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パドヴァPadova、イタリア)

ラジョーネ宮殿
(Ragione, Padova)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2020年10月10日
独立系メディア E-wave Tokyo
 無断転載禁

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 本稿の解説文は、現地調査に基づく開設に加え、Veneziaイタリア語版を中心にVenice英語版からの翻訳及び日本語版を使用しています。また写真は現地撮影分以外にWikimedlia Commons、さらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビューを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名をつけています。 
◆ラジョーネ宮殿 パドヴァ
(Padova)

出典: Wikipedia
Palazzo della Ragione, Padua
https://en.wikipedia.org/wiki/Palazzo_della_Ragione,_Padua  英語版
https://it.wikipedia.org/wiki/Palazzo_della_Ragione_(Padova) イタリア語版 
翻訳者 池田こみち

概要

 以下はグーグルマップで見たラジョーネ宮殿の位置です。シニョーリ広場の東隣になります。


出典:グーグルマップ

 以下は、ラジョーネ宮殿の外観です。


パドヴァのラジョーネ王宮
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0, Link


 パラッツォ・デッラ・ラジョーネ(提喩法:シネクドキではサローネ=ホールとも呼ばれます)は、現在はパドヴァの市庁舎と屋根付き市場の古代の所在地でした。

 1218年から建築が始まり、1306年にジョバンニ・デッリ・エレミターニ(Giovanni degli Eremitani)によって完成しました。彼は、ひっくり返った船体の形をした特徴的な屋根をつくりました。

 上層階は、船体のような形をした木製の天井を備えた、「サローネ」と呼ばれる世界最大の吊り下げ屋根(81メートル×27メートル、高さ27メートル)で覆われています。今は、パドヴァの市民博物館の一部となっています。下の階(「サローネの下」)には、街の歴史的な屋根付き市場があります。

特徴

 ジョット(Giotto)の作とされる一連のオリジナルの絵画は、1420年の火事で破壊されました。ホール(サローネ)は、アヴェロエ(Averroè)の信奉者であるピエトロ・ダバノ(Pietorod'Abano)の研究に基づいた占星術に関するフレスコ画(1425年から1440年の間に完成)の壮大な連作で飾られています。

 ニコロ・ミレット(Nicco lò Miretto)とステファノ・ダ・フェラーラ(Stefano da Ferrara)によるフレスコ画は、長さ200メートル以上にも及ぶ4つの壁の「3つの上部のゾーン」に描かれています。(出発点はエルベ広場の壁の東南の角で、そこには、春分に対応した牡羊座のマークがあります)。

 占星術のテーマは、各月に応じて12に区分されており、それぞれが9段、3帯に分割されています。それぞれの区分には、(キリストの最後の晩餐の)使徒たち、各月の寓話、星座(干支)、惑星、典型的な職業、貿易、星座の描写が含まれています。周りには星(アストラル)の影響によって定義された人々の活動とそれぞれの性格が表されており、時間は、誕生日と星位による運勢(ascendant)に関連づけられています。


Photo by dino riello,  2019-12, Google Map Street View


 「下のゾーン」は、動物に象徴される裁判官(円盤)の勲章を表しており、それに4つの枢機卿の美徳と3つの神学的美徳、パドヴァの守護聖人(パドヴァの聖ジュスティーナやアントニオなど)また、教会の博士たちが描かれています。


photo by Fuji A, 2018-04, Google Map Street View

 注)4つの枢機卿の徳とは慎重、正義、強靭さ、そして節制を言います。
  3つの神学的美徳とは、信仰、希望、愛(慈善)を意味しています。


 2000年以降、この建物のフレスコ画は、法律662/96の規定に従い、Gioco del Lottoからの資金のおかげで、修復プロジェクトの中心となっています。

 部屋にはルネッサンス時代の複製であるドナテッロのガッタメラタ(Gattamelata didonatello)の記念碑である巨大な木製の馬、そしてジョヴァン・バティスタ・ベルゾーニ(Giovan Battista Belzoni)によって19世紀に持ち込まれた2つのエジプトのスフィンクスがあります。

 最近、サローネ(ホール)の隅には、パドヴァと科学の不可分の関係を強調するために、フーコー振り子を収容するために使用されています。ホールは、パドゥバの市場を象徴する香草と果物の二つの広いエリアに区分されています。ホールの下には、二列の平行したギャラリーに沿って、数多くの特徴的な食品のお店が並んでいます。


photo by Stefano I.m 2017-10, Google Map Street View


 市場としての初期の機能を理想的に現代に繋ぐように、この市場の跡は現在の市議会議事堂の東に物理的に接続されています。


パドヴァのラジョーネ宮殿
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 2.5, Collegamento

歴史

 建物の歴史としては、現在の宮殿が建っている場所は、昔からある建物で長年居住していたと考えられます。実際、宮殿はローマ時代の記憶をとどめており、ロマネスク様式の彫刻、胸像などがホールの下の市場に続く入り口の門の脇にある柱に設置されているのがその証拠です。最も初期の建設の正確な日付は不明ですが、公共の機能を持っていた建物の下部は1166年にすでに存在していました。

 最初の建築は1219年に遡り、建物は裁判所と金融事務所とすることを目的としていました。自治共同体時代(communal age)だけでなく、使用は減ったものの、1797年までのカッラレーゼ家(Carrarese)とベネチア支配となってからもその役割を果たしました。

 しかし、それは商業の中心地であったからであり、それが長期にわたってこの建物が維持された唯一の役割でした。したがって、ホール(サローネ)と正義(法廷?)の間には密接な関係があるのです。

 広場エリアでの市場の急激な発展は、自治体に定期的な介入を行うように促し、商人の活動に対する公共の保護も実質的に確立させました。地方自治体による生活を規制する最初の法令は12世紀初頭にさかのぼり、主に貿易および政治機関に関係したものでした。現在の形は、1306年から1309年の間に2つの覆いが付いた大きな木製の丸天井を持ち上げ、階段のまわりに柱廊玄関とロッジア(外廊下)を追加した修道士ジョヴァンニ・デッリ・エレミターニの設計によるものです。

 屋根は、中央の柱がなく、鉛板で覆われたカラマツの木のトラスで再建されました。

 大きなホールには、階下で開かれていた市場にちなんで名付けられた4つの階段からアクセスできました。エルヴェ広場にあるヴォルト・デッラ・コルダのスカラ・デッリ・ウッチェリ(鳥の階段=Scala degli uccelli)(Scala degli osei)、鉄製の階段、スカラ・デル・ヴィーノ(ワインの階段=Scala del vino)、そして、果物の階段です。

 自治体時代(Communal period)、破産した債務者を収容することを目的とした精鋭部隊(プレトリアン)用刑務所の場所である反対側のパラッツォ・デッレ・デビテ(Palazzo del Debite)に通じる吊り橋状の通路がファサードの狭い廊下(ロッジア)から架けられていました。古代の建物は1873年に取り壊され、カミーロ・ボイト(Camillo Boito)によって設計された同じ名前の現在の宮殿に置き換えられました。 一方、市庁舎との東側の接続部は、ヴォルト・デッラ・コルダ(Volto della Cord)と呼ばれています。

 1756年8月17日、猛烈な風が大きな建物に衝撃を与え、屋根を破壊して覆いははぎ取られてしまいました。セレニッシマの時計職人兼エンジニアであり、ヴェネツィアのサンマルコ広場の時計の建設で最もよく知られており、バッサーノデルグラッパのパラディオ橋の再建の著者でもあるバルトロメオ・フェラチーナは、その後、印象的な建物(構造)を再建しました。1797年に裁判所が移管された後、大規模な大勢の人が集まる会議、記念式典、パーティーなどのために、ホールが使われています。

見所

・エルベ広場とフルッティ広場の間の屋根付き通路は、ヴォルト・デッラ・コルダ(Volt dellaCorda=ロープの丸天井)と呼ばれています。 この名前は、中世にそこで計量・測定をごまかしていたた貿易商に与えられたロープの刑に由来しています。刑罰は、背中の後ろで結ばれた手首を3~4mまで持ち上げてから、犯人を後ろに倒す、という方法で行われました。

・ホールにはヴィトゥペリオ(Vituperio)の石があり、服を脱いだ後、破産した債務者はお尻を3回叩かなければなりませんでした(この慣習は、ブラゲ・ド・ティーのリスターという表現の原点です)。

 ⇒意味が分かりません。ヴィトゥペリオの石については、動画がありました。
  Il volto della corda Restare in braghe de tela
  https://www.youtube.com/watch?v=_nOzZffUH6Y


ヴィトゥペリオ(Vituperio)の石
Source:Wikimedia Commons
CC BY-SA 4.0, Link


・ホール(サローネ)の西側のファサードの前には、パラッツォ・デッラ・デビテ(Palazzo delle Debite)があり、サローネとは、高架通路でつながっていて、有罪判決を受けた債務者がその通路をとおってサローネから宮殿に移動させられていました。そのため、パラッツォ・デッラ・デビテは、まさに破産した債務者たちの監獄となっていたのです。

・建物の四隅の1つには、外壁に計測のためのいくつかの計量単位が刻まれていました。これは、商人たちが好感する商品の量についての議論を避けるために、商人が使用したものです。

・1756年8月17日、旋風(現在は竜巻または旋風と呼ばれています)が屋根を破壊し、建物に深刻な損傷を与えました。

・ラジョーネ宮殿は一見長方形に見えるかもしれません。しかし、実際には、設計図は非常に不規則であり、4つの角度はそれぞれ異なります。これは衛星画像からよくわかりますが、肉眼でも見える特徴です。

・フーコーの振り子(地球の自転現象を示す演示実験装置)のひとつがホールに設置されています。振り子は長さ20メートルのワイヤーで構成され、サローネの金庫室に固定され、13kgの鋼とアルミニウムの球がぶら下がっています。

 球の振動の振幅は、下にあるプラットフォームの中心に配置された電磁石によって生成され、中心に近づく時間の4分の1の間に球を引き付けるパルス磁場によって一定に保たれます。地球と一体のシステムに対する振動面の見かけの回転は、順番に点灯する180個のLEDによって強調表示されます。点灯しているLEDの弧は、上部が回転するにつれて長くなります。(大学の物理学部の協力を得て)。

.1466年に、ジョバンニ・ジャコモ・ケーン(Giovannni Giacomo Cane)やロドビコ・ラザレッロ(Lodovico Lazzarello)など、当時の歴史家らによって企画され解説された壮大な神話パレードが開催されました。

 その有名なパレードのために大きな木製の馬が用意されました。その後、サン・ダニエレ(San Daniele)のカポディリスタ宮殿(palazzo Capodilista)に運ばれました。ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)は、1568年にドナテッロのヴィータ(Vita di Donatello)のなかで、彼が見た物について次のように書いています。 「..非常に良く出来ている。これは、きっとドナテッロの頭の良さと心の偉大さがなせる技だ。」と。

 子孫のジョルジオ(Giiorgio)とジョルダーノ・エモ・カポディリスタ(Giordano Emo Capodilista)が市に寄付するまで、(その木馬は)頭と尾がないままでしたが、1837年12月11日にサローネに運ばれたました。

 彫刻家のアントニオ・リナルディ(Anotonio Rinaldi)は、馬の足りない部分を彫って、彫刻の修復をするように依頼されました。作品はもとの素晴らしい姿を取り戻し、今日まで私たちが賞賛するところとなり、サローネのシンボルの一つとなりました。 その高さ5.75メートル、周囲は6.20メートルで、内部にアクセスできるように背面に隠し扉がつけられています。


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