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飯塚事件をご存じでしょうか?
青山貞一
掲載月日:2013年7月30日
 独立系メディア E−wave Tokyo


 日本の司法、とりわけ刑事事件における警察、検察が抱える冤罪に関連した問題は重大です。逮捕、起訴した事件の99.9%を裁判で有罪に持ち込んでいると警察、検察は以前から豪語しています。

 しかし、裁判で99.9%有罪に持ち込んだからと言って、司法の正当性があるとは思えません。99.9%の中には無罪がある可能性があるからです。

 以前、私の教え子の大学院生が冤罪になりかかったことがあります。

 この事件では、弁護士、教え子、教員らと一緒に闘い、初審の横浜地裁で無罪を勝ち取りました。さらに横浜地検、東京高検に控訴を断念させました。

 これについては、ゴビンダさん東電女性社員事件、袴田事件などとの重大冤罪事件の中間報告会に呼ばれ、報告しています。検察の冒頭陳述は偏見に満ちた聞くに堪えない内容だったことを今でも覚えています。

青山貞一:中国留学生冤罪事件報告  You Tube
 http://www.youtube.com/watch?v=15p1epxvqag

 これは、99.9%の中には、無罪、すなわち冤罪があることを物語っています。万が一という言葉がありますが、万が一は事実、真実として存在しているのです。


 ところで、みなさまは<飯塚事件>をご存じでしょうか?

 福岡県飯塚市で起きた2名の女児殺人のかどで逮捕、起訴され、最終的に死刑が確定した男性が、あっという間に自民党の森法務大臣(当時)によって死刑執行された事件です。

 死刑判決から死刑執行の間の期間が非常に短かったこともあり、弁護団が再審請求、それも確固とした証拠を添えての再審請求する時間がない間に、死刑施行されてしまったのです。

 しかし、弁護団が必死に警察、検察の捜査経緯、捜査内容などを調べたところ、裁判段階で見過ごされた数々の問題が出てきたことに加え、足利事件と同時に行われたDNA鑑定や血液型鑑定の内容にまで大きな疑義がでてきたのです。

 飯塚事件では、逮捕されたときから死刑直前の最後の最後まで、被告(K氏)は自分は無罪であると言い続けていたことが番組から分かります。死刑の直前にも手紙でそう 書き綴っています。

 日本テレビ系のNNNが日曜深夜にやっている報道ドキュメントは、深夜放映にもかかわらず、昔から高い評価を受けている番組であり、私も毎回みています。

 そのNNNが飯塚事件を正面から扱いました。

 ぜひ、ご覧下さい。

 言えることは、仮に死刑執行後に、再審請求され無罪を勝ち取ったとしても、死んだひとはかえってこないことです(ただし現在は再審請求段階)。

 もし、再審請求され無罪が確定したら自民党の森法務大臣(当時)は、どうするのでしょうか? 本来、このような安易な死刑執行は、国会でこそ問われるべきものと思います。

◆NNNドキュメント'13 リンク:
 飯塚事件/死刑執行は正しかったのか?切りとられた証拠


●飯塚事件(いいづかじけん)とは
  出典:Wikipedia

1992年(平成4年)発生した2人の女児が殺害された事件。犯人とされたKには2008年に死刑が執行された。翌年の2009年にKの遺族が再審請求し、現在も請求中である。

事件の概要

 1992年2月20日、福岡県飯塚市の小学1年生だった2人の女児(ともに7歳)が登校中に行方不明になった。翌21日、同県甘木市(現朝倉市)の山中で両被害者が性的暴行を受けたと見られる状態で殺害・遺棄されているのが発見された。死因は共に頸部圧迫による窒息死であった。

 そして数日後、福岡県警察がK(当時54歳)を事情聴取。事件から2年後の1994年に容疑者としてKを逮捕、同年11月5日に福岡地検は殺人・略取誘拐・死体遺棄の罪でKを起訴した。

裁判

 カギ括弧内は判決文をそのまま引用(匿名)。

第一審・福岡地裁判決

 一審の福岡地方裁判所1999年9月29日判決は、状況証拠として5名の目撃証言から、紺色の後輪ダブルタイヤのワゴンで窓に色付きフィルムが貼ってあるなどの特徴を持った車が犯人の車であることが極めて濃厚であるところ、Kが同じ特徴の車を有していたこと(他に該当者は9名いたがすべてアリバイが成立し、色付きフィルムも貼っていなかった)

 被害児童の着衣から発見された繊維片がKの所有車と同型の座席シー卜の繊維片である可能性が極めて濃厚であること(福岡県警察科学捜査研究所、警察庁科学警察研究所、東レ、ユニチカによる鑑定結果より)

 被害者両名が出血・失禁していた一方で、K所有車の後部座席およびその付近のフロアマットから血痕・人尿痕が検出され少なくとも一回は誰かがかなりの量の尿をもらしたことが認められるところ、Kがその付着の原因について納得のいく合理的な説明をすることができないこと(Kの妻は捜査段階と公判段階とで尿痕に関する供述内容を変更しており、その証言は否定された。なお、Kは後部座席を「取り外してホースで水をかけて洗った」ことがあったため、一審判決時点で当該尿痕・血痕から被害者のDNA型は検出されなかった)

 犯人とKの血液型及びDNAのMCT118型が一致したこと(もっとも、約266人に1人一致することから「決定的な積極的間接事実とはなりえない」とした。3鑑定のうち最後になされた鑑定がKのDNAを検出しなかった点は、鑑定の経緯を明示した上で、資料を費消した結果等からその鑑定の段階では「犯人のDNAが存在しなかった可能性も十分に考えられる」とした。また、鑑定人はDNAのHLADQα型でもKに不利な内容を推定したが、判決はその推定を否定し、犯人のHLADQα型は特定できないとした)

 被害者の遺体状況から犯人の陰茎が出血していた可能性が高いところ、Kが亀頭から容易に出血する症状を有していたこと(Kの主治医の証言や、Kの警察官に対する発言及びKが録音して記者に渡した会話内容とも合致する。Kと妻は公判で突如完治していたという供述に変更したが否定された。また、皮膚薬を購入していないとするKと妻の供述は、関係者の証言から「いずれも明らかに虚偽であるといわざるを得ない」とされた)

 Kのアリバイを直接に裏付ける証拠は全くなく、間接的に裏付ける証拠についてはKと妻の供述が捜査段階と公判段階で変遷しており成立しないことを認定し、これらの総合判断として、Kが犯人であることについては合理的な疑いを超えて認定することができるとして、Kに死刑判決を下した。

控訴審・福岡高裁判決

 控訴審の福岡高等裁判所2001年10月10日判決は、第一審で採用されたMCT118型以降新たに開発されたTH01型・PM型のDNA型検査法が、従来の検査法で検出できなかったK所有車内血痕のDNA型が被害者の一人に由来することをさらに補強する点を新たに認め、さらに第一審で認められた状況証拠を同様に評価し、死刑判決を維持した。

上告審・最高裁判決

 最高裁判所2006年9月8日第二小法廷判決は、「被告人が犯人であることについては合理的疑いを超えた高度の蓋然性があるということができるから、これと同旨の原判決の事実認定は、正当として是認することができる」と上告を棄却し死刑が確定した。

死刑執行

 2008年10月28日、当時の法務大臣である森英介によって死刑執行の命令が出され、福岡拘置所においてK(当時70歳)の死刑が執行され死亡した。

再審請求

 2009年10月にKの遺族が、福岡地方裁判所に対して再審請求した。その後、裁判で証拠採用されたDNA型の鑑定資料が弁護団の請求によって取り寄せられ、2012年9月に再鑑定することが決定した。同年10月、弁護団は、元死刑囚のDNA型と一致しない可能性が浮上したと発表した。

足利事件との関係

 2009年6月、足利事件での服役囚がMCT118型検査法による鑑定結果を最新のDNA型鑑定によって否定されたため、本事件もマスコミで採り上げられた。

 もっとも、足利事件で認められたDNA型検査法はMCT118型だけであったが、本事件は新たに開発されたTH01型とPM型の検査法によってもKが犯人であることと矛盾しない結果が出ている点で異なる。

 また、足利事件ではDNA型がほぼ唯一の証拠でありその証拠力が最大の争点となったのに対し、本事件では複数の状況証拠が存在している点でも異なる。

冤罪説など

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2012年10月)

 この事件では、DNAのMCT118型判定は絶対ではないとしてその信憑性に疑問を呈する報道が複数なされた[が、判決も同判定の証拠力の低さを前提にしている[ため、そもそも両者の見解は対立していない。ほか以下の主張がある。

 当初16-26型とされたKのDNA型が16-27型であったという指摘がある。しかし、福岡高裁は123塩基ラダーマーカーの16-26型がアレリックラダーマーカーの18-31型に対応しうるとしていたところ、前者の16-27型は後者の18-31型であるため、より正確な方法でもDNA型は矛盾していない。

 KのDNA型不検出という帝京大学の鑑定結果が裁判所に提出されなかった点と、Kが犯人でないとするのが常識であると鑑定した教授が述べた点を挙げる書籍がある(増補改訂版も本事件の記述に変更なし)。

 しかし、その出版は第一審判決より3年前で、第一の指摘は帝京大学の結果が判決で触れられており真実でなく、第二の指摘は教授が試料の採取経緯を公判で知って驚いた[6]ことから、それ以後の見解を裏付けるものではなくなっている。

 鳥越俊太郎は、弁護士の主張として、日本大学の厳島行雄教授の実験(目的を知らされていない30人に、目撃証言と同じ速度で同じ峠を運転させ、実験2週間後に車の特徴を証言させる。)で証人Cのような詳細な目撃証言(車とすれ違う時に窓から顔を出して後ろを振り返った。

 車体にはラインが入っていなかった。後部タイヤはダブルタイヤ。窓ガラスは黒いフィルムを貼っていた。男は車の横で背を向けていた。)ができた者がいなかったことから、警察が目撃証言を誘導した可能性を番組で指摘した。

 また、同様の指摘は日本テレビNEWS ZERO2013年4月11日放送でもなされ、1992年2月20日に車を目撃され、1992年3月9日に目撃調書が作成されたが、目撃調書が作成される以前の1992年3月7日にKの車を確認していた警官が証人Cの目撃調書を作成した事が警察が検察に提出した警察資料から2012年12月に見つかったと放送された。

 しかし、この2つの番組はともに、C以外の4人がKと同様の車を目撃した点や、Cの目撃状況として車の横で男が倒れたのを見た点を扱わなかった。また判決は、誘導の可能性を織り込み済みである。さらに、供述日についても、目撃の翌日に現場そばで女児の遺体が発見され、「既に3月2日前後には警察官に対して目撃事実を供述しており、3月4日には警察官を現場に案内している」と判決で述べられている[1]が、この点も放送は触れなかった。

 2012年10月には弁護団が、犯人のものとされるDNA型の写真のネガフィルムを鑑定したところ、ネガの周辺が切り取られており、元死刑囚とのDNAとは一致しない改竄捏造の可能性があると発表している。

 それに対して、福岡地方検察庁は、「写真は書面のサイズの問題で一部を切り取っただけで、隠蔽ではない」「ネガはこれまでも証拠開示されており弁護士側も見ているはず。DNA鑑定は間違いない」と反論している。

 2013年4月に福岡地裁は弁護団がネガフィルム鑑定依頼した筑波大学の本田克也教授の証人尋問を行う日程を協議。

1988年の女児行方不明事件

 本事件以前の事件現場周辺では、1988年12月4日に本件被害者と同一小学校で小学校1年生の女児が、弟の友人宅(K宅)に遊びに行ったのを最後に行方不明になる事件が発生。

 本件で逮捕後のKをポリグラフにかけた際に反応の出た山林一帯を捜索した結果、女児のジャンパーとトレーナーが発見された。Kは事件当日に女児と会っていた事は認めたが、行方については知らないとした。その後はさらなる発見がなく1995年2月18日に再捜索は打ち切られ、現在も未解決である。