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  シルクロードの今を征く
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 莫高窟 (甘粛省敦煌市)
 百度百科5


青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 起点の西安の次は中国敦煌市莫高窟の百度百科5です。

◆莫高窟 百度百科5(Mogao Caves, 中国敦煌市)


Source:Wikimedia Commons 

収納作品

 清王朝の光緒帝時代26年(西暦1900年)に、第16窟の北壁に煉瓦で封鎖された隠された部屋が発見され、室内には三国時代・魏・晋王朝から北宋時代に至るまでの巻物、文書、刺繍織物及び絵画等約5万点が貯蔵されていました。


洞窟の中の仏像    出典:中国百度百科

 宋王朝には、約5万点の聖書、文書、織物の刺繍、そして肖像画がありました。中国語の本を書くことに加えて、李特文,呂魯文、惠宇文,吐蕃,梵文,藏文および他の国の文字が約6分の1を占めています。楽器の内容は仏教や道教のエッセイ、文学作品、契約書、書籍、公文書などの宗教的な楽器が含まれています。

 文書(書籍)には、漢文の写本の他に、ソグド文字、カローシュティー文字、回鶻文字、吐蕃文字、梵字、チベット文字等各民族の文字の写本が全体の六分の一を占めていました。文書の内容は、仏教や道教などそれぞれの宗教的な宗教的な雑文などに加え、文学作品、契約書、帳簿、公文書簡等の世俗的な文書も含まれていました。

 敦煌芸術の発見は、中国の国内外に広まり、中国の古代文献の補遺として、また、比較照合のための非常に重要な研究的価値を持っています。莫高窟は、絵画、彫刻、建築美術と壁画や彫像を組み合わせた大規模な石窟寺院です。

 石窟は、主要な禅窟(瞑想のための窟)、中心に塔柱のある窟、殿堂窟(本堂)、中心に仏壇を配置した窟、四面の壁に3つの窪みをもつ窟、大きな仏像を設置した窟、涅槃像をおいた窟など大小様々な異なった特徴をもった洞窟から校正されています。

 最大の石窟は、第16窟で面積は268㎡、最小のものは、第37窟で、中が詰まっていて高さはほとんどありません。洞窟の外に作られた元の木造寺院は、現在は既に残っていませんが、廊下と桟道で繋がっていました。

 莫高窟の壁画は洞窟の四面の壁に描かれています。石窟の天井と壁の窪みに仏が描かれており、内容は、広範かつ深淵なもので、主要なものとしては、仏像、仏教故事、仏教の歴史、経典、神怪(不思議で怪しいこと)、信者や修行者、装飾図案等七種類の題材が描かれています。

 そのほかには、当時の狩猟の様子を描いたものや、農耕作業、紡績、交通、戦争、建設、舞踏、冠婚葬祭など社会生活の様々な場面が描かれています。

 これらの壁画は非常に伸び伸びして雄大かつ広大なもので、色は鮮やかで美しく、それぞれの壁画が描かれた時代の様式と芸術的特色をもっています。

 五代十国時代(907-960年)以前に作られた絵は既に大部分が散失していることから、現在残っている莫高窟壁画は中国美術史研究に重要な実物を提供するとともに、中国古代風俗の研究にとって価値のある形象と模様を提供しています。

 一部の壁画は2mの高さに配列されているとすると、計算では、25kmもの長さの画廊に並べられることになります。

 莫高窟の崖の土質は羽毛のように府下府kしているので、石像の作成には適していません。そのため、莫高窟につくられた塑像は、四体の大仏座像を除き、石胎泥塑の技法を用いて作られており、それ以外は、木骨泥塑となっています。

 注)胎泥塑とは(ブリタニカ国際大百科事典小項目より)
   中国における塑像の造仏技法。甘粛省の麦積山石窟,炳霊寺
   (へいれいじ) 石窟は石彫に適さないあらい紅砂岩であるため,
   壁面を泥や石灰で整え,尊像は塑造によらなければならなかっ
   た。麦積山の塑像の多くは木で芯を作ってこれに塑土を盛ってい
   るが,千仏廊の上下両層の千仏は,岩を大ざっぱに刻んで石芯を
   作り、これに塑土を盛って仕上げている。これを中国では石胎泥塑
   と呼んでいる。

 注)木骨泥塑とは
   仏像などの中心部に木材で骨組みをつくりその周りを粘土で塗り固
   めて像を造る技法。


敦煌莫高窟   出典:中国百度百科
敦煌莫高窟。この写真を含め7枚ある(7写真)

 石窟内の塑像はすべて仏教に拘わる神や仏、人物などとなっています。像の配列は、一体(単身)の仏像から群像まで色々な組合せがあり、多岐にわたっています。複数の像については、多くの場合、佛陀が中心に描かれており、両側には弟子が立ち侍っている絵や、菩薩たちなど、少ない場合3体、多い場合には11体の塑像が造られています。

 色彩付きの塑像の形は丸い物もあり、浮き彫り(レリーフ)のもの、影塑(影彫り)、善業塑等、様々な技法が用いられています。これらの塑像は、いずれも非常にリアルに造詣深く多芸多才に造られていて、さらにまた、壁画相互に引き立て合って一層素晴らしい成果を上げています。

 「北大像」とも呼ばれる仏像は、九層の屋根の庇がある崖の石窟寺院の中段に座していますが、寺院全体は崖と同じ高さがあり、高くそびえています。

 その建物は、赤土色の木材で造られており、軒の庇は鋭く尖っていて、外観の輪郭は、複雑に入り組んで味わいがあります。軒先の角には鈴が付けられ風に鳴っています。

 一方、内部に鎮座する弥勒菩薩座像は、高さ35.6m、石胎泥塑技法で造られ色彩が施されています。これは、中国国内では、第二位の楽山大仏と栄県大仏につぐ第三位の大きさの大座仏となります。仏を収めるスペース上部が広く、下部は狭くなっていて、平面は正方形です。

 建物の外には2つの通路があり、近くで大仏や仏頭と腰の光源を見ることができます。この石窟と庇は唐王朝文徳元年(888年)以前に存在していたもので、当時は5階建てで、北宋時代の乾徳4年(966年)と清朝時代にすべて再建され、4階建となりました。1935年に再度修理され、9階建ての形になりました。


莫高窟(百度百科6)つづく