出ざるを得なくなったのである。

 .........

 この環境庁記者クラブ事件は、直接的には朝日新聞のF記者そして麻雀をしていた他のメンバーの不祥事にある。

 言うまでもなく、昼間から酒を飲み、麻雀をしてはばからない記者クラブという特権的組織のなせる技であると思える。

 そもそも日本社会に蔓延する排他的組織、記者クラブだが、宮崎県の東知事の言をもちだすまでもなく、これは日本固有のものである。そして、日本のジャーナリズムの堕落の主因をなすものと思う。

 仮に記者クラブの存在そのものを否定しない場合でも、記者クラブは誰にでも開かれたものでなければならない。国民、市民が誰でもプレスリリースしたい素材を持参し、記者らに聞いてもらう場でなければならないだろう。

 大手メディアが役所の一角を独占的に使用し、ある時期までは電話、FAX代すら行政側がもっていた。そのな記者クラブが、国や自治体をまともに批判する記事が書けるのか!とも思う。

 ......... 

 ちなみに朝日新聞のF記者はその後、転勤となり亡くなられた。一方、読売新聞のO記者は解説委員を経由し環境関連の公益法人の代表となっている。毎日新聞のK記者は、大学教授経験後、フリーの環境ジャーナリストとなっている。