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秦始皇帝・兵馬俑・博物院概要(百度百科14)

西安
(Xi'an、中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
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 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

 次は秦始皇帝陵博物院の展示物を紹介する百度百科14です。

◆秦始皇帝陵博物院  百度百科14

  

【43】秦時代の石の兜(冑)


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の石器です。兜に使われた石片は74枚、石の兜の材料は青灰色溶岩性石灰石で、密度は細かく、色彩光沢は均一で、石を削って磨き、孔を開けて青銅の細い糸で編みあげられ、秦の俑の塑造の鎧に比べてより形も洗練されています。

 これらは、秦時代の高度な手工業の製造技術と、複雑できわめて難しい秦陵建設の発展を反映しています。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


44】秦の百劇俑


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の陶器で、秦の始皇帝陵K9901陪葬坑から出土しました。1号百劇俑の背丈は152cm、右腕には「咸陽親」という文字が刻まれています。2号百劇俑は、背丈172cm。 4号百劇俑は、高さ152cm。19号百劇俑は、181cmです。

 1999年、考古学者たちは、秦陵の東南部内外城垣の間の陪葬坑内の試掘から出土した陶俑は11体で、これらは上体が裸体でしたが、下半身は衣を着けています。

姿勢は、直立して、両手を捲き衣を持っていたり、片方の手を腰に一方の手を高く上げていたり、両足を弓矢を射るように開いていたり、片膝を着いていたりと様々です。

 これらの俑は古代の百劇娯楽の情景を模したものであり、百劇は古代の猿楽曲芸などの総称でした。それらの中には、重量挙げ、尋橦(壮漢が頭上に支える高柱に登った童子3人の軽わざ)、相撲、曲芸やコメディの芸人/俳優も含まれます。

そのため、これらの作品は「百劇俑」として有名となり、彼らは宮廷晩餐会の一場面に参加しているかのように見えました。各種の展示方法によって個々の非常に高い技術が見られ、秦時代の宮廷活動の豊かな時代が反映されています。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


【45】秦時代の青銅の鼎(かなえ)


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院

 秦時代の青銅器、高さ61cm、光景は65.5~71cm、腹部の深さは34cm、重さは212kgです。これは、秦の始皇帝陵K9901陪葬坑から出土した物です。これは、百劇俑坑から出土した一件の青銅製の鼎です。非常に大きく、そのため、秦陵の大鼎と呼ばれています。この鼎の形は落ち着きがあり、非常に複雑で美しい模様で飾られています。

 この鼎は百劇俑と同じ遺跡坑から出土していることから、学識者の一部は、鼎を持ち上げる時の道具の一つであったのではと考えています。またある人は是は、祭礼などに用いる器(礼器)であり、秦時代末期の戦乱によって埋葬された物と考えています。秦の始皇帝陵博物院に収蔵されています。


出典:中国百度百科 秦始皇帝陵博物院


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