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シルクロードの今を征く
Now on the Silk Road

パドヴァPadova、イタリア)

パドヴァ
(Padova)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日改訂公表予定2020年10月1日
独立系メディア E-wave Tokyo
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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆パドヴァ
(Padova)


・サン・ロレンツォ橋(Ponte San Lorenzo) - バッキリョーネ川にかかる、ローマ時代の橋。
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サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂
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エレミターニ市立美術館
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オルト・ボタニコ
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文化


ボー宮殿。パドヴァ大学に属しています
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 パドヴァは、1222年創立のパドヴァ大学で長く有名です。ヴェネツィア支配下で、パドヴァ大学はリフォルマトーリ・デッロ・ストゥディオ・ディ・パードヴァ(Riformatori dello Studio di Padova)と呼ばれた3人の貴族らによって管理されました。教授と卒業生の名簿は長く輝かしいものです。

 ピエトロ・ベンボ、スペローネ・スペローニ、ヴェサリウス、コペルニクス、ファロピウス、ファブリツィオ・ダクアペンデンテ、ガリレオ・ガリレイ、ピエトロ・ポンポナッツィ、レジナルド・ポール、フランシス・ウォルシンガム、ジョゼフ・ジュストゥス・スカリジェ、トルクァート・タッソらです。大学は、1594年につくられた最古の解剖教室をもっています。

 パドヴァ大学は世界最古の植物園を持っています。治療用ハーブを育てるため大学の医学部付属にしました。希少な植物の重要なコレクションを今も持っています。

 美術史上のパドヴァは、学術史と同様に重要です。大学の存在が多くの多様な芸術家を惹きつけたのです。ジョット、フラ・フィリッポ・リッピ、ドナテッロが含まれる。そして地元芸術家の中から、フランチェスコ・スクァルチォーネの門下出身の偉大なアンドレア・マンテーニャが頭角を現しました。

 パドヴァは、16世紀に活躍した建築家アンドレーア・パッラーディオの生誕地でもあります。彼はパドヴァ、ヴェネツィア、ヴィチェンツァ、トレヴィーゾでヴィッレ(ville、カントリー・ハウス)を建てました。これらの建築物は18世紀から19世紀まで頻繁に模倣されました。探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニもパドヴァ生まれです。

 著名な彫刻家アントニオ・カノーヴァは、最初の作品をパドヴァで製作しました。プラート・デッラ・ヴァッレの像がそれにあたります(現在野外にはカノーヴァ作彫像のコピーが置かれ、本物は市立美術館に置かれています)。

 パドヴァで最も生活と関わりある場所の一つは、アントニアヌム(Antonianum)です。プラート・デッラ・ヴァッレの中に据えられた、サンタントーニオ教会と植物園は、イエズス会の神父らによって1897年につくられ、2002年までそこに維持されていました。第二次世界大戦中、イエズス会のメッソーリ・ロンカーリャの指揮のもと、ここは反ナチス・レジスタンスの本拠地でした。実に、メッソーリの死後も残り、2004年にイエズス会によって売却されました。

 ウィリアム・シェークスピアは、『じゃじゃ馬ならし』の舞台をパドヴァとしています。

パドヴァの教会

 パドヴァの歴史的中心部には、重要な建築と芸術の教会が数多くあります。

 以下はその教会です。黄色い教会は詳細を後述しています。

・パドヴァの聖アントニオ大聖堂。1235年創建。

・サンクレメンテ。1190年創建。
 

・サンタクローチェ。1737年創建。
 

・サンダニエーレ。1076年創建。
 

・エレミタニ教会。1276年創建。
 

・サンフランチェスコ。1430年に奉献。
 

・サンガエターノ教会。1574年から1576年に創建。
 

・サンタ・ジュスティーナ修道院教会。520年創建、1050年に拡張。

・聖母被昇天大聖堂、パドヴァ大聖堂1551年創建。この場所の4番目の建造物です。
 

・サンタマリアデイセルヴィ。1511年創建
 

・スクロヴェーニ礼拝堂。1305年奉献。
 

・聖ソフィア教会、10世紀創建。
 

・セントジョージ礼拝堂、 1376年から77年に創建。
 


統計

 2007年、パドヴァの人口は210,301人で、そのうち47.1%が男性、52.9%が女性でした。18歳以下の若年層は14.87%、年金生活者は23.72%でした(全国平均では、若年層が18.06%、年金生活者が19.94%)。パドヴァ住民の平均年齢は45歳でした(全国平均は42歳)。2002年から2007年の5年間で、パドヴァ人口は2.21%増加しました(国内では3.85%の上昇)。パドヴァの出生率は、1000人に対して8.49でした(国内平均は9.45人)。

 2006年の調査で、人口の90.66%がイタリア人でした。最大の移民集団はヨーロッパ諸国出身者(ルーマニア、モルドバ、アルバニア)で、5.14%、サハラ以南出身者1.08%、東アジア1.04%です。現在、パドヴァで生まれる新生児5人のうち1人は、外国人の両親を持っています。パドヴァはカトリック教会が優勢です。しかし、移民のため一部には正教会、イスラム教、ヒンドゥー教の信徒もいます。

領事館

 以下の国々の領事館が開設されている。

・オーストリア
・クロアチア
・コートジボワール
・韓国
・ペルー
・ポーランド
・スイス
・スロバキア
・チュニジア
・ウルグアイ

経済

 パドヴァの工業地帯は1946年につくられ、市東部にあります。現在、ヨーロッパ最大級の工業地帯の一つとされています。ここには1300社の工場があり、5万人が雇用されています。ヨーロッパのどこからもパドヴァへ商品が到着します。そして世界中、特にアジアへ送られていきます。工業地帯には2つの主要鉄道駅、3つのトラック・ターミナル、2つの高速道路入り口、それらと連結したサービス部門、ホテル、郵便局があります。

交通


市内を走るトランスロール
Source:Wikimedia Commons
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自動車

 自動車では、3つの高速道路(アウトストラーダ)、A4ブレシア=パドヴァ(ヴェローナからブレンナー峠を越えインスブルック、バイエルン、ミラノ、スイスへ)、A4パドヴァ=ヴェネツィア(ヴェネツィア、ベッルーノ)、A13ボローニャ=パドヴァ(フェッラーラ、ボローニャ)があります。自由道の出入口は市周辺に20箇所以上あり、後背地の町村や地区とつながっています。

鉄道

 パドヴァには多くの鉄道駅があります。最大はパドヴァ中央駅で、16番線まであるイタリア有数の巨大駅です。パドヴァから一日450本の電車が出発しています。年間2000万人以上の乗客が利用します。その他の駅はパドヴァ・ポンテ・ディ・ブレンタ駅、パドヴァ・サン・ラッツァーロ駅、パドヴァ・カンポ・マルテ駅です。ミラノとヴェネツィアへ向かう高速鉄道もあります。ミラノへは1時間51分、ヴェネツィアへは20分で行けます。

空港

 パドヴァは、ヴェネツィア、ヴェローナ、トレヴィーゾ、ボローニャの各地の空港に近くなっています。パドヴァ空港はもはや定期便が運行されていません。しかしパドヴァにはイタリア国内に4箇所ある地域管制センターのうち1つがあります。

 およそ50km離れたヴェネツィアが、最も近い海港です。

公共交通

 都市公共交通には、バス、タクシーとともに、新たに導入されたトランスロールゴムタイヤトラム)がバス道路を走っています。
 
市中心部は、住民と許可車両を除く自動車を一部閉め出している。地区周辺には駐車場が数カ所ある。また中心部は一部の通りと広場で歩道に制限があり、歩行者と自転車が許可されています。

 パドヴァにはおよそ40のバス路線があります。どのトラムにもバスにも監視カメラがあり、GPSが管理しています。

スポーツ

 プロサッカークラブであるカルチョ・パドヴァの本拠である。ホームスタジアムはスタディオ・エウガネオ。2017-18シーズンはセリエC(3部リーグ)に属しています。

 ラグビーチームのペトラルカ・パドヴァ(Petrarca Rugby)は、1970年から1987年まで11回の国内優勝を数えます。

 また、バレーボールクラブのパッラヴォーロ・パドヴァがあります。

姉妹都市

・ナンシー(フランス共和国)1964年
・フライブルク(ドイツ連邦共和国)1967年
・ボストン(アメリカ合衆国)1983年
・邯鄲(中華人民共和国)1988年
・ヤシ(ルーマニア)1995年
・ベイラ(モザンビーク共和国)1995年
・コインブラ(ポルトガル共和国)1998年
・カリャリ(イタリア共和国)2002年
・ザダル(クロアチア共和国)2003年

人物

著名な出身者


・ジュール・セザール・スカリジェ - 16世紀フランスの医師、哲学者、文法学者
・バルトロメオ・クリストフォリ - 17-18世紀の楽器製作者、ピアノの発明者
・アッリーゴ・ボーイト - 19-20世紀の作曲家
・レアンドロ・ファッジン - 20世紀の自転車競技選手
・アントニオ・ネグリ - 哲学者
・リカルド・パトレーゼ - F1ドライバー
・ジョルジオ・パンターノ - F1ドライバー


ギャラリー1 へつづく