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ヴェネツィア( Venezia、イタリア)
 
サン・ジョバンニ・グリソストモ教会

(聖ヨハネ・クリソストモ教会)
(Chiesa di San Giovanni Crisostomo)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2019年4月20日
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 

◆Chiesa di San Giovanni Crisostomo
サン・ジョバンニ・グリソストモ教会(聖ヨハネ・クリソストモ教会)

 下はグーグルマップで見たサン・ジョバンニ・グリソストモ教会の位置です。


出典:グーグルマップ


出典:グーグルマップ

 下はサン・ジョバンニ・グリソストモ教会の外観です。


サン・ジョバンニ・グリソストモ教会(聖ヨハネ・クリソストモ教会)の外観
Source:Wikimedia  Commons
CC BY-SA 4.0, Collegamento


 聖ヨハネ・グリソストモ教会(英語:セント・ジョン・クリソストモ:SaintJohn Chrysostom)は、ヴェネツィアのストラーダ・ノヴァ(Strada Nova)とサン・ボルトロミオ(San Bortolomio)地区を結ぶ通り沿いのカンナレッジオ(Cannaregio)地区にある教会です。

歴史

 この小さな教会は1080年に設立され、1475年、教会は破壊されましたが、部分的な破壊か完全に壊れたのかは定かではありません。火災はその地域全体を及び、当時、ミリオンの宮廷にいたマルコ・ポーロの家を含め多くの家屋が焼失しました。

 1488年、当時の教皇イノセント8世(Innocent VIII)はその再建に財政的に貢献した人には、誰にでも免罪符を与えました。

 その後1495年にマウロ・コドゥッシ(Mauro Codussi)による設計が始まりました。1504年にマウロ・コドゥッシは亡くなり、完成を見ることは出来ませんでしたが、彼の息子ドメニコ(Domenico)によって再建され1525年に完了しましたが、1531年にはすでにヴェネツィアの上院議員によって建物前の道路の拡張工事が始まりました。1590年に現在の鐘楼が完成しました。

 1918年2月26日、教会のファサードはオーストリアの爆撃によって損傷を受けました。

解説

 その建築設計図をみると、ギリシャ十字の形をしていて、(聖堂は)正確に交わった完璧な十字をつくり、古典的な4本の柱がアーチを支えその上に半球形の屋根が設置されていました。最も重要な作品は、間違いなく1513年のジョバンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini)による祭壇画で、1494年7月13日にヴェニスの商人であったジョルジオ・ディレッティ(Giorgio Diletti)が依頼した絵画「Saints Cristoforo、Girolamo and Ludovico di Tolosa」です。

 その絵(作品)は教会の寓意(アレゴリー)で、知的教会の医者である聖ジェロームは、活動と瞑想による礼拝生活を高い位置で結ぶものとして神に近づいています。フランシスコ会修道僧となるためにすべてを捨てた貴族であるトゥールーズの聖ルイは、非常に厳しい瞑想を象徴しており、一方で、聖クリストファーはアクション(行動)を象徴しています。これは当時80歳以上だったジョバンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini)による最後の作品と考えられています。

 そしてまた、カテリーナ・コンタリーニ(Caterina Contarini)とニコロ・モロシニ(Nicolo Morosini)の依頼でセバスチアノ・デル・ピオンボ(Sebastiano del Piombo)が描いた、非常に地味で控えめな聖ヨハネス・クリュソストモス(Saint John Chrysostom)(ヨハネの祭壇)のキャンバス画も重要です。

 壁には、1610年にザッカリア・ファシネッティ (Zaccaria Facchinetti)が描いた「Traslazione del corpo di san Giovanni Grisostomo」(聖ヨハネ・クリュソストモスの体の取引)と、アルヴィーゼ・ダル・フリソ(Alvise DalFriso)の司教に任命された聖ヨハネ・クリソストモ(Giovanni Grisostomo)に感嘆させられます。

 最後に、モンテプルチャーノ(Montepulciano)の町のBernabo de Catenariis家が依頼した「使徒等と聖母の戴冠式」トゥッリオ・ロンバルド(TullioLombardo)による大理石の祭壇画があります。

 また、平らな天井には、さまざまな大きさの9つの区画があり、ジュゼッペ・ディアマンティーニ(Giuseppe Diamantini)にって聖なる父が智天使たちとに囲まれて描かれています。

写真ギャラリー


教会内部を見たところ
Source:Wikimedia  Commons
CC BY-SA 4.0, Collegamento



ジョバンニ・ベッリーニによる絵画「Santi Cristoforo, Girolamo e
Ludovico di Tolosa(トゥールーズの聖人クリストファー、ジェロームとルイス)」
Source:Wikimedia  Commons
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トゥッリオ・ロンバルド(Tullio Lombardo)による「使徒たちの間の聖母の
戴冠式」が描かれた祭壇
Source:Wikimedia  Commons
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トゥッリオ・ロンバルド(Tullio Lombardo)による「使徒たちの間の聖母の
戴冠式」の詳細。パオロ・モンティ撮影、1977年。
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セバスチアーノ・デル・ピオンボによる聖ヨハネ・クリソストモの祭壇画
Source:Wikimedia  Commons
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