エントランスへはここをクリック   中央アジア・シルクロード  【世界紀行】

シルクロードの今を征く

Now on the Silk Road

大唐西市博物館 視察35

天王俑

(Xi'an 中国)

青山貞一 Teiichi Aoyama  池田こみち Komichi Ikeda 共編
掲載月日:2015年1月22日 更新:2019年4月~6月 更新:2020年4月1日
独立系メディア E-wave Tokyo 無断転載禁
総合メニュー

視察31 胡服胡飾     視察32唐代宗教     視察33 唐代宗教3
視察34 唐代宗教4      視察35 天王俑      視察36 天王俑2
視察37 鎮墓獣俑       視察38 鎮墓獣俑2    視察39 三彩女性俑 
視察40 飲食

 本稿の解説文は、現地調査や現地入手資料、パンフなどに基づく解説に加え、百度百科中国版から日本への翻訳、Wikipedia 日本語版を使用しています。また写真は現地撮影以外に百度百科、Wikimedlia Commons、トリップアドバイザーさらに地図はグーグルマップ、グーグルストリートビュー、百度地図などを使用しています。その他の引用に際しては、その都度引用名を記しています

大唐西市博物館視察35



 天王俑

 注)天王俑は、藍と茶を主とし緑色が加わった唐三彩の典型の一種で、甲冑を
   まとい、岩座の上に邪鬼を踏みしめて立ち、憤怒の相を示すといいます

 注)俑とは
   中国で明器 (めいき) として墳墓に副葬された人形を指します。中国における
   人形の出現は古く,彩陶文化期および殷代に知られるが,俑として土製,木製,
   青銅製の人形を墓に納める風習が生れたのは春秋時代以降と考えられます。
   戦国時代には,黒陶俑と呼ばれる 10~15cmぐらいの土偶がつくられ,漢代に
   なると人物,動物などの陶質の俑が広く墳墓に納められました。南北朝時代の
   俑には仏像を思わせるものもあり,仏教の影響がうかがわれます。唐代の俑に
   は三彩釉陶など色彩豊かなものが多く,胡人を表わしたものなど,時代の特色
   が出ています。
  出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典

 注)天王
  中国に於いては、君主の称号の一つ。仏教においては;、
  ①欲界の最下級の天を統率する四人の天人。四天王。
  ②帝釈天、大梵天など多数の天人を統率している天人。
  ③牛頭ごず天王。
  ④中国で、天子の称。


西市の陶磁器と唐三彩

撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900

 注)唐三彩(とうさんさい)とは

 唐三彩(とうさんさい、拼音: tángsāncǎi、三彩とも)は唐代の鉛釉を施した陶器で、
 主として副葬用に制作された。いわゆる唐三彩は唐代の陶器の上の釉薬の色を
 指し、後に唐代の彩陶(上絵を施した陶器)を総称する語として使われるようにな
 った。唐代の陶器の釉薬の色は非常に多く、クリーム色、赤褐色、薄緑、深緑、藍
 色、紫などがある。中でもクリーム色・緑・白の三色の組み合わせ、或いは緑・赤褐
 色・藍の三色の組み合わせを主としていることから三彩と称されている。



撮影:青山貞一 Nikon Coolpix S9900


 以下は唐三彩による天王傭です。



三彩天王俑
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S990



三彩天王俑(唐代 公元618-907年))
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S990




三彩天王俑
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S990




三彩天王俑
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S990




三彩天王俑
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S990




三彩天王俑
撮影:池田こみち Nikon Coolpix S990


視察36へつづく