エントランスへはここをクリック   

Memorandom

   11.ブハラの「みどころ」@

  Buxoro, Uzbekistan

青山貞一 Teiichi Aoyama
池田こみち Komichi Ikeda

掲載月日:2015年1月19日
独立系メディア E−wave Tokyo


 
 ウズベキスタンの国章

 以下はウズベキスタン大使館で頂いた「ブハラのみどころ」についての資料です。




 以下にブハラのみどころを紹介します。

◆ミル・アラブ・メドレセ

 ミル・アラブ・メドレセは16世紀に建設されており、古都ブハラで最も優れたメドレセのひとつといえます。秀逸な建築様式そして彫刻、装飾が見る人を魅了します。ウズベキスタンの都市では、どこも過去に破壊された歴史と経験を持っていますが、ミル・アラブ・メドレセは今でも往事の姿で見ることができます。

 ミル・アラブ・メドレセは、ソ連時代でも開校が認められていた神学校のひとつで、ティムール廟を調査のため開封した直後にナチス・ドイツのソ連侵攻が勃発したことから、ナチス・ドイツの侵攻に恐怖を抱いたスターリンによってメドレセの存続が認められたという話も残っています。

 ミル・アラブ・メドレセの隣には19〜20世紀にかけて建設されたアミール・アリム・ハーン・メドレセが建っています。このメドレセは1924年以来、図書館としても利用されており、「高貴なるブハラ」は多くの図書所蔵とともに、常に人類の英知の中心であり続けていると言えます。

 永年大学で図書館長をしてきた青山にとって、ミル・アラブ・メドレセは貴重な訪問場所でもあります。こんなすばらしい図書館はおそらく世界広しといえ他に存在しないのではないのではと思います。


ミル・アラブ・メドレセ      出典:Wikipedia


◆イスマイール・サマニ廟と池
Ismail Smana Mausoleum

 イスマール・サマニ廟はイスラム初期の建築様式の霊廟といえます。イスマール・サマニ廟は892年から943年、半世紀も費やし造築された中央アジアに現存する最古のイスラム建築です。

 このイスマール・サマニ廟は9世紀末にブハラを占領し都としたサーマーン朝のイスマイール・サマニが父親のために建てた霊廟です。そして彼も彼の息子もこの廟に葬られサーマーン朝の一族の霊廟となっています。

 モンゴル帝国により街全体が破壊されたとき、マゴキ・アッタリ・モスク同様に廟が地中に埋まっており、それにより破壊を免れたています。

 イスマール・サマニ廟が日の目を見たのは1925年のことです。イスマール・サマ二の丸ドームはレンガを積み重ねた壁面の上にドームをのせた構造となっていますが、積み重ねられた微細なレンガはさまざまな模様を形ち作っており、さらに日差しによってさまざまな姿を見せています。イスマール・サマニ廟は世界中の考古学者や建築家に注目されています。


イスラム初期の建築様式の霊廟  イスマール・サマニ廟
出典:Wikipedia


イスラム初期の建築様式の霊廟  イスマール・サマニ廟
出典:Wikipedia


Ismail Samanid Mausoleum (トリップアドバイザー提供)


Ismail Samanid Mausoleum (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


Ismail Samanid Mausoleum (トリップアドバイザー提供)


◆チャル・ミナール

 ブハラの中心地から少し離れた東側の旧市街の中にチャル・ミナルがあります。この建築物には写真のように4つのミナレット(尖塔)があります。チャル・ミナルとは「4本のミナレット」を意味しています。見る角度によってチャル・ミナルは4つ、3つ、2つのミナレットに見えます。

 もともとはメドレセの番小屋として建てられたそうですが、現在、そのメドレセ自体は残っていません。伝説によればインドの金持ちの商人が4人の娘の事を懐かしく思って4本のきれいなミナレットを建設したとい言われています。しかし娘たちの容貌がさまざまだったので、ミナレットのタイルの装飾もそれぞれ違っているようです。

 チャル・ミナルの一階部分は六角形のポーチになっており、4つの窓があり、そのうちのひとつの窓からは青空の下、美しいすべてのミナレットを臨むことができます。


チャハル・ミナール(「4本のミナレット」)
   出典:Wikipedia


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


アルク城

 アルク城は歴代ブハラ・ハーンの居城です。発掘調査によると、紀元前4世紀から存在していたとされています。アルク城は何度も外敵に破壊されては建て直されており、現存するアルク城は18世紀のものとされています。

 アルク城は以前、木造の建築物でしたが、1920年、ソビエト軍の爆撃で焼け落ち、現在残っている城は石造りの部分のみです。壁面に狭い間隔で木材がとび出ています。それは建設される際に足場として使われたものです。

 アルク城の内部にはエミールの部屋、拷問室、警備の詰め所、家畜用の小屋や店、モスクなどがあります。

 アルク城の堅固な城門をくぐると両側には囚人の地下室跡があり、通路の両側では土産物などが売られています。通路を抜け進むと、左手にエミールがかつて玉座の間として用いた部屋があります。セレモニーやフェスティバルにも用いられました。博物館も併設されており、1階には古代のブハラ、2階には中世のブハラ、3階には貨幣などが展示されています。また城壁の上からはブハラの街並みを楽しむことができます。


Ark Fortress (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


ブハラ (トリップアドバイザー提供)


Ark Fortress (トリップアドバイザー提供)


アルクル城への入り口         出典:Wikipedia


アルク城    出典:Wikipedia


Ark Fortress (トリップアドバイザー提供)
アルク城博物館内部


Ark Fortress (トリップアドバイザー提供)
アルク城博物館内部


Ark Fortress (トリップアドバイザー提供)
アルク城博物館内部


つづく