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Memorandom

   8.タシケントの「みどころ」@

Tashkent, Uzbekistan

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年1月19日
独立系メディア E−wave Tokyo


 
タシケント市の市章  ウズベキスタンの国章

 以下はウズベキスタン大使館で頂いた「タシケントのみどころ」についての資料です。









◆ナヴォイ劇場
 アレクセイ・シュチューセフが設計して1939〜1942、1944〜1947年に建設され、1947年11月にアリシェル・ナヴァーイー生誕500周年を記念して初公開されている。劇場の収容観客数は1400人で、舞台の広さは540平方メートルである。 第二次世界大戦で、ソ連の捕虜になった日本人に強制労働として、劇場の建設が課せられた。長時間の労働に加え、食事には腐ったものが出てくるなど劣悪な環境であった。実際に作業に関わった500人のうち、79人もの日本人が亡くなっている。しかし、強制労働にもかかわらず『日本に必ず帰って、もう一度桜を見よう』の合言葉のもと、妥協のない姿勢で建設に携わり、3年かかるであろうこの建設を僅か2年で完成。細部の彫刻にまでこだわるなど完璧な出来であった。なお、サマルカンド国立外国語大学で教授を務めた胡口靖夫は、ナヴォイ劇場の建設に従事した日本人の「私らが昭和20年11月上旬ころに着いたときにはもう建物はほとんどでけていました。これは間違いありません」という証言などから、「日本人捕虜が建設に参加した時には、基礎はもちろん建物本体はほとんどできていた。日本人捕虜が行った作業の中心は、左官・彫刻・寄せ木作りの床張り・大理石の床張り・電気工事などの内外装工事の『仕上げ』であった」と結論付けており、「勤勉に働いた日本人が基礎からレンガを積み上げて“建設”した」とされるのは「伝説」だとして、それが検証なしに広められていることを批判している。 


戦後シベリア抑留を受けた日本人捕虜が工事を下とされる
バレエ・オペラ劇場のナヴォイ劇場   出典:Wikipedia


◆ヤッカサライ墓地
 ウズベキスタンの首都タシュケントに日本人抑留者の墓地があり、この墓地がタシケント日本人墓地と呼ばれている。場所は市の南東地区、ヤッカサライ(Yakkasaray(en:Yakkasaray))通りに位置する公営墓地の一角に、ドイツ人墓地が隣接している。太平洋戦争終戦直後、中国東北地方(満洲)や樺太に駐留していた日本兵約57.5万人が、武装解除投降後、捕虜としてソヴィエト連邦により強制的にソビエト連邦内のシベリアや中央アジア地域、遠くはコーカサス地方、ウクライナ等へ連行され、強制的に労働を強いられた。中央アジア地域のウズベキスタンにも約2万3千名の日本軍捕虜が移送され、ウズベキスタン各地で建設事業に従事する長期的な抑留生活を送り、日ソ間の国交が回復(日ソ共同宣言)され、帰国する1956年までの間に884名(2010年1月現在)[2]が亡くなった。このヤッカサライにある日本人墓地は、タシケント地区及びウズベキスタン各地で亡くなった抑留日本人共同墓地である。


ウズベキスタンの首都タシュケントにある日本人抑留者の墓地      出典:Wikipedia


◆ウズベキスタン国立博物館
 タシュケントにロシア帝国のトルキスタン総督府が置かれていた1876年にトルキスタン民俗学博物館として設立された後、1919年2月にトルキスタン国立博物館と改称された。1970年に博物館の場所を移転、ロシアにあるレーニン中央博物館のタシュケント分館として改装された。1991年のウズベキスタン独立後に、現在の名称となった。ウズベキスタン国立博物館には考古学、歴史学、民俗学的な中央アジア文明の事物や歴史の流れが、石器時代から時代順に展示されている他、かつて中央アジアで使用されていた貨幣も展示されている。トルキスタン民俗学博物館時代の1900年と1906年には、パリとミラノでそれぞれ行われた万国博覧会に展示物を提供している。また、特筆すべき展示物として、テルメズのファヤズ・テパ遺跡から見つかった紀元後2〜3世紀のものと考えられる三尊仏が移管、展示されている。

開館時間:開館時間は午前10時から午後5時まで、休館日は月曜日となっている。


ウズベキスタン国立歴史博物館        出典:Wikipedia


◆ウズベキスタン外務省迎賓館
 宮殿はニコライ・コンスタンチノヴィチ大公のために建設されたものである。ニコライ大公は当時ロシア帝国の主要地域からトルキスタン総督府のあるタシュケントへと追放されていた。宮殿は灰色と黄色のレンガでできた2階建ての建物であり、賓客用の部屋を伴っていた。また、夏季の気温が高い時期においても涼しく過ごせる構造となっていた。地下には厨房が配置されている。宮殿の側面部分には丸い塔が建設されており、宮殿と見事な調和を保っている。宮殿周辺の地域にはタシュケントの有名な植物学者、薬剤師であったイェロニム・クラウゼ(ロシア語版)による庭園があった。カウフマン通りを見渡せる玄関の傍は道路が円形状になっており、柱に屋根の着いた玄関が広い通りから姿を現す。カウフマン通りからこの場所までは美しく質の高い格子戸の付いた入場門と退出門、2つの門で隔てられている。格子と入口に続く通りの間、刈り込まれた生垣や花畑が取り囲むように客を出迎える。1階部分の両側には大理石の台座が置かれ、大きなツノを持つ実物大の銅製のシカの像が飾られていた。宮殿の左翼部分には大公の居住部屋が、宮殿の右翼部分には大公妃の居住部屋があった。



ウズベキスタン外務省迎賓館        出典:Wikipedia


◆アミール・ティムール博物館(Amir Temur Muzeyi)
 ウズベキスタン・タシュケントにある博物館である。ティムール王朝歴史博物館 (ウズベク語: Temuriylar tarixi davlat Muzeyi)とも呼ばれる。外見の青いドームと豪華な内装で知られている。ティムール朝の開祖ティムールの名を冠しており、主にティムール朝の歴史に関する展示をしているほか、現在のウズベキスタン大統領イスラム・カリモフについての展示もある。博物館はティムール生誕660周年に当たる1996年に建設された。博物館に隣接する庭園にはいくつかの噴水が、同じく隣接するアミール・ティムール広場には馬の背に乗ったティムールの像がある。

交通アクセス:タシュケントの中心街にある。ウズベキスタン鉄道のタシュケント駅からは徒歩約5分、タシュケント国際空港からはタクシーで約5〜10分。


アミール・ティムール博物館        出典:Wikipedia


ウズベキスタン国立応用美術館
 1927年にタシュケントにおいてウズベク・ソビエト社会主義共和国国内の芸術家が集まり展覧会が開催された。以降、この展覧会は定期的に開催されるようになり、「ウズベキスタン国立展覧会」として開催されるようになった。その後、展覧会で展示される対象は手作りの刺繍工芸、木彫りの彫刻、絨毯、宝石など応用美術の様々な分野へと拡大されていった。この展覧会で展示された美術品を集め、ウズベキスタン工芸美術館が1937年7月に設立された。1960年、ウズベキスタン工芸美術館はウズベキスタン応用美術常設展示館へと改名された。1997年、美術館はウズベキスタン共和国文化省の管轄下に入り、ウズベキスタン国立応用美術館へと改名された。館内では、ドゥッピ (Do'ppi) などの伝統衣装の帽子、ネックレスや髪飾りなどの貴金属製品などが展示されている。館内は伝統工芸を展示している区画、20世紀に制作された絨毯や帽子などの伝統衣装を展示している区画、現代美術との融合により新たな創作を行なっている作品群のある区画の3つの区画に分かれている。館内スペースの関係から7,000点以上の美術品を展示することはできないものの、職人の製作のもと収集品は増加している。


ウズベキスタン国立応用美術館        出典:Wikipedia


つづく